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江の島の歴史
江の島歴史年表
江の島散策マップ
江の島の文化財
江の島を訪れた人々
資料種類しりょうしゅるい(大分類だいぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(中分類ちゅうぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(小分類しょうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(大分類だいぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(中分類ちゅうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(小分類しょうぶんるい):
作者さくしゃ(50音分類おんぶんるい):
作者さくしゃ:
フリーワード:
制作(せいさく) 1933年(ねん) 飯塚市(いいづかし)、八幡製鉄所(やはたせいてつしょ)二瀬(ふたせ)支部(しぶ) 他(た) 福岡県飯塚市(ふくおかけんいいづかし)は筑豊炭田(ちくほうたんでん)(Chikuho coalfield かつての日本(にほん)の主要(しゅよう)な石炭(せきたん)の産地(さんち))の主要(しゅよう)な炭鉱(たんこう)があった街(まち)で、炭(たん)都(と)(city of coal)と呼(よ)ばれていました。 市内(しない)にはいくつもの鉱業(こうぎょう)所(しょ)が描(えが)かれています。 ここは筑豊(ちくほう)富士(ふじ)と謳(うた)われた「住友(すみとも)忠(ただし)隈(くま)炭砿(たんこう)ボタ山(やま)」のあった所(ところ)です。
炭(たん)都(と)飯塚市(いいづかし)鳥瞰図(ちょうかんず)
この作品(さくひん)は3部作(ぶさく)で、他(ほか)に「日本(にっぽん)鳥瞰(ちょうかん)九州大(きゅうしゅうだい)図絵(ずえ)」があります。藤沢市(ふじさわし)が所蔵(しょぞう)するのはそのうちの2部(ぶ)です。いずれも、昭和(しょうわ) 2 年(ねん)(1927) 1 月(がつ)の大阪毎日新聞(おおさかまいにちしんぶん)の付録(ふろく)で、多(おお)くの読者(どくしゃ)の手(て)に渡(わた)りました。日本全国(にっぽんぜんこく)を3分(ぶん)し、それぞれ視点(してん)を変(か)えて日本列島(にほんれっとう)を捉(とら)えています。
日本(にっぽん)鳥瞰(ちょうかん)近畿(きんき)東海大(とうかいだい)図絵(ずえ)
この作品(さくひん)は3部作(ぶさく)で、他(ほか)に「日本(にっぽん)鳥瞰(ちょうかん)九州大(きゅうしゅうだい)図絵(ずえ)」があります。藤沢市(ふじさわし)が所蔵(しょぞう)するのはそのうちの2部(にぶ)です。いずれも、昭和(しょうわ) 2 年(ねん)(1927) 1 月(がつ)の大阪毎日新聞(おおさかまいにちしんぶん)の付録(ふろく)で、多(おお)くの読者(どくしゃ)の手(て)に渡(わた)りました。日本全国(にっぽんぜんこく)を3分(ぶん)し、それぞれ視点(してん)を変(か)えて日本列島(にほんれっとう)を捉(とら)えています。
近畿(きんき)を中心(ちゅうしん)とせる名勝(めいしょう)交通(こうつう)図絵(ずえ)
遊行寺(ゆぎょうじ)を描(えが)いた吉田初三郎(よしだはつさぶろう)の鳥瞰図(ちょうかんず)です。 本(ほん)作品(さくひん)には明治(めいじ)期(き)に描(えが)かれた絵図(えず)には無(な)かった「怨親平等(おんしんびょうどう)の碑(ひ)(国(くに)指定(してい)史跡(しせき)「藤沢(ふじさわ)敵(てき)御方(みかた)供養(くよう)塔(とう)(怨親平等(おんしんびょうどう)の碑(ひ)の別名(べつめい))」[大正(たいしょう)15年(ねん)指定(してい)]などが描(えが)かれています。しかし、明治(めいじ) 13 年(ねん)(1880)の藤沢町(ふじさわちょう)の大火(たいか)で焼(や)けたはずの山門(さんもん)(仁王門(におうもん)(仁王(におう)の像(ぞう)を左右(さゆう)に安置(あんち)した、寺(てら)の門(もん))が描(えが)かれているため、基本的(きほんてき)には明治(めいじ)初期(しょき)の境内(けいだい)図(ず)をもとに制作(せいさく)されたものだと思(おも)われます。
時宗(じしゅう)総本山(そうほんざん)清浄光寺(しょうじょうこうじ)
1935頃(ごろ)の藤沢(ふじさわ)・伊勢山(いせやま)(いせやま)の分譲(ぶんじょう)地(ち)広告(こうこく)。左下(ひだりした)の橋(はし)は藤沢本町(ふじさわほんまち)の小田急線(おだきゅうせん)に架(か)かる東海道(とうかいどう)の伊勢山(いせやま)橋(ばし)です。図(ず)は、国鉄(こくてつ)線(せん)(JR東海道線(とうかいどうせん))、小田急線(おだきゅうせん)、国道(こくどう)等(とう)を描(えが)き、緑(みどり)豊(ゆた)かで交通(こうつう)至便(しべん)な土地(とち)であることを示(しめ)しています
藤沢(ふじさわ)湘(しょう)南荘(なんそう)分譲(ぶんじょう)地(ち)
藤沢(ふじさわ)バスの「沿線(えんせん)案内(あんない)」。こちらも観光(かんこう)と結(むす)びついて、広範囲(こうはんい)の交通網(こうつうもう)が見(み)られます。タイトルの左(ひだり)にある「新進(しんしん)」は理研(りけん)(合成(ごうせい))清酒(せいしゅ)の銘柄(めいがら)で、城南(じょうなん)の大和(やまと)醸造(じょうぞう)(現(げん)メルシャン)で醸造(じょうぞう)していました。
藤沢(ふじさわ)バス「沿線(えんせん)案内(あんない)」
制作(せいさく) 1931年(ねん) 定山渓鉄道(じょうざんけいてつどう) 初(はつ)三(さぶ)郎(ろう)の鳥瞰図(ちょうかんず)の中(なか)には、現代(げんだい)には残(のこ)ってない幻(まぼろし)となった名所(めいしょ)や鉄道(てつどう)も描(えが)かれており、本図(ほんず)もその一(ひと)つです。定山渓鉄道(じょうざんけいてつどう)は国鉄(こくてつ)千歳(ちとせ)線(せん)・東札幌駅(ひがしさっぽろえき)から定山渓温泉(じょうざんけいおんせん)を結(むす)び、かつて自然(しぜん)豊(ゆた)かな景色(けしき)や温泉(おんせん)、スキー場(じょう)といった観光地(かんこうち)を網羅(もうら)しています。さらに、鉱石(こうせき)や石炭(せきたん)、木材(もくざい)輸送(ゆそう)にも大(おお)きく貢献(こうけん)しましたが、昭和(しょうわ) 44 年(ねん)(1969)に全線(ぜんせん)が廃止(はいし)されています。 本図(もとず)の裏(うら)(土地(とち)に関(かん)する解説(かいせつ)ガイドのような文章(ぶんしょう)が書(か)かれている)にある初(はつ)三(さぶ)郎(ろう)の「絵(え)に添(そ)えて一筆(いっぴつ)」(解説(かいせつ)ガイドの一角(いっかく)を占(し)める鳥瞰図(ちょうかんず)を描(えが)いた絵師(えし)によるコーナー)には、初(はじ)めて初三(はつさぶ)郎(ろう)がこの地(ち)を訪(おとず)れた頃(ころ)はまだ定山渓鉄道(じょうざんけいてつどう)が建設(けんせつ)途中(とちゅう)であったものの、十(じゅう)数(すう)年(ねん)後(ご)に訪(おとず)れると鉄道(てつどう)が完成(かんせい)し、活気(かっき)溢(あふ)れる観光(かんこう)地(ち)へと発展(はってん)した光景(こうけい)に感激(かんげき)を受(う)けた旨(むね)が記(しる)されています。
定山渓(じょうざんけい)電鉄(でんてつ)沿線(えんせん)名所(めいしょ)図絵(ずえ)
制作(せいさく) 1930年(ねん) 旭川商工会議所(あさひかわしょうこうかいぎしょ)
旭川市(あさひかわし)を中心(ちゅうしん)とせる名所(めいしょ)交通(こうつう)鳥瞰図(ちょうかんず)