Fujisawa Net Museum

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制作(せいさく)時期(じき):天保(てんぽう)2(ねん)(1831)(ころ)
板元(はんもと):永寿(えいじゅ)(どう)

北斎(ほくさい)代表(だいひょう)する揃物(そろいもの)作品(さくひん)冨嶽三十六景(ふがくさんじゅうろっけい)」のうちの(いち)()です。
七里ヶ浜(しちりがはま)景色(けしき)でありながら、浜辺(はまべ)省略(しょうりゃく)され、画面(がめん)中央(ちゅうおう)()(たか)(そび)える(しま)富士(ふじ)(おお)きく(えが)かれるという(めずら)しい構図(こうず)になっています。中央(ちゅうおう)()()えた(しま)()(しま)として(えが)かれたものか、小動岬(こゆるぎみさき)として(えが)かれたものは判然(はんぜん)としません。おそらく北斎(ほくさい)は、このシリーズにおいては実景(じっけい)(えが)くことよりも、富士(ふじ)印象的(いんしょうてき)()せる構図(こうず)(つく)()すことに意識(いしき)()いていたのでしょう。
また作品(さくひん)全体(ぜんたい)(あお)色調(しきちょう)()られた「(あい)()り」となっています。この青色(あおいろ)には舶来(はくらい)染料(せんりょう)、ベルリンブルー(通称(つうしょう)「ベロ(あい)」)が多用(たよう)されており、(あたら)しい時代(じだい)色彩(しきさい)(つく)()すという(こころ)みの作品(さくひん)でもあったと(かんが)えられます。

冨嶽三十六景(ふがくさんじゅうろっけい)シリーズのうちの1(まい)。いわゆる(あい)()りといわれるもので、しかも(かん)()(てき)要素(ようそ)(つよ)く、一般(いっぱん)(てき)浮世絵(うきよえ)とは感覚(かんかく)(こと)にしています。また制作(せいさく)年代(ねんだい)近頃(ちかごろ)研究(けんきゅう)で、従来(じゅうらい)文政(ぶんせい)年間(ねんかん)より(すこ)時代(じだい)()がる天保(てんぽう)2(ねん)定説(ていせつ)となりつつあります。

葛飾北斎 冨嶽三十六景 相州七里浜

()(がく)(さん)(じゅう)(ろっ)(けい) 相州(そうしゅう)七里(しちりが)(はま)

製作時期(せいさくじき):天保(てんぽう)10年頃(ねんごろ)(1839)。
板元(はんもと):佐野喜(さのきち)(佐野屋喜兵衛(さのやきへえ))

背景(はいけい)広重(ひろしげ)保永堂版東海道(ほえいどうばんとうかいどう)藤沢(ふじさわ) 遊行寺(ゆぎょうじ)」を下敷(したじ)きにしています 。
女性(じょせい)(うし)ろにあるのは、大鋸橋(だいぎりばし)現在(げんざい)遊行寺橋(ゆぎょうじばし))と、かつてその(きわ)にあった江の島(えのしま)一ノ鳥居(いちのとりい)で、女性(じょせい)頭上(ずじょう)(やま)のように(えが)かれているのが遊行寺(ゆぎょうじ)です。

(おお)きな木太刀(きだち)御神酒枠(おみきわく)(かつ)いだ大山詣(おおやままい)りの一行(いっこう)は、広重(ひろしげ)作品(さくひん)では(はし)(うえ)にいますが、国貞(くにさだ)()では鳥居(とりい)(まえ)まで()ています。 手前(てまえ)女性(じょせい)旅立(たびだ)ちのため(おび)()めているところでしょうか。足元(あしもと)には煙草(たばこ)()れ、風呂敷(ふろしき)(つつ)み、菅笠(すげがさ)といった(たび)道具(どうぐ)()かれています。
板元(はんもと)佐野屋喜兵衛(さのやきへえ)

国貞(くにさだ)の「美人(びじん)東海道(とうかいどう)」の()(した)しまれている本作(ほんさく)は、背景(はいけい)東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)宿場(しゅくば)風景(ふうけい)が、手前(てまえ)には美人(びじん)各地(かくち)関連(かんれん)した風俗(ふうぞく)(えが)かれます。東海道(とうかいどう)景色(けしき)歌川広重(うたがわひろしげ)代表作(だいひょうさく)保永堂版東海道(ほえいどうばんとうかいどう)」を下敷(したじ)きにして(えが)いている(てん)特徴(とくちょう)ですが、宮宿(みやしゅく)から京都(きょうと)まで(四日市(よっかいち)(のぞ)く)は国貞(くにさだ)のオリジナルの絵柄(えがら)となっています。

東海道五拾三次之内 藤沢図

東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)()(うち) 藤沢(ふじさわ)()

製作時期(せいさくじき):嘉永(かえい)5(ねん)(1852)。
板元(はんもと):伊勢兼(いせかね)(伊勢屋兼吉(いせやかねきち))

このシリーズは各宿(かくしゅく)にゆかりのある歌舞伎(かぶき)主人公(しゅじんこう)(えん)ずる人気役者(にんきやくしゃ)姿(すがた)(おお)きく(えが)き、上部(じょうぶ)背景(はいけい)にその地方(ちほう)風景(ふうけい)()えられているものです。こうした趣向(しゅこう)を「見立(みたて)」といい、この一連(いちれん)作品(さくひん)は「役者見立東海道(やくしゃみたてとうかいどう)」と()ばれています。
発売(はつばい)(とも)非常(ひじょう)人気(にんき)()び、図柄(ずがら)追加(ついか)され、また(あら)たに宿間(しゅくかん)()出版(しゅっぱん)されました。この()藤沢宿(ふじさわしゅく)で、ゆかりの物語(ものがたり)小栗判官(おぐりはんがん)照天姫伝説(あまのてるひめでんせつ)」の主人公(しゅじんこう)小栗判官(おぐりはんがん)(えが)いています。
(ふん)する役者(やくしゃ)坂東竹三郎(ばんどうたけさぶろう)(のち、五代(ごだい)坂東彦三郎(ばんどうひこさぶろう))です。背景(はいけい)藤沢宿(ふじさわしゅく)風景(ふうけい)初代(しょだい)広重(ひろしげ)保永堂版東海道(ほえいどうばんとうかいどう)構図(こうず)使用(しよう)しています。

東海道五十三次之内 藤沢 小栗判官(役者見立東海道)

東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)()(うち) 藤沢(ふじさわ) 小栗判官(おぐりはんがん)役者(やくしゃ)見立(みたて)東海道(とうかいどう)

製作時期(せいさくじき):文久3年(ぶんきゅうさんねん)(1863)。
板元(はんもと)(しるし)なし

()(しお)(さい)にできる砂州(さす)(みち)、「洲鼻(すばな)」を(とお)行列(ぎょうれつ)()(しま)()かう様子(ようす)(えが)いています。
()(しま)後景(こうけい)には、南古(なんご)茅ヶ崎(ちがさき)南湖(なんご))の(はま)から下田(しもだ)まで相模湾(さがみわん)海岸線(かいがんせん)(つづ)き、富士山(ふじさん)のふもとには箱根山(はこねやま)(つら)なっています。

文久(ぶんきゅう)3(ねん)(1863)の十四代(じゅうよんだい)将軍家茂(しょうぐんいえもち)上洛(じょうらく)()わせて板行(はんこう)された、東海道(とうかいどう)各宿場(かくしゅくば)周辺(しゅうへん)名所旧跡(めいしょきゅうせき)などを(えが)いたシリーズに(ふく)まれる一枚(いちまい)です。
実際(じっさい)家茂(いえもち)()(しま)(おとず)れてはいませんが、源頼朝(みなもとのよりとも)仮託(かたく)する形式(けいしき)(えが)いています。このシリーズにおいては、同様(どうよう)方法(ほうほう)鎌倉(かまくら)()(しま)周辺(しゅうへん)(えが)かれています。小動岬(こゆるぎみさき)あたりから()(しま)(のぞ)んだ景観(けいかん)(えが)かれていますが、貞秀(さだひで)はこういった俯瞰図(ふかんず)鳥瞰図(ちょうかんず)にたいへん()けていました。

(のち)には、江戸(えど)から(きょう)までの東海道(とうかいどう)一覧図(いちらんず)鳥瞰図法(ちょうかんずほう)完成(かんせい)させています。散見(さんけん)できる赤札(あかふだ)には場所(ばしょ)見所(みどころ)()(しる)されており、一覧図(いちらんず)形式(けいしき)(のっと)っています。
また、貞秀(さだひで)緻密(ちみつ)描写(びょうしゃ)でも定評(ていひょう)のあった絵師(えし)で、ここでも数多(かずおお)くの武士(ぶし)姿(すがた)(えが)かれています。貞秀(さだひで)という絵師(えし)特徴(とくちょう)がよく(あら)われた一枚(いちまい)でもあります。

東海道名所の内 江之嶌

東海道(とうかいどう)名所(めいしょ)(うち) ()()(しま)

製作時期(せいさくじき):文久(ぶんきゅう)3(ねん)(1863)。
板元(はんもと)(しるし)なし

遊行寺(ゆぎょうじ)(まえ)(とお)一行(いっこう)(えが)かれています。題字(だいじ)(よこ)には左右(さゆう)に「江戸(えど)(かた)江戸(えど)方向(ほうこう))」「鎌倉道(かまくらみち)」、遊行寺横(ゆぎょうじよこ)(はやし)には説教節(せっきょうぶし)人々(ひとびと)(かた)()がれてきた物語(ものがたり))『小栗判官(おぐりはんがん)』に関連(かんれん)する「小栗堂(おぐりどう)」「小栗十騎(おぐりじゅっき)(はか)小栗判官(おぐりはんがん)部下(ぶか)(はか))」、右下(みぎした)江の島(えのしま)(いち)鳥居(とりい)付近(ふきん)には「()(しま)みち」といった表記(ひょうき)()られます。 鳥瞰図(ちょうかんず)得意(とくい)とした貞秀(さだひで)らしく地誌的(ちしてき)内容(ないよう)意識(いしき)()いている様子(ようす)がうかがえます。

文久(ぶんきゅう)3(ねん)(1863)の十四代(じゅうよんだい)将軍家茂(しょうぐんいえもち)上洛(じょうらく)意識(いしき)して出版(しゅっぱん)された東海道(とうかいどう)シリーズで「上洛東海道(じょうらくとうかいどう)」と()われているものの一枚(いちまい)です。
作者(さくしゃ)橋本貞秀(はしもとさだひで)は、鳥瞰図的(ちょうかんずてき)構図(こうず)浮世絵(うきよえ)(名所図(めいしょず)など)に(すぐ)れ、「空飛(そらと)絵師(えし)」などとも()ばれますが、この「藤沢遊行寺(ふじさわゆぎょうじ)」も同様(どうよう)構図(こうず)()られます。行列(ぎょうれつ)遊行寺坂(ゆぎょうじざか)(うえ)(画面(がめん)右上(みぎうえ))から藤沢宿(ふじさわしゅく)大鋸橋(だいぎりばし)にまで陸続(りくぞく)(つづ)き、その(なが)さを強調(きょうちょう)するかのようです。

遊行寺(ゆぎょうじ)当時(とうじ)歌舞伎(かぶき)などにも()()げられていた「小栗判官(おぐりはんがん)照手姫(てるてひめ)物語(ものがたり)街道(かいどう)名所(めいしょ)(ひと)つとなっており、図中(ずちゅう)にも「小栗堂(おぐりどう)」「小栗十勇士之墓(おぐりじゅうゆうしのはか)」が(しめ)されています。手前(てまえ)()える鳥居(とりい)()(しま)一ノ鳥居(いちのとりい)遊行寺(ゆぎょうじ)山門(さんもん)現在(げんざい)(こと)なり仁王門(におうもん)となっています。

東海道名所之内 ふちさハ 遊行寺

東海道(とうかいどう)名所(めいしょ)()(うち) ふちさハ 遊行寺(ゆぎょうじ)



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