Fujisawa Net Museum

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製作時期(せいさくじき):明治(めいじ)8(ねん)
板元(はんもと):山清(やませい)(山崎屋清七(やまざきやせいしち))

三代広重(さんだいひろしげ)(えが)くこのシリーズは、明治(めいじ)前期(ぜんき)東海道(とうかいどう)(かく)宿駅(しゅくえき)風景(ふうけい)(はな)やかな色彩(しきさい)(幕末(ばくまつ)から明治(めいじ)初期(しょき)海外(かいがい)からあざやかな科学(かがく)顔料(がんりょう)(はい)使用(しよう)される)で(えが)かれています。

(ふで)(すて)(やま)岩根(いわね)(やま))は、素晴(すば)らしい絶景(ぜっけい)に、狩野(かのう)元信(もとのぶ)法眼(ほうげん))が(えが)けなくて(ふで)()てたという逸話(いつわ)のある(やま)です。法眼(ほうげん)とは、出家(しゅっけ)した絵師(えし)(あた)えられた(くらい)のことです。()てられたその(ふで)(ひろ)って本図(ほんず)(えが)いたのは、ただの絵師(えし)であるという詞書(ことばが)きが()えられています。 茶屋(ぢゃや)縁台(えんだい)(すわ)って、絶景(ぜっけい)(なが)めて一服(いっぷく)している旅人(たびと)たちが(えが)かれています。縁台(えんだい)にはさりげなく、洋傘(ようがさ)()てかけられていています。

東海名所 改正道中記 五十二 坂の下

東海(とうかい)名所(めいしょ) 改正(かいせい)道中(どうちゅう)() 五十二(ごじゅうに) (ふで)すて(やま) (さか)(した) (せき)(まで)(いち)(はん)

製作時期(せいさくじき):明治(めいじ)8(ねん)
板元(はんもと):山清(やませい)(山崎屋清七(やまざきやせいしち))

三代広重(さんだいひろしげ)(えが)くこのシリーズは、明治(めいじ)前期(ぜんき)東海道各宿駅(とうかいどうかくしゅくえき)風景(ふうけい)(はな)やかな色彩(しきさい)(幕末(ばくまつ)から明治初期(めいじしょき)海外(かいがい)からあざやかな科学顔料(かがくがんりょう)(はい)使用(しよう)される)で(えが)かれています。

画面(がめん)右側(みぎがわ)には、鳥居(とりい)(さき)に、熊野(くまの)権現(ごんげん)(げん)加佐登(かさど)神社(じんじゃ))が()えます。()きかう旅人(たびと)たちの(なか)には、天狗(てんぐ)のお(めん)背中(せなか)にかついだ金毘羅(こんぴら)(まい)りの行者(ぎょうじゃ)姿(すがた)()られます。()(ちゅう)文章(ぶんしょう)では、白島(しろしま)(づか)(あやま)った記載(きさい)になっていますが、石薬師(いしやくし)から庄野(しょうの)(あいだ)には、日本武尊(やまとたけるのみこと)()くなって、白鳥(はくちょう)となって()んで()ったという伝説(でんせつ)(のこ)白鳥(しらとり)(づか)別名(べつめい)(ひよどり)(づか))や源頼朝(みなもとのよりとも)(おとうと)(のり)(より)(まつ)御曹子(おんぞうし)(しゃ)(かば)冠者(かんじゃ)(のり)頼之(よりの)(やしろ))があります。

東海名所 改正道中記 四十九 庄野

東海(とうかい)名所(めいしょ) 改正(かいせい)道中(どうちゅう)() 四十九(しじゅうく) 白鳥(はくちょう)(づか)() 庄野(しょうの) 亀山(かめやま)(まで)廿(にじゅう)(なな)(ちょう)

製作時期(せいさくじき):明治(めいじ)8(ねん)
板元(はんもと):山清(やませい)(山崎屋清七(やまざきやせいしち))

三代広重(さんだいひろしげ)(えが)くこのシリーズは、明治(めいじ)前期(ぜんき)東海道各宿駅(とうかいどうかくしゅくえき)風景(ふうけい)(はな)やかな色彩(しきさい)(幕末(ばくまつ)から明治初期(めいじしょき)海外(かいがい)からあざやかな科学顔料(かがくがんりょう)(はい)使用(しよう)される)で(えが)かれています。

宮宿(みやじゅく)(くわ)名宿(なしゅく)をつなぐ航路(こうろ)海上(かいじょう)七里(しちり)(わた)し」の桑名(くわな)(がわ)船着(ふなつ)()(えが)いています。画面(がめん)(みぎ)見切(みき)れて()える(はしら)伊勢(いせの)国一(くにいち)鳥居(とりい)です。東海道(とうかいどう)(ひがし)から()人々(ひとびと)にとって、この船着(ふなつ)()伊勢(いせの)(くに)(はい)玄関口(げんかんぐち)となるためです。この鳥居(とりい)は、現在(げんざい)でも20(ねん)一度(いちど)式年(しきねん)遷宮(せんぐう)都度(つど)()()えられています。(ちゅう)(けい)()えるのは(くわ)名城(なじょう)です。

東海名所 改正道中記 四十六 桑名

東海(とうかい)名所(めいしょ) 改正(かいせい)道中(どうちゅう)() (よん)十六(じゅうろく) 桑名(くわな) 波止場(はとば)(けい) (みや)(まで)海上(かいじょう)七里(しちり)

製作時期(せいさくじき):明治(めいじ)8(ねん)
板元(はんもと):山清(やませい)(山崎屋清七(やまざきやせいしち))

三代広重(さんだいひろしげ)(えが)くこのシリーズは、明治(めいじ)前期(ぜんき)東海道各宿駅(とうかいどうかくしゅくえき)風景(ふうけい)(はな)やかな色彩(しきさい)(幕末(ばくまつ)から明治初期(めいじしょき)海外(かいがい)からあざやかな科学顔料(かがくがんりょう)(はい)使用(しよう)される)で(えが)かれています。

(みや)桑名(くわな)は、「七里(しちり)(わた)し」と()ばれる海上(かいじょう)交通(こうつう)()(むす)ばれおり、東海道(とうかいどう)(たび)する人々(ひとびと)伊勢神宮(いせじんぐう)熱田神宮(あつたじんぐう)への参詣(さんけい)(きゃく)(にぎ)わっていました。中央(ちゅうおう)(えが)かれているのは、熱田(あつた)(みなと)常夜(じょうや)(とう)です。夜間(やかん)()()(ふね)(ため)に、寛永(かんえい)2(ねん)(1625)に()てられ、承応(じょうおう)3(ねん)(1654)に須賀(すが)(うら)から宮宿(みやじゅく)移設(いせつ)されたものです。

東海名所 改正道中記 四十五 宮

東海(とうかい)名所(めいしょ) 改正(かいせい)道中(どうちゅう)() 熱田(あつた)(はま) (よん)(じゅう)() (みや) 桑名(くわな)(まで)海上(かいじょう)(しち)りのわたし



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