ふりがな
江の島の歴史
江の島歴史年表
江の島散策マップ
江の島の文化財
江の島を訪れた人々
資料種類しりょうしゅるい(大分類だいぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(中分類ちゅうぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(小分類しょうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(大分類だいぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(中分類ちゅうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(小分類しょうぶんるい):
作者さくしゃ(50音分類おんぶんるい):
作者さくしゃ:
フリーワード:
十返舎(じっぺんしゃ)一九(いっく)(1765-1831)は江戸時代(えどじだい)後期(こうき)の戯作者(げさくしゃ)で、『東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)』をはじめとする数々(かずかず)の人気(にんき)小説(しょうせつ)を手掛(てが)けました。本作(ほんさく)は、江戸時代(えどじだい)の印刷物(いんさつぶつ)には珍(めずら)しい両面(りょうめん)摺(す)りとなっていて、展示(てんじ)している面(めん)は、街道(かいどう)が隙間(すきま)なく記(しる)され、宿場(しゅくば)間(かん)の距離(きょり)が示(しめ)されています。裏面(うらめん)は、江戸城(えどじょう)を中心(ちゅうしん)に、江戸(えど)の町(まち)なみが俯瞰(ふかん)するように描(えが)かれています。
御江(おえ)都(ど)神社(じんじゃ)佛閣(ぶっかく)名所(めいしょ)并(ならびに)諸(しょ)所(しょ)道中(どうちゅう)旅(たび)雀(すずめ)
歌川広重(うたがわひろしげ)自身(じしん)が手掛(てが)けた大(だい)ヒットシリーズ「東海道五拾三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)(保永(ほえい)堂(どう)版(ばん))」の双(すご)六(ろく)版(はん)です。元(もと)のシリーズが非常(ひじょう)に人気(にんき)であったため、その約(やく)10年後(ねんご)にこういった双六(すごろく)が手掛(てが)けられたのでしょう。
五(ご)十三駅(じゅうさんつぎ)東海道(とうかいどう)富士見(ふじみ)双六(すごろく)
右下(みぎした)が振(ふ)り出(だ)し(スタート)でサイコロの目(め)の数(かず)だけ進(すす)み、真(ま)ん中(なか)の上(あ)がり(ゴール)を目指(めざ)す「回(まわ)り双六(すごろく)」で、道中双六(どうちゅうすごろく)ではよく見(み)られる型(かた)です。こちらの双六(すごろく)は「弥次喜多(やじきた)」と呼(よ)ばれる江戸時代(えどじだい)に人気(にんき)のあったキャラクターの物語(ものがたり)を題材(だいざい)をしています。弥次喜多(やじきた)については、別(べつ)のコーナーで詳(くわ)しく解説(かいせつ)します。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)道中双六(どうちゅうすごろく) 名物(めいぶつ)入(いり)
明治時代(めいじじだい)になると西洋化(せいようか)が進(すす)み、日本(にほん)の文化(ぶんか)や習慣(しゅうかん)が変化(へんか)します。この現象(げんしょう)を文明開化(ぶんめいかいか)といい、この双六(すごろく)には、文明開化(ぶんめいかいか)の象徴(しょうちょう)である「蒸気(じょうき)(機関(きかん))車(しゃ)(the steam locomotive)」や「人力車(じんりきしゃ)(rickshaws)」といった様々(さまざま)な種類(しゅるい)の車(くるま)がコマに描(えが)かれています。右下(みぎした)の振(ふ)り出(だ)し(The starting point)のコマに描(えが)かれているのは、「大砲(たいほう)車(しゃ)(たいほうしゃ)(車輪(しゃりん)の付(つ)いた移動(いどう)式(しき)の大砲(たいほう))」で、中央(ちゅうおう)の上(あが)り(The ending point)には「御所車(ごしょぐるま)(牛車(ぎゅうしゃ))」(ごしょぐるま)が描(えが)かれた、廻(まわ)り双六(すごろく)(Mawari Sugoroku: Touring Sugoroku Board Game)です。
流行(りゅうこう)車(くるま)尽(づく)し廻(まわり)双六(すごろく)
日本橋(にほんばし)を振(ふ)り出(だ)し、京(きょう)を上(あ)がりとしています。十返舎(じっぺんしゃ)一九(いっく)の『東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)』の内容(ないよう)を描(えが)いた双六(すごろく)です。それぞれのこまに俳句(はいく)が添(そ)えられていますが、絵(え)の内容(ないよう)とはあまり関係(かんけい)が無(な)いようです。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)滑稽(こっけい)双六(すごろく)
江戸(えど)・恵比寿(えびす)屋(や)庄(しょう)七(なな)版(はん) 嘉永(かえい)5年(ねん)(1852年(ねん)) たて53.4 よこ74.8 日本橋(にほんばし)を振(ふ)り出(だ)し、京都(きょうと)が上(あ)がりとなっています。東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)の宿場(しゅくば)以外(いがい)にも、大森(おおもり)・四(よ)ツ谷(や)追分(おいわけ)などといった地点(ちてん)がマスの対象(たいしょう)されていて、神奈川宿(かながわしゅく)の新町(しんまち)から杉田(すぎた)・金沢(かなざわ)・鎌倉(かまくら)・江(え)の島(しま)を経(へ)て藤沢宿(ふじさわしゅく)へ戻(もど)るといったルートも組(く)み込(こ)まれています。 藤沢宿(ふじさわしゅく)の名物(めいぶつ)は「砂糖漬(さとうづけ)」とありますが、これは江戸時代(えどじだい)から藤沢宿(ふじさわしゅく)にあり現在(げんざい)も和菓子屋(わがしや)を続(つづ)けている豊島屋(としまや)(嘉永(かえい)2年(ねん)創業(そうぎょう)、現在(げんざい)の豊島屋本店(としまやほんてん)。もと砂糖(さとう)店(てん))が調製(ちょうせい)した浜防風(はまぼうふう)などの砂糖漬(さとうづ)けが参勤交代(さんきんこうたい)の土産(みやげ)として有名(ゆうめい)であったという話(はなし)と合致(がっち)します。浜防風(はまぼうふう)は海岸(かいがん)の砂地(すなじ)に自生(じせい)するセリ科(か)の植物(しょくぶつ)で、江戸(えど)から明治時代(めいじじだい)にかけて、湘南(しょうなん)地方(ちほう)の名産(めいさん)品(ひん)のひとつに挙(あ)げられていました。 また、藤沢(ふじさわ)の隣(となり)のマス「四(よ)ツ谷(や)追分(おいわけ)」には、今(いま)も残(のこ)る「大山道(おおやまみち)」の道標(どうひょう)や、大山(おおやま)に奉納(ほうのう)する木太刀(きだち)や、奉納(ほうのう)の酒(さけ)や大山(おおやま)でいただいた神水(じんずい)を運(はこ)ぶための御神酒(おみき)枠(わく)をかついだ大山(おおやま)詣(もう)での姿(すがた)が描(えが)かれています。
東海道(とうかいどう)遊歴(ゆうれき)双六(すごろく)