Fujisawa Net Museum

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平忠度(たいらのただのり)は『平家物語(へいけものがたり)』で()()げられている実在(じつざい)した武将(ぶしょう)です。忠度(ただのり)文武(ぶんぶ)ともに(すぐ)れた武将(ぶしょう)で、『千載(せんざい)和歌(わか)(しゅう)』に(かれ)が「故郷(こきょう)(はな)」という(だい)()んだ(うた)一句(いっく)掲載(けいさい)されています。忠度(ただのり)()ったのは岡部忠澄(おかべただずみ)という武将(ぶしょう)ですが、忠澄(ただずみ)()()った(あと)忠度(ただのり)気付(きづ)き、忠澄(ただずみ)(ふく)敵味方(てきみかた)()しい人物(じんぶつ)()ってしまったと()やんだといいます。似顔(にがお)役者(やくしゃ)端正(たんせい)顔立(かおだ)ちと(はな)やかさで人気(にんき)だった八代(はちだい)()市川團十郎(いちかわだんじゅうろう)です。背景(はいけい)には岡部忠澄(おかべただずみ)にちなんだと(おも)われる岡部(おかべ)宿(しゅく)(えが)かれています。

東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)(うち) 岡部(おかべ)(えき)(うえ) 忠度(ただのり)八代(はちだい)()市川團十郎(いちかわだんじゅうろう)

五代目(ごだいめ)沢村(さわむら)長十郎(ちょうじゅうろう)嘉永(かえい)2(ねん)(1849)に(えん)じた『伊達(だて)旭盛(ぜんせい)(さくらの)(いろ)(まく)』の足利(あしかが)三七郎(さんしちろう)義高(よしたか)だと(おも)われます。『伊達(だて)旭盛(ぜんせい)(さくらの)(いろ)(まく)』は「(うま)()り」系統(けいとう)演目(えんもく)で、上演(じょうえん)(ねん)出版(しゅっぱん)された足利(あしかが)三七郎(さんしちろう)義高(よしたか)浮世絵(うきよえ)には「(うま)()り」らしき場面(ばめん)(えが)いているものがあります。「(うま)()り」は寛政(かんせい)6(ねん)(1794)初演(しょえん)の『けいせい青陽(せいよう)(けい)』の五(まく)()泉州(せんしゅう)(さかい)大和(やまと)(ばし)()」の通称(つうしょう)です。三七信孝(さんしちのぶたか)三千両(さんぜんりょう)()んだ(うま)(はし)(まえ)()()せて、馬方(うまかた)()って、三千(りょう)(うば)うという筋書(すじが)きです。 本図(ほんず)背景(はいけい)石薬師(いしやくし)宿(しゅく)入口(いりぐち)(えが)いており、歌川(うたがわ)広重(ひろしげ)蔦屋(つたや)(ばん)東海道(とうかいどう)引用(いんよう)しています。また、外題(げだい)短冊(たんざく)(わく)には「(うま)()り」にちなんで(はし)千両(ちぎり)(はこ)(おも)わしきものがあしらわれています。

東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)(うち) 石薬師(いしやくし) よし(たか)五代目(ごだいめ)沢村(さわむら)長十郎(ちょうじゅうろう)

廓文章(くるわのぶんしょう)』というこの演目(えんもく)通称(つうしょう)吉田屋(よしだや)」と()ばれ、吉田屋(よしだや)夕霧(ゆうぎり)という遊女(ゆうじょ)豪商(ごうしょう)若旦那(わかだんな)伊左衛門(いさえもん)身請(みう)けされるまでを(えが)いた作品(さくひん)です。近松(ちかまつ)門左衛門(もんざえもん)(さく)人形(にんぎょう)浄瑠璃(じょうるり)夕霧(ゆうぎり)阿波(あわの)鳴渡(なると)』の「吉田屋(よしだや)(だん)」を、歌舞伎(かぶき)世話物(せわもの)()()えた演目(えんもく)です。(えん)じているのは四代目(よだいめ)尾上梅幸(おのえばいこう)四代目(よだいめ)尾上菊五郎(おのえきくごろう))は(しな)のある風貌(ふうぼう)人気(にんき)女形(おんながた)でした。 背景(はいけい)には豊川(とよかわ)()けられた吉田(よしだ)大橋(おおはし)吉田城(よしだじょう)とが(えが)かれており、歌川(うたがわ)広重(ひろしげ)蔦屋(つたや)(ばん)東海道(とうかいどう)引用(いんよう)したものだと(おも)われます。

東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)(うち) 吉田(よしだ)()(えき) 夕霧(ゆうぎり)四代目(よだいめ)尾上梅幸(おのえばいこう)四代目(よだいめ)尾上菊五郎(おのえきくごろう)



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