ふりがな
江の島の歴史
江の島歴史年表
江の島散策マップ
江の島の文化財
江の島を訪れた人々
資料種類しりょうしゅるい(大分類だいぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(中分類ちゅうぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(小分類しょうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(大分類だいぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(中分類ちゅうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(小分類しょうぶんるい):
作者さくしゃ(50音分類おんぶんるい):
作者さくしゃ:
フリーワード:
長元(ちょうげん)元年(がんねん)(1028年(ねん))6月5日(がついつか)、平忠常(たいらのただつね)が安房(あわ)国府(こくふ)を襲撃(しゅうげき)し国司(こくし)を殺害(さつがい)しました。平忠常(たいらのただつね)の乱(らん)と言(い)われます。平安(へいあん)末期(まっき)の関東(かんとう)は平氏(へいし)が勢力(せいりょく)を持(も)っていて、中央(ちゅうおう)から派遣(はけん)された国司(こくし)に対抗(たいこう)した大規模(だいきぼ)な反乱(はんらん)でした。作品(さくひん)の詞書(ことばがき)によれば、源頼信(みなもとのよりのぶ)が追(つい)捕(ぶ)使(し)として派遣(はけん)され、城(しろ)を水攻(みずぜ)めして勝利(しょうり)を得(え)ました。これを機(き)に関東(かんとう)の平氏(へいし)の多(おお)くが頼信(よりのぶ)の配下(はいか)に下(くだ)り、源氏(げんじ)が東国(とうごく)で勢力(せいりょく)を広(ひろ)げる契機(けいき)となったと言(い)われています。
頼信(よりのぶ)忠常(ただつね) 大椎城(おおじじょう)水攻(みずぜめ)之(の)図(ず)
勝川春紅(かつかわしゅんこう)(生(せい)没年(ぼつねん)不明(ふめい))は初代(しょだい)勝川春章(かつかわしゅんしょう)もしくは勝川春英(かつかわしゅんえい)の門人(もんじん)といわれている浮世絵師(うきよえし)です。風景画(ふうけいが)、役者絵(やくしゃえ)、風俗画(ふうぞくが)などの作品(さくひん)が寛政(かんせい)から文化(ぶんか)にかけて見(み)られます。 表題(ひょうだい)に含(ふく)まれている浮絵(うきえ)とは遠近(えんきん)感(かん)を強調(きょうちょう)して描(えが)いた作品(さくひん)で、遠近法(えんきんほう)表現(ひょうげん)を従来(じゅうらい)より正確(せいかく)なものとし、錦絵(にしきえ)風景画(ふうけいが)の基礎(きそ)になりました。本図(ほんず)では日(ひ)の出(で)と富士山(ふじさん)が描(えが)かれており、初期(しょき)の江(え)の島(しま)浮世絵(うきよえ)らしい縁起(えんぎ)絵(え)です。江(え)の島(しま)と片瀬海岸(かたせかいがん)をつなぐ砂州(さす)には江(え)の島(しま)参詣(さんけい)者(しゃ)が大勢(おおぜい)歩(ある)いています。手前(てまえ)の片瀬海岸(かたせかいがん)には藁葺(わらぶき)の小屋(こや)がいくつか見(み)え、中(なか)には休憩(きゅうけい)する人々(ひとびと)も見(み)えます。
浮絵(うきえ)相州(そうしゅう)江之島(えのしま)の図(ず)
旅人(たびびと)に便宜(べんぎ)を図(はか)る講(こう)である大船講(おおぶねこう)の【道中記(どうちゅうき)(講帳(こうちょう))】 諸国(しょこく)の街道(かいどう)について、簡略(かんりゃく)な名所案内(めいしょあんない)を交(まじ)えて、宿駅(しゅくえき)・里程(りてい)と、講(こう)に加盟(かめい)する宿屋(やどや)・休所(やすみどころ)の名(な)を列挙(れっきょ)しています。街道見出(かいどうみだ)しは、東海道定宿休所(とうかいどうじょうやどやすみどころ)、秋葉鳳来寺道(あきはほうらいじみち)、伊勢参宮道(いせさんぐうみち)など48項目(こうもく)で、全国(ぜんこく)に及(およ)んでいます。 江の島(えのしま)の定宿(じょうやど)は戎や吉右衛門(えびすやきちえもん)と北村や忠右衛門(きたむらやちゅうえもん)。藤沢宿(ふじさわしゅく)は蔦屋又兵衛(つたやまたべい)・たばこや庄右衛門(しょうえもん)・長尾や長右衛門(ながおやちょうえもん)。四ッ谷(よつや)は八(は)(羽(は))鳥(とり)や八左衛門(はちざえもん)。南湖(なんこ)は江戸や八郎右衛門(えどやはちろうえもん)が記(しる)されています。
大船(おおふな)講(こう) 日本国(にほんこく)中(じゅう)・定宿(ていしゅく)休(やすみ)所(どころ)
狂歌(きょうか):春風(しゅんぷう)に 池(いけ)の氷(こおり)の とけそめて 刎(はね)出(で)る鯉(こい)や 鮒(ふな)も花(はな)なる(狂歌亭真似言) 画面(がめん)右(みぎ)に宿場(しゅくば)の出入口(でいりぐち)を示(しめ)す牓(ぼう)示(じ)杭(くい)がみえることから、宿場(しゅくば)の入(い)り口(くち)を描(えが)いていることがわかります。また、同(どう)じく画面(がめん)右(みぎ)に、御幣(ごへい)をつけた馬(うま)を引(ひ)き連(つ)れる一行(いっこう)が見(み)えますが、これは八朔(はっさくの)御馬(おうま)進(しん)献(けん)という旧暦(きゅうれき)の毎年(まいとし)8月(がつ)に幕府(ばくふ)から御所(ごしょ)へ馬(うま)を献上(けんじょう)する一行(いっこう)を描(えが)いています。
東海道五拾三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ) 池鯉鮒(ちりゅう)(狂歌(きょうか)入(い)り東海道(とうかいどう))
狂歌(きょうか):すゞ(ず)か山(やま) ふる双六(すごろく)は たび人(びと)の さきへさきへと いそぐ駅路(えきろ)(森風亭波都賀) 坂(さか)下宿(したしゅく)の手前(てまえ)の筆(ふで)捨(すて)山(やま)の場面(ばめん)を描(えが)いています。この茶屋(ちゃや)は、鈴鹿(すずか)川(かわ)を挟(はさ)んだ対岸(たいがん)に望(のぞ)む筆(ふで)捨(すて)山(やま)の眺望(ちょうぼう)が評判(ひょうばん)でした。筆(ふで)捨(すて)山(やま)の名前(なまえ)は、室町時代(むろまちじだい)の絵師(えし)、狩(か)野(のう)元信(もとのぶ)がこの山(やま)を写(うつ)そうと筆(ふで)を取(と)ったところ天候(てんこう)の変化(へんか)に左右(さゆう)され思(おも)うように写(うつ)しきれず、ついに諦(あきら)めて筆(ふで)を捨(す)てたという故事(こじ)に由来(ゆらい)するものです。
東海道五拾三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ) 阪之下(さかのした)筆(ふで)捨(すて)山(やま)之(の)図(ず)(狂歌(きょうか)入(い)り東海道(とうかいどう))
制作(せいさく)時期(じき):明治(めいじ) 18 年(ねん)(1885)。 豊原国周(とよはらくにちか)(1835 - 1900)は、三代(さんだい)豊国(とよくに)に入門(にゅうもん)しましたが、終生(しゅうせい)、歌川(うたがわ)を称(しょう)さず、豊原(とよはら)を名乗(なの)りました。 芳年(ほうねん)、芳(よし)幾(いく)と合(あ)わせて明治(めいじ)浮世絵(うきよえ)界(かい)の三傑(さんけつ)とも称(しょう)されました。 作品(さくひん)は河竹黙阿弥(かわたけもくあみ)作(さく)の歌舞伎(かぶき)狂言(きょうげん)「青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)」のハイライト、「稲瀬川(いなせがわ)勢揃(せいぞろ)い」で、大見得(おおみえ)を切(き)る5人(にん)の口(くち)から述(の)べられる口上(こうじょう)が、ずらりと記(しる)されています。
しら浪(なみ)五(ご)人(にん)男(おとこ)
製作(せいさく)時期(じき):安政(あんせい)2年(にねん)(1855)。板元(はんもと):蔦屋吉蔵(つたやきちぞう) 鞠子宿(まりこしゅく)内(ない)の様子(ようす)が描(えが)かれています。鞠子(まりこ)はとろろ汁(じる)で有名(ゆうめい)な宿場(しゅくば)でした。両側(りょうがわ)に続(つづ)く茶屋(ちゃや)には「とろろ汁(じる)」の看板(かんばん)がいくつもかかっています。左(ひだり)手前(てまえ)の店先(みせさき)で客(きゃく)がとろろ汁(じる)をすすっています。また茶屋(ちゃや)の壁(かべ)には浮世絵(うきよえ)と思(おも)われる絵画(かいが)が飾(かざ)ってあり、当時(とうじ)浮世絵(うきよえ)が一般的(いっぱんてき)に普及(ふきゅう)していたことが伺(うかが)える作品(さくひん)でもあります。 このシリーズが竪(たて)型(がた)版(ばん)であるため、一般(いっぱん)に竪(たて)絵(え)東海道(とうかいどう)と呼(よ)ばれ、広重(ひろしげ)晩年(ばんねん)(59 才(さい))の作品(さくひん)です。広重(ひろしげ)の東海道(とうかいどう)ものは大体(だいたい)において、横型(よこがた)の風景画(ふうけいが)が多(おお)いなかで、竪(たて)型(がた)物(ぶつ)もいくつかあります。この名所図会(めいしょずえ)シリーズではほとんどの宿(やど)が鳥瞰図(ちょうかんず)で描(えが)かれ、町並(まちな)み等(とう)に遠近法(えんきんほう)を用(もち)い、横(よこ)判(ばん)では見(み)られない雰囲気(ふんいき)をかもし出(だ)しています。
五十三次(ごじゅうさんつぎ)名所図会(めいしょずえ) 二十一(にじゅういち) 鞠子(まりこ) 駅中(えきちゅう)名物(めいぶつ)とろゝ汁(しる)をひさく(竪(たて)絵(え)東海道(とうかいどう))
製作(せいさく)時期(じき):安政(あんせい)2年(にねん)(1855)。板元(はんもと):蔦屋吉蔵(つたやきちぞう) 竪(たて)絵(え)では、鴫(しぎ)立沢(たつさわ)とその奥(おく)に広(ひろ)がる相模湾(さがみわん)の景色(けしき)を描(えが)いています。鳥瞰(ちょうかん)的(てき)に描(えが)かれていることで、より画面(がめん)に広(ひろ)がりが出(で)ています。 このシリーズが竪(たて)型(がた)版(ばん)であるため、一般(いっぱん)に竪(たて)絵(え)東海道(とうかいどう)と呼(よ)ばれ、広重(ひろしげ)晩年(ばんねん)(59 才(さい))の作品(さくひん)です。広重(ひろしげ)の東海道(とうかいどう)ものは大体(だいたい)において、横型(よこがた)の風景画(ふうけいが)が多(おお)いなかで、竪(たて)型(がた)物(ぶつ)もいくつかあります。この名所図会(めいしょずえ)シリーズではほとんどの宿(やど)が鳥瞰図(ちょうかんず)で描(えが)かれ、町並(まちな)み等(とう)に遠近法(えんきんほう)を用(もち)い、横(よこ)判(ばん)では見(み)られない雰囲気(ふんいき)をかもし出(だ)しています。
五十三次(ごじゅうさんつぎ)名所図会(めいしょずえ) 九(く) 大磯(おおいそ) 鴫(しぎ)立沢(たつざわ)西行(さいぎょう)庵(あん)(竪(たて)絵(え)東海道(とうかいどう))