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江の島の歴史
江の島歴史年表
江の島散策マップ
江の島の文化財
江の島を訪れた人々
資料種類しりょうしゅるい(大分類だいぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(中分類ちゅうぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(小分類しょうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(大分類だいぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(中分類ちゅうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(小分類しょうぶんるい):
作者さくしゃ(50音分類おんぶんるい):
作者さくしゃ:
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園原屋正助(そのはらやしょうすけ)版(ばん) 文久(ぶんきゅう)2年(ねん)(1862年(ねん)) 日本橋(にほんばし)を振(ふ)り出(だ)し、京都(きょうと)を上(あ)がりとする道中双六(どうちゅうすごろく)。保土ヶ谷(ほどがや)・戸塚(とつか)間(かん)からの金沢道(かなざわみち)や、四(よ)ツ谷(や)からの大山道(おおやまみち)、富士川(ふじかわ)の先(さき)の身延(みのぶ)道(みち)、掛川(かけがわ)からの秋葉(あきは)道(みち)など、多(おお)くの脇道(わきみち)が書(か)き込(こ)まれています。 金沢道(かなざわみち)は、のうけんどう(能見堂(のうけんどう))・金沢(かなざわ)(八景(はっけい))・明神(みょうじん)(瀬戸神社(せとじんじゃ))・光明寺(こうみょうじ)・鶴ヶ岡(つるがおか)・大仏(だいぶつ)・由井ヶ浜(ゆいがはま)・七里ヶ浜(しちりがはま)・江乃島(えのしま)・藤沢(ふじさわ)と続(つづ)き、四(よ)ツ谷(や)のマスからの大山道(おおやまみち)は、まへふとう(前不動(まえふどう))・大山(おおやま)石尊(せきそん)大権現(だいごんげん)から道了宮(どうりょうぐう) (道了尊(どうりょうそん)、大雄山最乗寺(だいゆうざんさいじょうじ))を経(へ)て小田原(おだわら)に至(いた)る道(みち)が記(しる)されています。
当年(とうねん)新板(しんばん)東海道(とうかいどう)名所(めいしょ)案内(あんない)双陸(すごろく)
慶応(けいおう)元年(がんねん)(1865年(ねん)) 末広(すえひろ)(扇子(せんす))をマスに見立(みた)てた五十三次(ごじゅうさんつぎ)の道中双六(どうちゅうすごろく)です。右下(みぎした)の振(ふ)り出(だ)し・日本橋(にほんばし)の「東雲(しののめ)の景(けい)」から始(はじ)まって、すべて行列(ぎょうれつ)が描(えが)きこまれていますが、中央(ちゅうおう)の上(あ)がりの京(きょう)では、公家(くげ)装束(しょうぞく)の人物(じんぶつ)が三方(さんぽう)に乗(の)せたお墨付(すみつ)き(文(ぶん))をかしこまる武士(ぶし)に与(あた)えている画(え)で、徳川将軍(とくがわしょうぐん)家茂(いえもち)の上洛(じょうらく)、参内(さんだい)(宮中(きゅうちゅう)への参上(さんじょう))の絵(え)であることをほのめかしています。 藤沢宿(ふじさわしゅく)には、名所(めいしょ)であった「南湖(なんご)のまつ原(はら)」が描(えが)かれています。南湖(なんこ)は現在(げんざい)、茅ヶ崎(ちがさき)市域(しいき)になりますが、当時(とうじ)は藤沢宿(ふじさわしゅく)の延長(えんちょう)としてとらえられ、浮世絵(うきよえ)などには藤沢宿(ふじさわしゅく)の風景(ふうけい)の定番(ていばん)のひとつでした。
東海道(とうかいどう)末広(すえひろ)五十三次(ごじゅうさんつぎ)名所(めいしょ)双六(すごろく)
作者(さくしゃ)、制作(せいさく)年代(ねんだい)不詳(ふしょう) 表題(ひょうだい)は表紙(ひょうし)に墨書(ぼくしょ)されている名称(めいしょう)で、行幸(ぎょうこう)(天皇(てんのう)や上皇(じょうこう)の外出(がいしゅつ)のこと)を指(さ)し、外出(がいしゅつ)に際(さい)し、たどるであろう道筋(みちすじ)を仮定(かてい)したものと思(おも)われます。東海道(とうかいどう)を題材(だいざい)にしていますが、単色(たんしょく)刷(ず)りで古(ふる)い形態(けいたい)のものと思(おも)われ、京都(きょうと)から先(さき)の大坂(おおさか)までの京街道(きょうかいどう)の宿々(しゅくじゅく)や宿(しゅく)の間(あいだ)の観光(かんこう)スポットも含(ふく)んだ、100を超(こ)えるマス(地名(ちめい))が記載(きさい)されています。 「ふりはじめ」(振(ふ)り出(だ)し)は大坂(おおさか)で、草津宿(くさつしゅく)から東海道(とうかいどう)と中山道(なかせんどう)に分(わ)かれ、途中(とちゅう)、伊勢(いせ)や江(え)の島(しま)・鎌倉(かまくら)などの観光(かんこう)スポットを回遊(かいゆう)しながら江戸(えど)に至(いた)るものです。 サイコロは通常(つうじょう)の1~6の目(め)ではなく、五(ご)・十(じゅう)・三(さん)・つ・き・■の六(ろく)面(めん)を用(もち)いていていたようで、 五(ご) やく(役(やく))あるは、しるし有(あり) 印(しるし)なきは、かず(数(かず))の通行(つうこう) 十(じゅう) 右(みぎ)同断(どうだん) 三(さん) 右(みぎ)同断(どうだん) つ やく有(あり)は、しるしあり 印(しるし)なきは、一(ひと)ツ行(いく) き やく有(あり)は、印(しるし)あり 印(しるし)なきは、二(ふた)ツ行(いく) ■ 此(この)(この)目(め)にても、一度(いちど)ツヽ やすみ(休(やす)み) と図(ず)中(ちゅう)に解説(かいせつ)があります。 藤沢宿(ふじさわしゅく)からは砂州(さす)をかたどった道(みち)が「江(え)のしま」に伸(の)び、さらに、大(おお)ほとけ(大仏(だいぶつ))、ゆきの下(した)(雪ノ下(ゆきのした))、ゆいがはま(由比ヶ浜(ゆいがはま))、かまくら(鎌倉(かまくら))、つるがおか(鶴岡(つるがおか))、くわうめうじ(光明寺(こうみょうじ))、かなさは(金沢(かなざわ))、よくみ山(やま)(能見台(のうけんだい))を経(へ)て神奈川宿(かながわしゅく)に至(いた)るルートが記(しる)されています。
みゆ記(き)双六(すごろく)
本図(ほんず)は大阪(おおさか)で発行(はっこう)された双六(すごろく)です。振(ふ)り出(だ)しのコマには「西京(さいきょう)」と書(か)いてあり、京(きょう)から日本橋(にほんばし)を目指(めざ)して進(すす)みます。 こまの図(ず)には洋装(ようそう)の人々(ひとびと)や汽車(きしゃ)など近代(きんだい)的(てき)な題材(だいざい)も多(おお)く取(と)り上(あ)げられていますが、各(かく)宿場(しゅくば)の名所(めいしょ)・名物(めいぶつ)など江戸時代(えどじだい)からの主題(しゅだい)も描(えが)かれています。日坂(にっさか)のコマのように両方(りょうほう)の要素(ようそ)を兼(か)ね備(そな)えた描写(びょうしゃ)のこまもあります。日坂(にっさか)のこまには江戸時代(えどじだい)の東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)でもよく描(えが)かれた街道(かいどう)の名物(めいぶつ)「夜泣(よな)き石(いし)」が描(えが)かれています。夜泣(よな)き石(いし)を見物(けんぶつ)している男性(だんせい)二(ふた)人(り)は洋装(ようそう)で、江戸時代(えどじだい)の画題(がだい)を踏襲(とうしゅう)しながらも近代(きんだい)的(てき)に描(えが)かれています。 上(あ)がりのこまにはそろいの着物(きもの)を着(き)た七福神(しちふくじん)が小判(こばん)の降(ふ)る中(なか)、踊(おど)っている様子(ようす)を描(えが)いています。まるでゴールを祝(いわ)ってくれているようです。
東海道五拾三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)之(の)図(ず)
東海道(とうかいどう)の道順(みちじゅん)を題材(だいざい)にした道中双六(どうちゅうすごろく)です。各(かく)コマには歌川広重(うたがわひろしげ)が天保(てんぽう)3-4年 (1832-3頃(ころ)に描(えが)いた浮世絵(うきよえ)の揃(そろい)物(もの)「東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)(保永(ほえい)堂(どう)版(ばん))」の図(ず)が引用(いんよう)されています。各(かく)コマは人物(じんぶつ)の省略(しょうりゃく)などされた簡略化(かんりゃくか)した図(ず)となっており、引用元(いんようもと)の図(ず)と違(ちが)う部分(ぶぶん)もあります。しかし、元(もと)の浮世絵(うきよえ)の特徴(とくちょう)をとらえてコマの図(ず)に落(お)とし込(こ)んでいます。
五(ご)十三駅(じゅうさんつぎ)梅(うめ)のはなくらべ
大正(たいしょう) 12 年(ねん)(1923)に東京(とうきょう)を中心(ちゅうしん)に関東(かんとう)一帯(いったい)を襲(おそ)った関東大震災(かんとうだいしんさい)は、日本(にっぽん)の歴史(れきし)史上(しじょう)の中(なか)でも特(とく)に被害(ひがい)の大(おお)きかった震災(しんさい)の1つとして今日(こんにち)まで語(かた)られています。この双六(すごろく)は震災(しんさい)から人々(ひとびと)が立(た)ち上(あ)がり、復興(ふっこう)するまでを辿(たど)ります。
大東京(だいとうきょう)復興(ふっこう)双六(すごろく)
初代(しょだい)広重(ひろしげ)の「六十余州名所図会(ろくじゅうよしゅうめいしょずえ)」の図(ず)を引用(いんよう)した双六(すごろく)です。元(もと)の図(ず)が大判(おおばん)錦絵(にしきえ)であるため、細(こま)かい部分(ぶぶん)は省略(しょうりゃく)されていますが、一(いち)画面(がめん)の中(なか)での構図(こうず)は元(もと)の図(ず)に忠実(ちゅうじつ)なものとなっています。
大日本(だいにっぽん)六(ろく)十(じゅう)余(よ)州(しゅう) 名所(めいしょ)一覧(いちらん)振分(ふりわけ)双六(すごろく)
歌川広重(うたがわひろしげ)が安政(あんせい)2年(ねん)(1855)年(ねん)に手掛(てが)けた「浮世(うきよ)道中(どうちゅう)膝栗毛(ひざくりげ)滑稽(こっけい)双六(すごろく)」を、明治(めいじ) 31 年(ねん)に三代(さんだい)歌川国貞(うたがわくにさだ)(さんだい うたがわくにさだ)が改(あらた)めて描(えが)いた図(ず)です。広重(ひろしげ)が手掛(てが)けた元(もと)の双六(すごろく)が人気(にんき)であったためか、復刻(ふっこく)のかたちで制作(せいさく)されたのでしょう。おもしろおかしい人々(ひとびと)の様子(ようす)がそっくりそのまま描(えが)かれています。江戸時代(えどじだい)とは異(こと)なった明治時代(めいじじだい)らしい強(つよ)い色(いろ)使(づか)いが目(め)を引(ひ)きます。
東海(とうかい)旧道(きゅうどう)膝栗毛(ひざくりげ)滑稽(こっけい)双六(すごろく)