Fujisawa Net Museum

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版元(はんもと):恵比寿屋庄七(えびすやしょうしち)
 日本橋(にほんばし)を振(ふ)り出(だ)し、京都(きょうと)が上(あ)がりとなっています。東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)の宿場(しゅくば)以外(いがい)をまわるルートがあり、四ツ谷追分(よつやおいわけ)などといった地点(ちてん)もマスの対象(たいしょう)とされていて、神奈川宿(かながわしゅく)の新町(しんまち)から杉田(すぎた)・金沢(かなざわ)・鎌倉(かまくら)・江の島(えのしま)を経(へ)て藤沢宿(ふじさわしゅく)へ戻(もど)るといったルートがあります。
 藤沢宿(ふじさわしゅく)の名物(めいぶつ)は「砂糖漬(さとうづけ)」とあります。これは江戸時代(えどじだい)からあり、現在(げんざい)も和菓子屋(わがしや)を続(つづ)けている有名(ゆうめい)なお土産(みやげ)でした 。藤沢(ふじさわ)の隣(となり)のマス「四ツ谷追分(よつやおいわけ)」には、今(いま)も残(のこ)る「大山道(おおやまみち)」の道標(どうひょう)や、大山(おおやま)に奉納(ほうのう)する木太刀(きだち)や、奉納(ほうのう)の酒(さけ)や大山(おおやま)でいただいた神水(じんずい)を運(はこ)ぶための「御神酒枠(おみきわく)」をかついだ大山詣(おおやままいり)での姿(すがた)が描(えが)かれています。

東海道(とうかいどう)遊歴(ゆうれき)双六(すごろく)

尾関(おぜき)トヨ
明治(めいじ)期(き)

明治(めいじ)中期(ちゅうき)に作(つく)られた木版(もくはん)と銅板(どうばん)を併用(へいよう)して作(つく)られた双六(すごろく)です。内容(ないよう)としては、日本国内(にほんこくない)と世界(せかい)の名所(めいしょ)を巡(めぐ)る「飛(と)び双六(すごろく)」となっています。全(すべ)てのマスに名所(めいしょ)の簡単(かんたん)な紹介(しょうかい)文(ぶん)が書(か)かれています。明治(めいじ)4年(ねん)(1871)に落成(らくせい)した新橋(しんばし)の停車場(ていしゃじょう)が振(ふ)り出(だ)しとして描(えが)かれており、マスには「新橋(しんばし)停車(ていしゃ)場(じょう)汽車(きしゃ)轟(ごう)登(と)之(の)図(ず)」と題名(だいめい)があります。他(た)のマスには国内外(こくないがい)の名所(めいしょ)・主要(しゅよう)都市(とし)名(めい)(横浜(よこはま)、ニューヨーク、サンクト・ペテルブルグ等(とう))が書(か)かれています。上(あ)がりのマスには明治天皇(めいじてんのう)の一家(いっか)が描(えが)かれ、その右上(みぎうえ)のマスには江(え)の島(しま)が登場(とうじょう)します。

画(が)中(ちゅう)の線(せん)の細(ほそ)さから、主版(しゅばん)は銅板(どうばん)が使(つか)われ、色(いろ)版(ばん)は木版(もくはん)で摺(す)られたと思(おも)われます。発行者(はっこうしゃ)の尾関(おぜき)トヨは東京(とうきょう)日本橋(にほんばし)で地本(じもと)問屋(とんや)を営(いとな)みながら、銅版(どうはん)画家(がか)としても活躍(かつやく)しました。

万国(ばんこく)名所(めいしょ)寿語禄(すごろく)

大阪(おおさか)の船着(ふなつ)き場(ば)「大坂(おおさか)八軒(はちけん)家(や)(屋(や))」を振(ふ)り出(だ)し、江戸(えど)を上(のぼ)りとする道中双六(どうちゅうすごろく)です。東海道(とうかいどう)の各(かく)宿(やど)の名所(めいしょ)・名物(めいぶつ)に所縁(しょえん)のある歌舞伎役者(かぶきやくしゃ)や浪速(なにわ)と尾張(おわり)で活躍(かつやく)していた狂歌(きょうか)師(し)の詩歌(しか)が各(かく)マスに挿入(そうにゅう)されています。刊行(かんこう)情報(じょうほう)によると、この双六(すごろく)はお正月(しょうがつ)に販売(はんばい)するために改(あらた)めて彫(ほ)られたもので、心斎橋(しんさいばし)を住所(じゅうしょ)に持(も)つ版元(はんもと)が芳(よし)幾(いく)に依頼(いらい)したものだと思(おも)われます。

藤沢(ふじさわ)のマスは歌舞伎役者(かぶきやくしゃ)の十一代目守田勘彌(じゅういちだいめもりたかんや)の「御(ご)病気(びょうき)のわざか 時々(ときどき)お休(やす)みも 藤沢(ふじさわ)寺(てら)へ 車(くるま)とどめる」という狂歌(きょうか)が記(しる)されています。藤沢(ふじさわ)寺(てら)は遊行寺(ゆぎょうじ)のことで、遊行寺(ゆぎょうじ)ゆかりの伝説(でんせつ)上(じょう)の人物(じんぶつ)「小栗判官(おぐりはんがん)」が病気(びょうき)のため土車(どしゃ)に乗(の)せられて熊野(くまの)へ向(む)かうストーリーを連想(れんそう)させます。

東海道(とうかいどう)宿々(しゅくしゅく)名所(めいしょ)名物(めいぶつ)寄(よせ)俳優(はいゆう)芸道(げいどう)細見図(さいけんず)

仮名垣魯文(かながきろぶん) 作(さく) 歌川国政(うたがわくにまさ) 画(え)
明治12年(めいじじゅうにねん)(1879)
第(だい)18代(だい)アメリカ大統領(だいとうりょう)ユリシーズ・S・グラントの幼少(ようしょう)から明治12年(めいじじゅうにねん)の日本(にっぽん)来訪(らいほう)までが集約(しゅうやく)されたものです。第(だい)三(さん)編(へん)では、インドや中国(ちゅうごく)を巡(めぐ)り、最終目的地(さいしゅうもくてきち)である日本(にっぽん)までの旅路(たびじ)とともに、来訪(らいほう)時(じ)に開催(かいさい)されたさまざまな行事(ぎょうじ)の様子(ようす)が紹介(しょうかい)されています。
明治(めいじ)には西洋人(せいようじん)を題材(だいざい)とした物語(ものがたり)が多(おお)く出版(しゅっぱん)されました。その内容(ないよう)は、偉人(いじん)の伝記(でんき)とともに文化(ぶんか)、地理(ちり)、政治(せいじ)・歴史(れきし)といった幅広(はばひろ)い要素(ようそ)が組(く)み込(こ)まれたものでした。「格蘭氏伝倭文賞(ぐらんどしでんやまとぶんしょう)」もそのひとつで、幕末(ばくまつ)から明治(めいじ)初期(しょき)に活躍(かつやく)した戯作者(げさくしゃ)、仮名垣(かながき)魯文(ろぶん)によって書(か)かれました。

格蘭氏伝倭文賞(ぐらんどしでんやまとぶんしょう)



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