制作時期:天保5年(1834)頃。
板元印なし
「東海道之内江ノ嶋路片瀬自七面山見浜辺」とともに、東海道の脇路を描こうとしたものですが、脇路ということで発売しても人気が薄かったのでしょうか、他の図は出版されていません。しかし他の版下が残っていて新たに復刻されています。これらの図には他に例を見ない脇路を、画題としてとり上げた広重の意欲といったものが感じられます。
この作品のもっている空間の広がりは、他の七里ガ浜を描いた浮世絵よりも、また洋風表現によって描いたものをはるかに超越しています。ここには富士山も描かれておらず、江の島も点景として存在するだけで、画題のとおり七里ガ浜が中心となっています。