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東京(とうきょう)日々(にちにち)新聞(しんぶん)』は、明治(めいじ)5(ねん)(1872)2(がつ)21(にち)創刊(そうかん)された東京(とうきょう)(はつ)日刊(にっかん)()です。条野(じょうの)採菊(さいぎく)戯作者(げさくしゃ))、落合芳幾(おちあいよしいく)浮世絵師(うきよえし))、西田(にしだ)伝助(でんすけ)本屋(ほんや)番頭(ばんとう))らが創刊(そうかん)しました。964(ごう)は、明治(めいじ)8(ねん)(1875)発行(はっこう)です。江之島(えのしま)恵比寿(えびす)()記事(きじ)()っています。詞書(ことばが)きには、恵比寿(えびす)()に三(かい)()ての(あたら)しい楼閣(ろうかく)ができ、その楼閣(ろうかく)からの(なが)めはすばらしく、人気(にんき)俳優(はいゆう)坂東彦三郎(ばんどうひこさぶろう)菊五郎(きくごろう)団十郎(だんじゅうろう)などが楼上(ろうじょう)(おとず)れるために、恵比寿(えびす)()名前(なまえ)()めた暖簾(のれん)(おく)用意(ようい)最中(さいちゅう)だと()かれています。明治(めいじ)8(ねん)(1875)4(がつ)1(にち)から5(がつ)20(にち)まで臨時(りんじ)大祭(たいさい)()(しま)弁財天(べんざいてん)(びょう)(ひら)かれるという()らせもあわせて()っています。

東京(とうきょう)日々(にちにち)新聞(しんぶん) 964(ごう) 江之島(えのしま)恵比寿(えびす)()楼上(ろうじょう)()()

製作時期(せいさくじき):明治(めいじ)8(ねん)
板元(はんもと):山清(やませい)(山崎屋清七(やまざきやせいしち))

画面手前(がめんてまえ)三条大橋(さんじょうおおはし)後景(こうけい)東山(ひがしやま)(えが)構図(こうず)は、初代(しょだい)広重(ひろしげ)作品(さくひん)にも(つう)じています。 (はし)左端(ひだりはし)(えが)かれている(くろ)制服姿(せいふくすがた)人物(じんぶつ)は、郵便配達夫(ゆうびんはいたつふ)です。
明治(めいじ)(ねん)(1871)に郵便事業(ゆうびんじぎょう)(はじ)まると、郵便配達夫(ゆうびんはいたつふ)郵便物(ゆうびんぶつ)配達(はいたつ)(たずさ)わりました。

表題(ひょうだい)にある「布団(ふとん)()()たる姿(すがた)やひかし((ひがし)(やま)」とは松尾芭蕉(まつおばしょう)江戸時代(えどじだい)前期(ぜんき)俳諧師(はいかいし))の弟子(でし)である服部嵐雪(はっとりらんせつ)()んだもので、夕暮(ゆうぐれ)どきの東山(ひがしやま)(ゆき)(のこ)っている様子(ようす)を、布団(ふとん)()()ているような姿(すがた)()えると表現(ひょうげん)しました。

三代広重(さんだいひろしげ)(えが)くこのシリーズは、明治(めいじ)前期(ぜんき)東海道(とうかいどう)(かく)宿駅(しゅくえき)風景(ふうけい)(はな)やかな色彩(しきさい)(幕末(ばくまつ)から明治(めいじ)初期(しょき)海外(かいがい)からあざやかな科学(かがく)顔料(がんりょう)(はい)使用(しよう)される)で(えが)かれています。

東海名所 改正道中記 五十八 西京

東海(とうかい)名所(めいしょ) 改正(かいせい)道中(どうちゅう)() 五十八(ごじゅうはち) 西京(さいきょう) 三條(さんじょう)大橋(おおはし)

製作時期(せいさくじき):明治(めいじ)8(ねん)
板元(はんもと):山清(やませい)(山崎屋清七(やまざきやせいしち))

人々(ひとびと)()()活気(かっき)あふれる大津宿(おおつしゅく)様子(ようす)と、その後景(こうけい)琵琶湖(びわこ)()えます。
()(はこ)(うし)背中(せなか)には(あつ)対策(たいさく)(わら)(かぶ)せられていますが、これは初代広重(しょだいひろしげ)(えが)いた描写(びょうしゃ)です。

江戸時代(えどじだい)宿場町(しゅくばまち)()わらないような景色(けしき)(なか)にも、(みせ)二階(にかい)から姿(すがた)をみせている散切(ざんぎ)(あたま)男性(だんせい)電信柱(でんしんばしら)()(なら)様子(ようす)からは、明治(めいじ)時代(じだい)(かん)じられます。

三代広重(さんだいひろしげ)(えが)くこのシリーズは、明治(めいじ)前期(ぜんき)東海道(とうかいどう)(かく)宿駅(しゅくえき)風景(ふうけい)(はな)やかな色彩(しきさい)(幕末(ばくまつ)から明治(めいじ)初期(しょき)海外(かいがい)からあざやかな科学(かがく)顔料(がんりょう)(はい)使用(しよう)される)で(えが)かれています。

東海名所 改正道中記 五十七 大津

東海(とうかい)名所(めいしょ) 改正(かいせい)道中(どうちゅう)() 五十(ごじゅう)(なな) 宿(やど)(ちゅう)より湖水(こすい)(けい) 大津(おおつ) 西京(さいきょう)(まで)(さん)()

製作時期(せいさくじき):明治(めいじ)8(ねん)
板元(はんもと):山清(やませい)(山崎屋清七(やまざきやせいしち))

三代広重(さんだいひろしげ)(えが)くこのシリーズは、明治(めいじ)前期(ぜんき)東海道(とうかいどう)(かく)宿駅(しゅくえき)風景(ふうけい)(はな)やかな色彩(しきさい)(幕末(ばくまつ)から明治(めいじ)初期(しょき)海外(かいがい)からあざやかな科学(かがく)顔料(がんりょう)(はい)使用(しよう)される)で(えが)かれています。

鈴鹿峠(すずかとうげ)山中(さんちゅう)(えが)いています。東海道(とうかいどう)(なか)で、箱根(はこね)(なら)難所(なんしょ)()われるのが鈴鹿峠(すずかとうげ)です。詞書(ことばが)きにある、土山(つちやま)(ひがし)入口(いりぐち)位置(いち)している田村(たむら)神社(じんじゃ)は、鈴鹿峠(すずかとうげ)(あっ)()退治(たいじ)したという伝説(でんせつ)のある坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)(まつ)った神社(じんじゃ)です。

東海名所 改正道中記 五十三 土山

東海(とうかい)名所(めいしょ) 改正(かいせい)道中(どうちゅう)() 五十三(ごじゅうさん) 鈴鹿(すずか)山中(さんちゅう) 土山(つちやま) 水口(みずくち)(まで)()廿(にじゅう)(なな)(ちょう)



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