Fujisawa Net Museum

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制作(せいさく)時期(じき):嘉永(かえい)6(ねん)(1853)。
板元(はんもと):若与(わかよ)

立派(りっぱ)()(もの)()った貴人(きじん)()(しま)参詣(さんけい)()えて、片瀬(かたせ)(はま)小動(こゆるぎ)(さき)()七里ガ浜(しちりがはま)(むか)うところでしょうか。
挟箱(はさみばこ)先頭(せんとう)長刀(なぎなた)羅紗(らしゃ)(いり)(ふくろ)日傘(ひがさ)(こし)(もの)(づつ)履物(はきもの)(もち)など行列(ぎょうれつ)威儀(いぎ)(ただ)し、御殿(ごてん)女中(じょちゅう)たちは(そろ)いの(うめ)模様(もよう)着物(きもの)(そろ)いの日傘(ひがさ)()し、(もの)()ちは藤花(ふじはな)(あさ)()模様(もよう)振袖(ふりそで)姿(すがた)、4(にん)六尺(ろくしゃく)(かつ)緋色(ひいろ)松竹梅(しょうちくばい)模様(もよう)羅紗(らしゃ)日覆(ひおおい)をかけた乗物(のりもの)周囲(しゅうい)には、(いろ)とりどりの裲襠(うちかけ)姿(すがた)上臈(じょうろう)たちがいて、その(うしろ)には菅傘(すげがさ)(さむらい)(れつ)(つづ)いています。この乗物(のりもの)(あるじ)は、相当(そうとう)身分(みぶん)(たか)大名(だいみょう)奥方(おくがた)大奥(おおおく)行列(ぎょうれつ)想像(そうぞう)させます。
()(しま)弁財天(べんざいてん)家康(いえやす)慶長(けいちょう)5(ねん)(1600(ねん))に関東(かんとう)下向(げこう)したときに参詣(さんけい)して以来(いらい)代々(だいだい)将軍家(しょうぐんけ)祈祷(きとう)(しょ)となったことや、五代(ごだい)将軍(しょうぐん)綱吉(つなよし)病気(びょうき)杉山検校(すぎやまけんぎょう)祈祷(きとう)治療(ちりょう)によって平癒(へいゆ)したこともあって、大奥(おおおく)(およ)(しょ)大名(だいみょう)からの信仰(しんこう)(おお)(あつ)めたといわれています。上空(じょうくう)()二羽(にわ)(つる)大奥(おおおく)参詣(さんけい)行列(ぎょうれつ)であることを、広重(ひろしげ)はそれとなく表現(ひょうげん)しているように(おも)われます。

歌川広重 江のしま参詣の図

()のしま参詣(さんけい)()

()(しま)富士(ふじ)という(ふた)つの名勝(めいしょう)有名(ゆうめい)景色(けしき))を(のぞ)()として、本図(ほんず)のような七里が浜(しちりがはま)からの(なが)めは風景画(ふうけいが)(この)んで(えが)かれました。画面(がめん)(みぎ)()える「カタセ」(片瀬(かたせ))は、()(しま)()かう門前町(もんぜんまち)(お(てら)神社(じんじゃ)(そと)にある(まち))として、旅館(りょかん)土産物店(みやげものてん)(のき)(つら)ねました。その(ひだり)()える小高(こだか)(しま)小動岬(こゆるぎみさき)です。

本作(ほんさく)東海道(とうかいどう)名所(めいしょ)風景(ふうけい)に、当代諸家(とうだいしょか)発句集(ほっくしゅう)(はい)した絵俳書(えばいしょ)です。嘉永(かえい)4(ねん)(1851)に版元(はんもと)永楽屋丈助(えいらくやじょうすけ)より刊行(かんこう)された『東海道名所発句集(とうかいどうめいしょほっくしゅう)』の改題本(かいだいぼん)で、(もと)版本(はんぽん)として()()されたものが、江戸(えど)から伊豆(いず)にかけての風景(ふうけい)画帖(がじょう)形式(けいしき)再版(さいはん)されたものらしく、各図(かくず)独立(どくりつ)した一枚(いちまい)()として鑑賞(かんしょう)できるようになっています。本作(ほんさく)(えが)いた時期(じき)広重(ひろしげ)天童藩(てんどうはん)からの依頼(いらい)により多数(たすう)肉筆画(にくひつが)(えが)いており、自然(しぜん)奥行(おくゆ)きを(かん)じさせる構図(こうず)や、(あお)みがかった(あわ)色調(しきちょう)など、肉筆(にくひつ)直接(ちょくせつ)(ふで)(えが)いた作品(さくひん))の風景画(ふうけいが)(つう)じる表現(ひょうげん)()られます。

東海道(とうかいどう)名所(めいしょ) 七里(しちり)(はま)

本作(ほんさく)()(しお)()()(しま)(えが)かれており、参詣(さんけい)()かう人々(ひとびと)砂洲(さす)(ある)様子(ようす)()られます。この砂洲(さす)は「洲鼻(すばな)」と()ばれ、現在(げんざい)もこの(みち)(つう)じる(みち)洲鼻通(すばなどお)り」にその()(のこ)っています。なお江戸時代(えどじだい)は、現在(げんざい)のように()(しま)までの(はし)()かっていなかったため、()(しお)(とき)(ふね)()って江の島(えのしま)(わた)りました。

本作(ほんさく)東海道(とうかいどう)名所(めいしょ)風景(ふうけい)に、当代諸家(とうだいしょか)発句集(ほっくしゅう)(はい)した絵俳書(えばいしょ)です。嘉永(かえい)4(ねん)(1851)に版元(はんもと)永楽屋丈助(えいらくやじょうすけ)より刊行(かんこう)された『東海道名所発句集(とうかいどうめいしょほっくしゅう)』の改題本(かいだいぼん)で、(もと)版本(はんぽん)として()()されたものが、江戸(えど)から伊豆(いず)にかけての風景(ふうけい)画帖(がじょう)形式(けいしき)再版(さいはん)されたものらしく、各図(かくず)独立(どくりつ)した一枚(いちまい)()として鑑賞(かんしょう)できるようになっています。本作(ほんさく)(えが)いた時期(じき)広重(ひろしげ)天童藩(てんどうはん)からの依頼(いらい)により多数(たすう)肉筆画(にくひつが)(えが)いており、自然(しぜん)奥行(おくゆ)きを(かん)じさせる構図(こうず)や、(あお)みがかった(あわ)色調(しきちょう)など、肉筆(にくひつ)直接(ちょくせつ)(ふで)(えが)いた作品(さくひん))の風景画(ふうけいが)(つう)じる表現(ひょうげん)()られます。

東海道(とうかいどう)名所(めいしょ) ()(しま)

(かみなり)はゴロゴロ()(そら)(くら)く、雨風(あめかぜ)(はげ)しい(なか)(ある)弥次喜多(やじきた)弥次(やじ)さんは(みの)をかぶっていますが、喜多(きた)さんは(なに)()()けていないのでどんなに(いそ)いでも()れてしまうと弥次(やじ)さんにぼやいています。ダイナミックな(うご)きで(ちか)くの茶屋(ちゃや)()かって足早(あしばや)()かう二人(ふたり)です。

製作時期(せいさくじき):万延元年(まんえん)(1860)。
板元(はんもと):當世屋(とうせいや)(品川屋久助(しながわやきゅうすけ))

このシリーズは(だい)ヒットした十返舎一九(じっぺんしゃいっく)の『東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)』を()して(つく)られています。各宿(かくやど)には弥次(やじ)さん、(きた)さんが登場(とうじょう)し、芳幾(よしいく)二人(ふたり)のくりひろげる道中(どうちゅう)模様(もよう)をユーモラスに(えが)き、魯文(ろぶん)各宿(かくやど)のテーマとなる文章(ぶんしょう)狂歌一句(きょうかいっく)二人(ふたり)会話(かいわ)をおもしろおかしく(しる)しています。

東海道中栗毛彌次馬 関駅

東海道(とうかいどう)(ちゅう)栗毛(くりげ)彌次馬(やじうま) 関駅(せきえき)



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