Fujisawa Net Museum

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制作(せいさく)時期(じき):文久(ぶんきゅう)元年(がんねん)(1861)。
板元(はんもと):森治(もりはる)

手前(てまえ)には豪華(ごうか)着物(きもの)()男性(だんせい)と、腰元(こしもと)(ふう)女性(じょせい)、また(かい)(ひろ)いをする少女(しょうじょ)(えが)かれています。駕籠(かご)()って()(しま)参詣(さんけい)にやってきた様子(ようす)です。このような()は「源氏絵(げんじえ)」と()ばれますが、平安時代(へいあんじだい)源氏物語(げんじものがたり)題材(だいざい)にした()ではなく、国貞(くにさだ)挿絵(さしえ)(えが)いた合巻(ごうかん)偐紫田舎源氏(にせむらさきいなかげんじ)(にせむらさきいなかげんじ)』(1829~42)の登場人物(とうじょうじんぶつ)(えが)かれた作品(さくひん)です。主人公(しゅじんこう)は、足利義政(あしかがよしまさ)妾腹(しょうふく)()という設定(せってい)光氏(みつうじ)画面(がめん)(みぎ)男性(だんせい))です。背景(はいけい)には、(たか)さを強調(きょうちょう)して(えが)かれた()(しま)と、そこへ(つづ)広々(ひろびろ)とした洲鼻(すばな)()(しま)陸地(りくち)(つな)砂州(さす))が(はい)され、また富士(ふじ)(おお)きく(えが)かれており、名所絵(めいしょえ)としても(すぐ)れた作品(さくひん)となっています。

二代(にだい)歌川広重(うたがわひろしげ)三代(さんだい)歌川(うたがわ)豊国(とよくに)合作(がっさく)で「源氏絵(げんじえ)」の(ひと)つです。画面(がめん)手前(てまえ)(ひかり)(きみ)一行(いっこう)三代(さんだい)豊国(とよくに)背景(はいけい)()(しま)富士山(ふじさん)(およ)参詣(さんけい)人々(ひとびと)二代(にだい)広重(ひろしげ)(えが)いています。『偐紫田舎源氏(にせむらさきいなかげんじ)』の(いち)場面(ばめん)(えが)いたものではなく、光源氏(ひかるげんじ)だけが物語(ものがたり)から(はな)れて各地(かくち)名所(めいしょ)(おとず)れるという設定(せってい)がなされています。主人公(しゅじんこう)光源氏(ひかるげんじ)のスタイルは三代(みじろ)豊国(とよくに)創案(そうあん)によるもので、(だい)(まげ)(もとどり)(むらさき)(ひも)(よう)(さき)(ふた)つに()った海老(えび)茶筌(ちゃせん)(まげ)()い、歌舞伎(かぶき)衣裳(いしょう)のような派手(はで)()()ちで登場(とうじょう)するのが特徴(とくちょう)となっています。物語(ものがたり)室町時代(むろまちじだい)設定(せってい)していますが、風俗(ふうぞく)江戸(えど)大奥(おおおく)(おも)わせます。以後(いご)このスタイルが「源氏絵(げんじえ)」の定型(ていけい)となります。

三代歌川豊国・二代歌川広重 相州江之嶋

相州(そうしゅう)()()(しま)

制作(せいさく)時期(じき):弘化(こうか)年間(ねんかん)(1844~47)。
板元(はんもと):布吉(ぬのきち)

三代(さんだい)豊国(とよくに)文政(ぶんせい)12(ねん)(1829(ねん))柳亭種彦(りゅうていたねひこ)(さく)偐紫田舎源氏(にせむらさきいなかげんじ)合巻(ごうかん)挿絵(さしえ)評判(ひょうばん)となり、弘化(こうか)元年(がんねん)(1844(ねん))豊国(とよくに)(ごう)()ぎ、以後(いご)乱作(らんさく)傾向(けいこう)となり画風(がふう)類型(るいけい)(てき)となります 。
 画面(がめん)は、()(しま)富士(ふじ)背景(はいけい)に3(にん)女性(じょせい)が、それぞれのしぐさで(えが)かれています。左端(ひだりはし)女性(じょせい)火打金(ひうちがね)右手(みぎて))と火打(ひう)(いし)打合(うちあわ)せようとしています。また、右端(みぎはし)女性(じょせい)()煙管(きせる)には疱瘡(ほうそう)()天然痘(てんねんとう)(あか)(ぬの)()()けられ、いずれも(たび)安全(あんぜん)(いの)るまじないです。

三代(さんだい)豊国(とよくに)文政(ぶんせい)12(ねん)(1829(ねん))柳亭種彦(りゅうていたねひこ)(さく)偐紫田舎源氏(にせむらさきいなかげんじ)合巻(ごうかん)挿絵(さしえ)評判(ひょうばん)となり、弘化(こうか)元年(がんねん)(1844(ねん))豊国(とよくに)(ごう)()ぎ、以後(いご)乱作(らんさく)傾向(けいこう)となり画風(がふう)類型(るいけい)(てき)となります。他方(たほう)では工芸(こうげい)(てき)要素(ようそ)()し、美人(びじん)役者(やくしゃ)シリーズものを(おお)制作(せいさく)しています。全般的(ぜんぱんてき)には合巻(ごうかん)(るい)挿絵(さしえ)(おお)いようです。文化(ぶんか)天保(てんぽう)年間(ねんかん)若干(じゃっかん)読本(どくほん)挿絵(さしえ)(えが)き、(さら)天保(てんぽう)中期(ちゅうき)(ごろ)風景画(ふうけいが)(えが)いています。
この作品(さくひん)は、国貞(くにさだ)(あらため)二代(にだい)一陽斎(いちようさい)豊国(とよくに)落款(らっかん)されていて、二代(にだい)豊国(とよくに)後継(こうけい)のいざこざのあった時期(じき)作品(さくひん)です。

三代歌川豊国 江の嶌もうで

()(しま)もうで

制作時期(せいさくじき):弘化年間(こうかねんかん)(1844~48)(ごろ)
板元(はんもと):佐野(さの)()

面右(めんみぎ)から(ひだり)()(えが)いて(つづ)七里ヶ浜(しちりがはま)(えが)かれ、遠景(えんけい)には(みぎ)から大山(おおやま)七面山(しちめんざん)龍ノ口(たつのくち)片瀬(かたせ)南古(なんこ)(南湖(なんご))ノ(うら)不二(ふじ)(富士(ふじ))(さん)、それに(つづ)箱根(はこね)、そして()(しま)見渡(みわた)せます。
手前(てまえ)人物(じんぶつ)()(しま)参詣(さんけい)()えて、七里ヶ浜(しちりがはま)(とお)って鎌倉(かまくら)古寺(こじ)(たず)ねる人々(ひとびと)でしょうか。画面(がめん)(みぎ)より、()どもの()(うし)()女性(じょせい)と、その()れの徒歩(とほ)女性(じょせい)(はい)され、中央(ちゅうおう)には(かい)(ひろ)いに(きょう)じる(わか)女性(じょせい)姿(すがた)画面(がめん)(ひだり)には()(しま)()かう道中(どうちゅう)一息(ひといき)()れるために駕籠(かご)から()りようとしている女性(じょせい)がおり、その(はた)(ひたい)(あせ)(ぬぐ)ったり草履(ぞうり)(そろ)えている駕籠舁(かごかき)(えが)かれます。

画面左上隅(がめんひだりうえみす)(かこ)みに「()(しま)より鎌倉(かまくら)道片瀬(みちかたせ)より稲村(いなむら)(さき)まで海辺四十三町(うみべよんじゅうさんまち)六丁(ろくちょう)壱里(いちり)にとりて、七里ガ浜名(しちりがはまな)づく風景(ふうけい)勝地(しょうち)にして諸国(しょこく)嶋山津々浦々(しまやまつつうらうら)はるか海上(かいじょう)(つら)なり、()()壮観(そうかん)(ほか)(こと)なり」とあって、七里ガ浜(しちりがはま)()由来(ゆらい)四季(しき)(つう)じて風光明媚(ふうこうめいび)様子(ようす)説明(せつめい)しています。画面(がめん)(みぎ)から(ひだり)()(えが)いて(つづ)七里ガ浜(しちりがはま)(えが)かれ、遠景(えんけい)には(みぎ)から大山(おおやま)七面山(しちめんざん)龍ノ口(たつのくち)片瀬(かたせ)南古(なんこ)(南湖(なんご))ノ(うら)不二(ふじ)(富士(ふじ))(さん)、それに(つづ)箱根(はこね)、そして()(しま)見渡(みわた)せます。手前(てまえ)人物(じんぶつ)()(しま)参詣(さんけい)()えて、七里ガ浜(しちりがはま)づたいに鎌倉(かまくら)古寺(ふるでら)(たず)ねる人々(ひとびと)でしょうか。

()どもの()(うし)()っていく女性(じょせい)とそのつれの徒歩(とほ)女性(じょせい)、その反対(はんたい)()(しま)(むか)うのか、一息(ひといき)()れるために駕籠(かご)から()りようとしている女性(じょせい)、その(はた)(ひたい)(あせ)(ぬぐ)ったり草履(ぞうり)(そろ)えている駕籠舁(かごかき) がいます。中央(ちゅうおう)では(かい)(ひろ)いに(きょう)じる(わか)女性(じょせい)姿(すがた)もあります。このような足弱(あしよわ)女性(じょせい)老人(ろうじん)などが(うし)()駕籠(かご)などを利用(りよう)したのは事実(じじつ)のようで、この(よう)(うし)()いたちが七里ガ浜(しちりがはま)あたりで旅人(たびびと)()()けて、鎌倉(かまくら)雪ノ下(ゆきのした)まで(うし)()せる(はなし)が、当時(とうじ)紀行文(きこうぶん)十返舎一九(じっぺんしゃ<いっく/rt>)の『滑稽江之嶋土産(こっけいえのしまみやげ)』にも()ています。当時(とうじ)()島参詣(しまさんけい)旅風俗(たびふうぞく)がよく(えが)かれている作品(さくひん)()えます。

歌川広重 相州江のしま詣の図七里が浜真景

相州(そうしゅう)()のしま(もうで)()(しち)()(はま)真景(しんけい)

このシリーズは、その半分(はんぶん)絵柄(えがら)()(しま)への道程(どうてい)をモチーフとしており、(たび)する人々(ひとびと)(この作品(さくひん)では狂歌師(きょうかし))の気持(きも)ちの(たか)まりが名所(めいしょ)名物(めいぶつ)(たく)されて画面(がめん)(えが)かれています。本作品(ほんさくひん)では川崎(かわさき)六郷(ろくごう)(わた)しで(あめ)()られた旅人(たびびと)たちが、()()()っている様子(ようす)(えが)かれます。突然(とつぜん)()()したような(あめ)(せん)には、銀泥(ぎんでい)(ぎん)(ふく)ませた()())が(もち)いられ、その情景(じょうけい)効果的(こうかてき)演出(えんしゅつ)しています。

江島記行(えのしまきこう)()(しま)(かん)する風物(ふうぶつ)(えが)いた、(そろい)(もの)摺物(すりもの)です。摺物(すりもの)とは、狂歌(きょうか)狂歌(きょうか)諧謔的(かいぎゃくてき)な31文字(もじ)(つく)られる())と(うた)(かん)する挿絵(さしえ)(えが)かれた版画作品(はんがさくひん)です。

狂歌(きょうか)()(たち)によって(つく)られた私家版(しかばん)印刷物(いんさつぶつ)のため、採算(さいさん)()ることが前提(ぜんてい)()(もの)浮世絵(うきよえ)とは(こと)なり、(ちい)さい画面(がめん)(うち)にも繊細(せんさい)()りや()(とう)(たか)技術(ぎじゅつ)がふんだんに(もち)いられていることが特徴(とくちょう)です。

本作(ほんさく)画中(がちゅう)に16(まい)(つづ)きの記載(きさい) がありますが、現在(げんざい)発見(はっけん)されているものは14(てん)で、「高輪(たかなわ)ふり()し」「鮫州(さめず)」「大森(おおもり)」「蒲田(かまた)」「六郷(ろくごう)」「鶴見(つるみ)」「神奈川(かながわ)」「浜川(はまかわ)」「下宮(しものみや)」「上宮(かみのみや)」「本宮(ほんぐう)」「兒ヶ淵(ちごがぶち)(稚児ヶ淵(ちごがぶち))」「俎岩(まないたいわ)」「竜洞(りゅうどう)」で、狂歌連(きょうかれん)狂歌(きょうか)のグループ)が()(しま)旅行(りょこう)()った(さい)に、記念(きねん)として制作(せいさく)されたものと(かんが)えられています。

挿絵(さしえ)担当(たんとう)した魚屋北渓(ととやほっけい)北斎(ほくさい)門人(もんじん)一人(ひとり)で、摺物(すりもの)では北斎(ほくさい)をしのぐ技巧(ぎこう)をもつと評価(ひょうか)されるほど、狂歌(きょうか)関連(かんれん)作品(さくひん)得意(とくい)とした絵師(えし)です。

(えの)島記(しまき)(こう) 六郷(ろくごう)

(とうげ)茶屋(ちゃや)(Teahouse)での一場面(いちばめん)(えが)いた作品(さくひん)です。茶屋(ちゃや)(むすめ)(わす)(もの)(わた)していて、旅人(たびびと)男性(だんせい)はユーモラスな表情(ひょうじょう)となっています。(わた)されている帳面(ちょうめん)をみると、「松露通(しょうろかよい)」と()かれていることから、この男性(だんせい)たちが藤沢宿(ふじさわしゅく)湘南(しょうなん)地域(ちいき)名物(めいぶつ)であった松露(しょうろ)(きのこに()(まる)(ちい)さな(かたち)菌類(きんるい))の()()(にん)であることがわかります。

江島記行(えのしまきこう)()(しま)(かん)する風物(ふうぶつ)(えが)いた、(そろい)(もの)摺物(すりもの)です。摺物(すりもの)とは、狂歌(きょうか)狂歌(きょうか)諧謔的(かいぎゃくてき)な31文字(もじ)(つく)られる())と(うた)(かん)する挿絵(さしえ)(えが)かれた版画作品(はんがさくひん)です。

狂歌(きょうか)()(たち)によって(つく)られた私家版(しかばん)印刷物(いんさつぶつ)のため、採算(さいさん)()ることが前提(ぜんてい)()(もの)浮世絵(うきよえ)とは(こと)なり、(ちい)さい画面(がめん)(うち)にも繊細(せんさい)()りや()(とう)(たか)技術(ぎじゅつ)がふんだんに(もち)いられていることが特徴(とくちょう)です。

本作(ほんさく)画中(がちゅう)に16(まい)(つづ)きの記載(きさい) がありますが、現在(げんざい)発見(はっけん)されているものは14(てん)で、「高輪(たかなわ)ふり()し」「鮫州(さめず)」「大森(おおもり)」「蒲田(かまた)」「六郷(ろくごう)」「鶴見(つるみ)」「神奈川(かながわ)」「浜川(はまかわ)」「下宮(しものみや)」「上宮(かみのみや)」「本宮(ほんぐう)」「兒ヶ淵(ちごがぶち)(稚児ヶ淵(ちごがぶち))」「俎岩(まないたいわ)」「竜洞(りゅうどう)」で、狂歌連(きょうかれん)狂歌(きょうか)のグループ)が()(しま)旅行(りょこう)()った(さい)に、記念(きねん)として制作(せいさく)されたものと(かんが)えられています。

挿絵(さしえ)担当(たんとう)した魚屋北渓(ととやほっけい)北斎(ほくさい)門人(もんじん)一人(ひとり)で、摺物(すりもの)では北斎(ほくさい)をしのぐ技巧(ぎこう)をもつと評価(ひょうか)されるほど、狂歌(きょうか)関連(かんれん)作品(さくひん)得意(とくい)とした絵師(えし)です。

(えの)島記(しまき)(こう) 藤沢(ふじさわ)

朱色(しゅいろ)題名(だいめい)上部(じょうぶ)にある(まんじ)は、狂歌連(きょうかれん)狂歌師(きょうかし)のグループ)を(しめ)(しるし)(emblem)で、(ほん)シリーズ(すべ)ての作品(さくひん)(はい)っています。また本作(ほんさく)(えが)かれた()ぬぐいには、(まんじ)()()かれています。画中(がちゅう)狂歌(きょうか)には、鶴見(つるみ)名物(めいぶつ)であった「米饅頭(こめまんじゅう)」のことがよまれています。手前(てまえ)遠眼鏡(とおめがね)望遠鏡(ぼうえんきょう))には分銅繋(ふんどうつな)ぎの紋様(もんよう)(はかり)(おも)りを()した文様(もんよう))が(ほどこ)されており、金泥(きんでい)(きん)(ふく)ませた()())によって表現(ひょうげん)されています。

江島記行(えのしまきこう)()(しま)(かん)する風物(ふうぶつ)(えが)いた、(そろい)(もの)摺物(すりもの)です。摺物(すりもの)とは、狂歌(きょうか)狂歌(きょうか)諧謔的(かいぎゃくてき)な31文字(もじ)(つく)られる())と(うた)(かん)する挿絵(さしえ)(えが)かれた版画作品(はんがさくひん)です。

狂歌(きょうか)()(たち)によって(つく)られた私家版(しかばん)印刷物(いんさつぶつ)のため、採算(さいさん)()ることが前提(ぜんてい)()(もの)浮世絵(うきよえ)とは(こと)なり、(ちい)さい画面(がめん)(うち)にも繊細(せんさい)()りや()(とう)(たか)技術(ぎじゅつ)がふんだんに(もち)いられていることが特徴(とくちょう)です。

本作(ほんさく)画中(がちゅう)に16(まい)(つづ)きの記載(きさい) がありますが、現在(げんざい)発見(はっけん)されているものは14(てん)で、「高輪(たかなわ)ふり()し」「鮫州(さめず)」「大森(おおもり)」「蒲田(かまた)」「六郷(ろくごう)」「鶴見(つるみ)」「神奈川(かながわ)」「浜川(はまかわ)」「下宮(しものみや)」「上宮(かみのみや)」「本宮(ほんぐう)」「兒ヶ淵(ちごがぶち)(稚児ヶ淵(ちごがぶち))」「俎岩(まないたいわ)」「竜洞(りゅうどう)」で、狂歌連(きょうかれん)狂歌(きょうか)のグループ)が()(しま)旅行(りょこう)()った(さい)に、記念(きねん)として制作(せいさく)されたものと(かんが)えられています。

挿絵(さしえ)担当(たんとう)した魚屋北渓(ととやほっけい)北斎(ほくさい)門人(もんじん)一人(ひとり)で、摺物(すりもの)では北斎(ほくさい)をしのぐ技巧(ぎこう)をもつと評価(ひょうか)されるほど、狂歌(きょうか)関連(かんれん)作品(さくひん)得意(とくい)とした絵師(えし)です。

(えの)島記(しまき)(こう) 鶴見(つるみ)



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