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江の島の歴史
江の島歴史年表
江の島散策マップ
江の島の文化財
江の島を訪れた人々
資料種類しりょうしゅるい(大分類だいぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(中分類ちゅうぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(小分類しょうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(大分類だいぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(中分類ちゅうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(小分類しょうぶんるい):
作者さくしゃ(50音分類おんぶんるい):
作者さくしゃ:
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製作時期(せいさくじき):明治(めいじ)8年(ねん)。 板元(はんもと):山清(やませい)(山崎屋清七(やまざきやせいしち)) 三代広重(さんだいひろしげ)描(えが)くこのシリーズは、明治(めいじ)前期(ぜんき)の東海道各宿駅(とうかいどうかくしゅくえき)の風景(ふうけい)が華(はな)やかな色彩(しきさい)(幕末(ばくまつ)から明治初期(めいじしょき)に海外(かいがい)からあざやかな科学顔料(かがくがんりょう)が入(はい)り使用(しよう)される)で描(えが)かれています。 秋葉山(あきはさん)を背景(はいけい)に、二瀬川(ふたせがわ)を渡(わた)る人力車(じんりきしゃ)が描(えが)かれています。人力車(じんりきしゃ)には、帽子(ぼうし)をかぶった男性(だんせい)が洋(よう)傘(かさ)をさして乗(の)っています。鳥居(とりい)をくぐると、火除(ひよ)けの信仰(しんこう)で有名(ゆうめい)な秋葉(あきは)神社(じんじゃ)のある秋葉山(あきはさん)へ向(む)かう秋葉(あきは)道(みち)へと続(つづ)きます。
東海(とうかい)名所(めいしょ) 改正(かいせい)道中(どうちゅう)記(き) 二十(にじゅう)九(きゅう) 秋葉(あきは)道(みち)追分(おいわけ) 掛川(かけがわ) 袋井(ふくろい)迄(まで)二(に)り二十(にじゅう)七(なな)丁(ちょう)
製作時期(せいさくじき):明治(めいじ)8年(ねん)。 板元(はんもと):山清(やませい)(山崎屋清七(やまざきやせいしち)) 三代広重(さんだいひろしげ)描(えが)くこのシリーズは、明治(めいじ)前期(ぜんき)の東海道各宿駅(とうかいどうかくしゅくえき)の風景(ふうけい)が華(はな)やかな色彩(しきさい)(幕末(ばくまつ)から明治初期(めいじしょき)に海外(かいがい)からあざやかな科学顔料(かがくがんりょう)が入(はい)り使用(しよう)される)で描(えが)かれています。 猿ケ馬場(さるがばば)は、旅人(たびびと)たちが休憩(きゅうけい)する宿場(しゅくば)と宿場(しゅくば)の間(あいだ)に設(もう)けられた立場(たてば)で、柏餅(かしわもち)が名物(めいぶつ)でした。茶屋(ちゃや)の看板(かんばん)にも、名物(めいぶつ)かしわ餅(もち)の字(じ)が書(か)かれています。
東海(とうかい)名所(めいしょ) 改正(かいせい)道中(どうちゅう)記(き) 三(さん)十(じゅう)七(なな) 猿(さる)か馬場(ばば) 二川(ふたがわ) 豊橋(とよはし)迄(まで)一(いち)り二十(にじゅっ)丁(ちょう)
製作時期(せいさくじき):明治(めいじ)8年(ねん)。 板元(はんもと):山清(やませい)(山崎屋清七(やまざきやせいしち)) 三代広重(さんだいひろしげ)描(えが)くこのシリーズは、明治(めいじ)前期(ぜんき)の東海道各宿駅(とうかいどうかくしゅくえき)の風景(ふうけい)が華(はな)やかな色彩(しきさい)(幕末(ばくまつ)から明治初期(めいじしょき)に海外(かいがい)からあざやかな科学顔料(かがくがんりょう)が入(はい)り使用(しよう)される)で描(えが)かれています。 汐見(しおみ)坂(ざか)から遠州灘(えんしゅうなだ)を眺(なが)めている旅人(たびと)たちの中(なか)には、洋装(ようそう)の男性(だんせい)も描(えが)かれています。白須賀(しらすか)の手前(てまえ)の汐(しお)見坂(みざか)は、有名(ゆうめい)な景勝(けいしょう)地(ち)でした。京都(きょうと)から江戸(えど)への道(みち)では、初(はじ)めて海(うみ)が見(み)える場所(ばしょ)である一方(いっぽう)、江戸(えど)から京都(きょうと)への道(みち)では富士山(ふじさん)の見(み)える最後(さいご)の場所(ばしょ)でもあります。
東海(とうかい)名所(めいしょ) 改正(かいせい)道中(どうちゅう)記(き) 三(さん)十六(じゅうろく) 汐見(しおみ)坂(さか)の景(けい) 白須賀(しらすか) 二川(ふたがわ)迄(まで)一里(いちり)廿(にじゅう)四(よん)丁(ちょう)
製作時期(せいさくじき):明治(めいじ)8年(ねん) 。 板元(はんもと):山清(やませい)(山崎屋清七(やまざきやせいしち)) 三代広重(さんだいひろしげ)描(えが)くこのシリーズは、明治(めいじ)前期(ぜんき)の東海道各宿駅(とうかいどうかくしゅくえき)の風景(ふうけい)が華(はな)やかな色彩(しきさい)(幕末(ばくまつ)から明治初期(めいじしょき)に海外(かいがい)からあざやかな科学顔料(かがくがんりょう)が入(はい)り使用(しよう)される)で描(えが)かれています。 景勝(けいしょう)地(ち)として知(し)られていた堀(ほり)江村(えむら)(現(げん)・館山(かんざん)寺町(じちょう))の風景(ふうけい)が描(えが)かれています。左手(ひだりて)に小(ちい)さく見(み)えているのが館(かん)山寺(ざんじ)で、弘法大師(こうぼうだいし)の開山(かいざん)と伝(つた)えられています。ここでも洋(よう)傘(かさ)をさしている人物(じんぶつ)が描(えが)かれています。
東海(とうかい)名所(めいしょ) 改正(かいせい)道中(どうちゅう)記(き) 三十五(さんじゅうご) 浜名(はまな)の湖(みずうみ) あら井(い) 白須賀(しらすか)迄(まで)一里(いちり)廿(にじゅう)四(よん)丁(ちょう)
製作時期(せいさくじき):明治(めいじ)8年(ねん)。 板元(はんもと):山清(やませい)(山崎屋清七(やまざきやせいしち)) 堀留運河(ほりどめうんが)を通(とお)って着(つ)く浜名湖(はまなこ)の西岸(せいがん)の山道(やまみち)からみえる景色(けしき)を描(えが)いています。 山道(やまみち)の上(うえ)から浜名湖(はまなこ)の景色(けしき)に見入(みい)る洋服姿(ようふくすがた)の二人(ふたり)の男性(だんせい)と、山道(やまみち)を登(のぼ)ってくる旅姿(たびすがた)の男性(だんせい)二人(ふたり)の姿(すがた)が見(み)えます。 三代広重(さんだいひろしげ)描(えが)くこのシリーズは、明治(めいじ)前期(ぜんき)の東海道各宿駅(とうかいどうかくしゅくえき)の風景(ふうけい)が華(はな)やかな色彩(しきさい)(幕末(ばくまつ)から明治初期(めいじしょき)に海外(かいがい)からあざやかな科学顔料(かがくがんりょう)が入(はい)り使用(しよう)される)で描(えが)かれています。
東海(とうかい)名所(めいしょ) 改正(かいせい)道中(どうちゅう)記(き) 三十三(さんじゅうさん) 下(した) 日野岡(ひのおか) 新所(しんしょ)の景(けい)
製作時期(せいさくじき):明治(めいじ)8年(ねん)。 板元(はんもと):山清(やませい)(山崎屋清七(やまざきやせいしち)) 明治(めいじ)4(1871)年(ねん)に開通(かいつう)した堀留運河(ほりどめうんが)の東側(ひがしがわ)の乗降場(じょうこうじょう)の場面(ばめん)を描(えが)いています。 堀留運河(ほりどめうんが)は、浜松(はままつ)から舞坂(まいさか)・荒井(あらい)・白須賀(しらすか)を通(とお)らずに、浜名湖(はまなこ)西岸(せいがん)の新所(しんじょ)まで通行(つうこう)でき、新(あたら)しい航路(こうろ)として非常(ひじょう)に賑(にぎ)わいました。 三代広重(さんだいひろしげ)描(えが)くこのシリーズは、明治(めいじ)前期(ぜんき)の東海道各宿駅(とうかいどうかくしゅくえき)の風景(ふうけい)が華(はな)やかな色彩(しきさい)(幕末(ばくまつ)から明治初期(めいじしょき)に海外(かいがい)からあざやかな科学顔料(かがくがんりょう)が入(はい)り使用(しよう)される)で描(えが)かれています。
東海(とうかい)名所(めいしょ) 改正(かいせい)道中(どうちゅう)記(き) 三十三(さんじゅうさん) 堀(ほり)とめのわたし 通船(つうせん)立場(たてば)
製作時期(せいさくじき):明治(めいじ)8年(ねん)。 板元(はんもと):山清(やませい)(山崎屋清七(やまざきやせいしち)) 三代広重(さんだいひろしげ)描(えが)くこのシリーズは、明治(めいじ)前期(ぜんき)の東海道各宿駅(とうかいどうかくしゅくえき)の風景(ふうけい)が華(はな)やかな色彩(しきさい)(幕末(ばくまつ)から明治初期(めいじしょき)に海外(かいがい)からあざやかな科学顔料(かがくがんりょう)が入(はい)り使用(しよう)される)で描(えが)かれています。 初代(しょだい)広重(ひろしげ)による行書(ぎょうしょ)東海道(とうかいどう)の浜松(はままつ)図(ず)とよく似(に)た構図(こうず)で描(えが)かれています。松(まつ)を鑑賞(かんしょう)する人物(じんぶつ)の一人(ひとり)は、洋傘(ようがさ)を持(も)っています。ざざんざの松(まつ)とは、海岸(かいがん)近(ちか)くの松(まつ)のことを言(い)い、昔(むかし)、将軍(しょうぐん)足利(あしかが)義政(よしまさ)が、この松(まつ)の下(した)で宴(うたげ)を開(ひら)いて、「浜松(はままつ)の音(おと)はざざんさ」とうたったことから、この名(な)がついたと言(い)われています。
東海(とうかい)名所(めいしょ) 改正(かいせい)道中(どうちゅう)記(き) 三(さん)十二(じゅうに) 名所(めいしょ)ざざんざの松(まつ) 浜松(はままつ) 舞坂(まいさか)迄(まで)三(さん)里(り)
製作時期(せいさくじき):明治(めいじ)8年(ねん)。 板元(はんもと):山清(やませい)(山崎屋清七(やまざきやせいしち)) その急流(きゅうりゅう)さから「暴(あば)れ天竜(てんりゅう)」として知(し)られ、舟渡(ふなわた)しが行(おこな)われていた天竜川(てんりゅうがわ)にも橋(はし)が架(か)かりました。 三代広重(さんだいひろしげ)描(えが)くこのシリーズは、明治(めいじ)前期(ぜんき)の東海道各宿駅(とうかいどうかくしゅくえき)の風景(ふうけい)が華(はな)やかな色彩(しきさい)(幕末(ばくまつ)から明治初期(めいじしょき)に海外(かいがい)からあざやかな科学顔料(かがくがんりょう)が入(はい)り使用(しよう)される)で描(えが)かれています。
東海(とうかい)名所(めいしょ) 改正(かいせい)道中(どうちゅう)記(き) 三(さん)十一(じゅういち) 天龍川(てんりゅうがわ)仮橋(かりばし) 見附(みつけ) はま松(しょう)迄(まで)四(よん)里(り)