Fujisawa Net Museum

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製作(せいさく)時期(じき):天保(てんぽう)3(ねん)(1832)~天保(てんぽう)4(ねん)(1833)。
板元(はんもと):保永(ほえい)(どう)

広重(ひろしげ)には東海道(とうかいどう)風景(ふうけい)(えが)いたシリーズがいくつもあり、このシリーズは一般(いっぱん)板元(はんもと)()から保永(ほえい)(どう)(ばん)東海道(とうかいどう)()ばれています。構図(こうず)()さや着眼点(ちゃくがんてん)()けて、広重(ひろしげ)最高傑作(さいこうけっさく)シリーズとして(だい)ヒットし、以後(いご)風景画(ふうけいが)第一人者(だいいちにんしゃ)()ばれるようになりました。()藤沢宿(ふじさわしゅく)にあった()(しま)(いち)鳥居(とりい)遊行寺(ゆぎょうじ)背景(はいけい)にして(えが)いたもので、鳥居(とりい)(うし)ろに()かる(はし)大鋸橋(だいぎりばし) ((げん)遊行寺橋(ゆぎょうじばし))です。
(はし)(うえ)(おお)きな木太刀(きだち)()った(ひと)たちは大山(おおやま)(もうで)(雨降神社(あまたらしじんじゃ)太刀(たち)奉納(ほうのう)する)、手前(てまえ)鳥居(とりい)をくぐろうとしている(つえ)をついた(ひと)たちは()(しま)(もうで)(杉山検校(すぎやまけんぎょう)故事(こじ)にあやかって()不自由(ふじゆう)(ひと)たちの参詣(さんけい)(さか)んだった)で、藤沢宿(ふじさわしゅく)(りょう)()への参詣(さんけい)(しゃ)(にぎ)わっていたことを(しめ)しています。

東海道五拾三次之内 藤沢(保永堂版)

東海道五拾三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)()(うち) 藤沢(ふじさわ)保永(ほえい)(どう)(ばん)

製作(せいさく)時期(じき):安政(あんせい)2(ねん)(1855)。
板元(はんもと):蔦屋吉蔵(つたやきちぞう)

(した)(ひろ)がるのは浮島(うきしま)(はら)で、漁師(りょうし)(えが)かれています。
()(なか)にあるのは一本松(いっぽんまつ)立場(たてば)(おも)われます。(てん)()藍色(あいいろ)のぼかしに(くわ)え、()水鳥(みずどり)によって奥行(おくゆ)きを(かん)じます。

このシリーズが(たて)(がた)(ばん)であるため、一般(いっぱん)(たて)()東海道(とうかいどう)()ばれ、広重(ひろしげ)晩年(ばんねん)(59 (さい))の作品(さくひん)です。 広重(ひろしげ)東海道(とうかいどう)ものは大体(だいたい)において、横型(よこがた)風景画(ふうけいが)(おお)いなかで、(たて)(がた)(ぶつ)もいくつかあります。
この名所図会(めいしょずえ)シリーズではほとんどの宿(やど)鳥瞰図(ちょうかんず)(えが)かれ、町並(まちな)(とう)遠近法(えんきんほう)(もち)い、(よこ)(ばん)では()られない雰囲気(ふんいき)をかもし()しています。

五十三次名所図会 十五 吉原(竪絵東海道)

五十三次(ごじゅうさんつぎ)名所図会(めいしょずえ) 十五(じゅうご) 吉原(よしわら) 不二(ふじ)(ぬま)浮嶋(うきしま)(はら)(たて)()東海道(とうかいどう)

製作(せいさく)時期(じき):安政(あんせい)2(ねん)(1855)。
板元(はんもと):蔦屋吉蔵(つたやきちぞう)

表題(ひょうだい)にある「ざざんざのまつ((まつ))」とは浜松(はままつ)宿(しゅく)名所(めいしょ)となっていた松林(まつばやし)のことです。 しかし、この()(えが)かれているのは、名所(めいしょ)となった「ざざんざの(まつ)」とは(べつ)(まつ)で、海浜(かいひん)(ちか)くにあった「音羽(おとわ)(まつ)」が(えが)かれています。
また、「ざざんざ」とは松風(まつかぜ)(おと)(あらわ)言葉(ことば)ですが、()(ちゅう)波立(なみだ)様子(ようす)からは、まるで松風(まつかぜ)()こえてくるかのようです。
(えが)かれている人物(じんぶつ)は、平安時代(へいあんじだい)貴族(きぞく)装束(しょうぞく)である直衣(のおし)姿(すがた)であり、「松風(まつかぜ)」に関連(かんれん)する在原業平(ありわらのなりひら)光源氏(ひかるげんじ)連想(れんそう)させます。

このシリーズが(たて)(がた)(ばん)であるため、一般(いっぱん)(たて)()東海道(とうかいどう)()ばれ、広重(ひろしげ)晩年(ばんねん)(59 (さい))の作品(さくひん)です。 広重(ひろしげ)東海道(とうかいどう)ものは大体(だいたい)において、横型(よこがた)風景画(ふうけいが)(おお)いなかで、(たて)(がた)(ぶつ)もいくつかあります。
この名所図会(めいしょずえ)シリーズではほとんどの宿(やど)鳥瞰図(ちょうかんず)(えが)かれ、町並(まちな)(とう)遠近法(えんきんほう)(もち)い、(よこ)(ばん)では()られない雰囲気(ふんいき)をかもし()しています。

五十三次名所図会 三十 浜松(竪絵東海道)

五十三次(ごじゅうさんつぎ)名所図会(めいしょずえ) (さん)(じゅう) 浜松(はままつ) ざゝんざのまつ((たて)()東海道(とうかいどう)

製作(せいさく)時期(じき):安政(あんせい)2年(にねん)(1855)。
板元(はんもと):蔦屋吉蔵(つたやきちぞう)

浜名湖(はまなこ)東側(ひがしがわ)舞坂(まいさか)(わた)()(ちか)くを(えが)いています。手前(てまえ)()える(くい)波除(なみよけ)(おも)われます。
画面(がめん)中央(ちゅうおう)にそびえる小高(こだか)(やま)は、実際(じっさい)にはなく、創作(そうさく)(えが)かれたものです。

このシリーズが(たて)(がた)(ばん)であるため、一般(いっぱん)(たて)()東海道(とうかいどう)()ばれ、広重(ひろしげ)晩年(ばんねん)(59 (さい))の作品(さくひん)です。
広重(ひろしげ)東海道(とうかいどう)ものは大体(だいたい)において、横型(よこがた)風景画(ふうけいが)(おお)いなかで、(たて)(がた)(ぶつ)もいくつかあります。この名所図会(めいしょずえ)シリーズではほとんどの宿(やど)鳥瞰図(ちょうかんず)(えが)かれ、町並(まちな)(とう)遠近法(えんきんほう)(もち)い、(よこ)(ばん)では()られない雰囲気(ふんいき)をかもし()しています。

五十三次名所図会 卅一 舞坂(竪絵東海道)

五十三次(ごじゅうさんつぎ)名所図会(めいしょずえ) (さん)十一(じゅういち) 舞阪(まいさか) (いま)(ぎれ)海上(かいじょう)舟渡(ふなわたし)(たて)()東海道(とうかいどう)

製作(せいさく)時期(じき):安政(あんせい)2(ねん)(1855)。
板元(はんもと):蔦屋吉蔵(つたやきちぞう)

新居宿(あらいしゅく)関所(せきしょ)、そして浜名湖(はまなこ)鳥瞰(ちょうかん)(てき)(えが)いています。画面(がめん)(おく)には富士山(ふじさん)()え、その構図(こうず)作品(さくひん)大津(おおつ)」によく()ています。
新居宿(あらいしゅく)舞坂(まいさか)宿(しゅく)をつなぐ航路(こうろ)(いま)(ぎれ)(わた)しと()ばれ、浜名湖(はまなこ)南側(みなみがわ)(とお)っていました。 浜名湖(はまなこ)()(ふね)が、画面(がめん)手前(てまえ)から東岸(とうがん)舞坂(まいさか)(がわ)まで(つら)なり、画面(がめん)奥行(おくゆ)きを演出(えんしゅつ)しています。

このシリーズが(たて)(がた)(ばん)であるため、一般(いっぱん)(たて)()東海道(とうかいどう)()ばれ、広重(ひろしげ)晩年(ばんねん)(59 (さい))の作品(さくひん)です。 広重(ひろしげ)東海道(とうかいどう)ものは大体(だいたい)において、横型(よこがた)風景画(ふうけいが)(おお)いなかで、(たて)(がた)(ぶつ)もいくつかあります。
この名所図会(めいしょずえ)シリーズではほとんどの宿(やど)鳥瞰図(ちょうかんず)(えが)かれ、町並(まちな)(とう)遠近法(えんきんほう)(もち)い、(よこ)(ばん)では()られない雰囲気(ふんいき)をかもし()しています。

五十三次名所図会 卅二 あら井(竪絵東海道)

五十三次(ごじゅうさんつぎ)名所図会(めいしょずえ) (さん)十二(じゅうに) 荒井(あらい) (わたし)(ぶね)着岸(ちゃくがん)(おん)関所(せきしょ)(たて)()東海道(とうかいどう)

製作時期(せいさくじき):安政(あんせい)2(ねん)(1855)。
板元(はんもと):蔦屋吉蔵(つたやきちぞう)

鴨川(かもがわ)()かる三条大橋(さんじょうおおはし)を、茶筅(ちゃせん)(うり)りや絹被衣(きぬかずき)公家(くげ)子女(しじょ)日傘(ひがさ)をさす武士(ぶし)など様々(さまざま)身分(みぶん)人々(ひとびと)()()っています。
源氏雲(げんじぐも)(おも)わせる薄紅色(うすべにいろ)(くも)(おく)には、清水寺(きよみずでら)八坂(やさか)(とう)など東山(ひがしやま)街並(まちな)みが()えます。
表題(ひょうだい)にある「大尾(だいび)」とは「最後(さいご)」という意味(いみ)です。(きょう)東海道(とうかいどう)日本橋(にほんばし)から(かぞ)えて最後(さいご)宿場(しゅくば)にあたります。

このシリーズが竪型版(たてがたばん)であるため、一般(いっぱん)竪絵東海道(たてえとうかいどう)()ばれ、広重(ひろしげ)晩年(ばんねん)(59(さい))の作品(さくひん)です。 広重(ひろしげ)東海道(とうかいどう)ものは大体(だいたい)において、横型(よこがた)風景画(ふうけいが)(おお)いなかで、竪型物(たてがたもの)もいくつかあります。
この名所図会(めいしょずえ)シリーズではほとんどの宿(やど)鳥瞰図(ちょうかんず)(えが)かれ、町並(まちな)(とう)遠近法(えんきんほう)(もち)い、横判(よこばん)では()られない雰囲気(ふんいき)をかもし()しています。

五十三次名所図会 五十五 京(竪絵東海道)

五十三次(ごじゅうさんつぎ)名所図会(めいしょずえ) 五十五(ごじゅうご) 大尾(だいび) 京都(きょうと) 三條(さんじょう)(おお)はし((たて)()東海道(とうかいどう)

製作時期(せいさくじき):安政(あんせい)3(ねん)(1856)。
板元(はんもと):山口藤兵衛(やまぐちとうべえ)

平塚(ひらつか)・・・高麗寺山(こうらいじやま) 花水橋(はなみずばし) 唐土(もろこし)(はら)
(まる)()()がった(かたち)特徴的(とくちょうてき)高麗山(こまやま)(のぞ)景色(けしき)です。

大磯(おおいそ)・・・鴫立沢(しぎたつさわ)西行法師(さいぎょうほうし)(ぞう)
(しぎ)立沢(たつさわ)にゆかりのある西行法師(さいぎょうほうし)(ぞう)です。現在(げんざい)鴫立庵(しぎたつあん)では西行法師(さいぎょうほうし)(ぞう)安置(あんち)されています。

小田原(おだわら)・・・(うめ)梅干(うめぼし))・いかたゝき(塩辛(しおから)
「いかたたき」とみえる(たる)(なか)は、いかの塩辛(しおから)(かんが)えられます。小田原宿(おだわらしゅく)では、梅干(うめぼ)しと(なら)んで、人気(にんき)名物(めいぶつ)となっていました。

箱根(はこね)・・・塔之沢(とうのさわ) 湯亭(ゆてい)
江戸時代(えどじだい)から湯治場(とうじば)として人気(にんき)のあった箱根(はこね)塔ノ沢(とうのさわ)景色(けしき)です。
江戸時代(えどじだい)温泉(おんせん)ブームにおいては、「箱根七湯(はこねしちとう)」のひとつに(かぞ)えられていました。

広重(ひろしげ)風景(ふうけい)中心(ちゅうしん)とした東海道(とうかいどう)ものを(おお)(えが)いていますが、この()(よう)(こと)なったタイプのシリーズも(のこ)しています。これは一般(いっぱん)張交東海道(はりまぜとうかいどう)といわれるもので、1(まい)(なか)に3~5宿(しゅく)風景(ふうけい)名産(めいさん)物語(ものがたり)(とう)挿入(そうにゅう)されています。

東海道張交図会 平塚 大磯 小田原 箱根(山藤版)

東海道(とうかいどう)(はり)(まぜ)図会(ずえ) 平塚(ひらつか) 大磯(おおいそ) 小田原(おだわら) 箱根(はこね)山藤(やまふじ)(ばん)

製作時期(せいさくじき):安政(あんせい)3(ねん)(1856)。
板元(はんもと):山口藤兵衛(やまぐちとうべえ)

日坂(にっさか)・・・正成(まさしげ)正行(まさつら)教導(きょうどう)
南北朝時代(なんぼくちょうじだい)武将(ぶしょう)楠木正成(くすのきまさしげ)息子(むすこ)正行(まさつら)対話(たいわ)場面(ばめん)(えが)かれています。

掛川(かけがわ)・・・秋葉道四十八瀬越(あきはみちしじゅうはつせご)
秋葉神社(あきばじんじゃ)参詣路(さんけいろ)にある三倉川(みくらがわ)風景(ふうけい)です。「四十八瀬(しじゅうはつせ)」とは三倉川(みくらがわ)のことで、人々(ひとびと)はこの浅瀬(あさせ)をいくつも()えて秋葉神社(あきばじんじゃ)へと()かいました。

袋井(ふくろい)・・・桜ヶ池(さくらがいけ)故事(こじ)
袋井宿(ふくろいしゅく)とはやや(はな)れますが、静岡県御前崎市(しずおかけんおまえざきし)位置(いち)する桜ヶ池(さくらがいけ)には、龍神(りゅうじん)伝説(でんせつ)があり、それを(もと)にした図柄(ずがら)となっています。

広重(ひろしげ)風景(ふうけい)中心(ちゅうしん)とした東海道(とうかいどう)ものを(おお)(えが)いていますが、この()(よう)(こと)なったタイプのシリーズも(のこ)しています。これは一般(いっぱん)張交東海道(はりまぜとうかいどう)といわれるもので、1(まい)(なか)に3~5宿(しゅく)風景(ふうけい)名産(めいさん)物語(ものがたり)(とう)挿入(そうにゅう)されています。

東海道張交図会 日坂 懸川 袋井(山藤版)

東海道(とうかいどう)(はり)(まぜ)図会(ずえ) (日坂(にっさか)) 懸川(かけがわ) 袋井(ふくろい)山藤(やまふじ)(ばん)



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