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江の島の歴史
江の島歴史年表
江の島散策マップ
江の島の文化財
江の島を訪れた人々
資料種類しりょうしゅるい(大分類だいぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(中分類ちゅうぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(小分類しょうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(大分類だいぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(中分類ちゅうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(小分類しょうぶんるい):
作者さくしゃ(50音分類おんぶんるい):
作者さくしゃ:
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制作(せいさく)時期(じき):天保(てんぽう)3年(ねん)(1832) 板元(はんもと):藤岡屋彦太郎(ふじおかやひこたろう) 松原(まつばら)堂(どう) 本朝(ほんちょう)名所(めいしょ)シリーズの15枚(まい)の揃(そろい)物(もの)の一(ひと)つです。これには一(いち)立(りつ)斎(とき)の落款(らっかん)があり、腰越(こしごえ)のあたりから見(み)た景色(けしき)のようで、前景(ぜんけい)としての右手(みぎて)の高(たか)い山(やま)と左手(ひだりて)の低(ひく)い山(やま)に囲(かこ)まれた間(ま)からわずかに見(み)える七里ガ浜(しちりがはま)の砂浜(すなはま)、駕籠(かご)かき、何(なに)かをねだる子(こ)どもらを描(えが)き、ちょうど正面(しょうめん)に海(うみ)に浮(う)かぶ江(え)の島(しま)を配置(はいち)して、左(ひだり)の白(しろ)い帆(ほ)と白(しろ)い富士山(ふじさん)を色彩(しきさい)的(てき)に対比(たいひ)させています。 浜(はま)に打(う)ち寄(よ)せる三角(さんかく)の大波(おおなみ)は、のちに広重(ひろしげ)の作品(さくひん)の特徴(とくちょう)のうちの一(ひと)つとなる典型(てんけい)的(てき)な例(れい)となるものです。
本朝(ほんちょう)名所(めいしょ) 相州(そうしゅう)七里ヶ浜(しちりがはま)
本作(ほんさく)は画面上部(がめんじょうぶ)に青(あお)の濃淡(のうたん)で絵柄(えがら)を表現(ひょうげん)する「藍摺(あいずり)」で江の島(えのしま)と富士(ふじ)の風景(ふうけい)が配(はい)されており、下部(かぶ)には当時(とうじ)評判(ひょうばん)の遊女(ゆうじょ)が手紙(てがみ)を書(か)く様子(ようす)が描(えが)かれています。鶴屋(つるや)というのは吉原(よしわら)にあった遊女屋(ゆうじょや)の名前(なまえ)で、「かしく」が遊女(ゆうじょ)の源氏名(げんじな)です。
和国(わこく)名所(めいしょ)江(え)の嶌(しま) 全(ぜん)勢揃(せいそろえ) 鶴屋(つるや)内(ない)かしく
板元(はんもと)印(しるし)なし 落款(らっかん)、板元(はんもと)印(しるし)ともになく作者不詳(さくしゃふしょう)となっています。極印(ごくいん)が半分(はんぶん)に切(き)られているので、元(もと)の大(おお)きさは現在(げんざい)のものより少(すこ)し大(おお)きかったと考(かんが)えられます。弁才天(べんざいてん)の開帳(かいちょう)を描(えが)いた作品(さくひん)は多(おお)くありますが、表題(ひょうだい)に開帳(かいちょう)の場所(ばしょ)や年(とし)を明記(めいき)している点(てん)が珍(めずら)しい作品(さくひん)です。 また、江(え)の島(しま)では海士(あま)と呼(よ)ばれる男性(だんせい)が鮑(あわび)取(と)りをしていました。多(おお)くの作品(さくひん)で鮑(あわび)取(と)りをしているのは女性(じょせい)として描(えが)かれていますが、この作品(さくひん)では男性(だんせい)の姿(すがた)で描(えが)かれている点(てん)も注目(ちゅうもく)されます。
相州(そうしゅう)江(え)ノ嶋(しま)弁才天(べんざいてん)上下(じょうげ)ノ宮(みや)己巳(つちのとみ)年(どし)御(ご)開帳(かいちょう)繁栄(はんえい)之(の)全(ぜん)図(ず)
制作(せいさく)時期(じき):文化(ぶんか)頃(ごろ)。 板元(はんもと)印(しるし)なし 浮画(うきえ)とあるように洋風(ようふう)の遠近(えんきん)感(かん)をとり入(い)れた作品(さくひん)ですが、版(ばん)がかなりつぶれていて色(いろ)版(ばん)もずれている点(てん)から、後(こう)版(ばん)の可能性(かのうせい)が強(つよ)いと思(おも)われます。
新版(しんばん)浮(うき)画(え) 江(え)之(の)嶌(しま)金亀(きんき)山(ざん)之(の)遠景(えんけい)
板元(はんもと):根本(ねもと)若(わか)兵衛(べえ) 由比ガ浜(ゆいがはま)の地引網(じびきあみ)の様子(ようす)を描(えが)いた作品(さくひん)です。遠景(えんけい)には江(え)の島(しま)と、さらに奥(おく)には富士山(ふじさん)が見(み)えます。その描法(びょうほう)には誇張(こちょう)があり、網(あみ)にかかった蛸(たこ)や鯛(たい)、鱏(えい)などが大(おお)きくユーモラスに描(えが)かれています。
相州(そうしゅう)江嶌(えのしま)風景(ふうけい)由井浜(ゆいがはま)地引網(じびきあみ)之(の)図(ず)
制作(せいさく)時期(じき):天明(てんめい)年間(ねんかん)(1781~89)頃(ころ)。 板元(はんもと):岩戸屋喜三郎(いわとやきさぶろう) 重政(しげまさ)は北尾(きたお)派(は)の創始者(そうししゃ)で、役者絵(やくしゃえ)などを描(えが)き、安永(あんえい)・天明(てんめい)年間(ねんかん)(1772-89)に画(が)格(かく)の高(たか)い美人画(びじんが)を描(えが)きました。一(いち)枚(まい)絵(え)の錦絵(にしきえ)は少(すく)なく、版本(はんぽん)の挿絵(さしえ)などが多(おお)い絵師(えし)です。また風景画(ふうけいが)では遠近法(えんきんほう)を利用(りよう)した浮絵(うきえ)を手(て)がけています。この作品(さくひん)もまたその一(ひと)つで、高(たか)い視点(してん)から俯瞰(ふかん)的(てき)な構図(こうず)をとり、普通(ふつう)では視野(しや)に入(はい)り切(き)れない部分(ぶぶん)まで描(えが)いているために、海(うみ)が極端(きょくたん)に小(ちい)さくなり湖(みずうみ)を描(えが)いたような感(かん)を与(あた)えます。
浮絵(うきえ)江之島(えのしま)金亀(きんき)山(ざん)並(ならびに)七里ヶ浜(しちりがはま)鎌倉山(かまくらやま)之(の)図(ず)
製作時期(せいさくじき):慶応元年(けいおうがんねん)(1865)。 板元(はんもと)印(しるし)なし のどかな平塚宿(ひらつかしゅく)の風景(ふうけい)が描(えが)かれており、手前(てまえ)の茶屋(ちゃや)では旅人(たびびと)が煙管(きせる)で一服(いっぷく)しています 。 背景(はいけい)にみえる山(やま)は平塚宿(ひらつかしゅく)のランドマークである高麗山(こまやま)で、丸(まる)く盛(も)り上(あ)がった形(かたち)が特徴的(とくちょうてき)です。 二代広重(にだいひろしげ)は初代広重(しょだいひろしげ)長女(ちょうじょ)との結婚以前(けっこんいぜん)の重宣時代(しげのぶじだい)、二代広重(にだいひろしげ)時代(じだい)、離婚後(りこんご)横浜(よこはま)に住(す)んでからの立祥時代(りゅうしょうじだい)(慶応元年(けいおうがんねん)~明治二年(めいじにねん))のそれぞれの画銘(がめい)の時(とき)に数点(すうてん)の東海道(とうかいどう)シリーズを残(のこ)しています。
東海道(とうかいどう)五拾(ごじゅう)三(さん)駅(えき) 平塚(ひらつか) 高(こう)らひ寺山(じさん)
「酒匂川(さかわがわ)かち渡(わたし)(徒(かち)渡(わた)し)」とあるように、酒匂川(さかわがわ)の渡(わた)しの場面(ばめん)が描(えが)かれています。 酒匂川(さかわがわ)は人足(にんそく)による徒(かち)渡(わた)しが行(おこな)われていました。徒(かち)渡(わた)しは、運(はこ)ぶ人足(にんそく)の数(かず)や乗(の)り物(もの)の種類(しゅるい)、川(かわ)の深(ふか)さで料金(りょうきん)が変(か)わりました。画(が)中(ちゅう)の女性(じょせい)が乗(の)っているのは平(ひら)輦台(れんだい)です。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ) 小田原(おだわら)