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江の島の歴史
江の島歴史年表
江の島散策マップ
江の島の文化財
江の島を訪れた人々
資料種類しりょうしゅるい(大分類だいぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(中分類ちゅうぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(小分類しょうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(大分類だいぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(中分類ちゅうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(小分類しょうぶんるい):
作者さくしゃ(50音分類おんぶんるい):
作者さくしゃ:
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十四(じゅうよん)代(だい)将軍(しょうぐん)徳川(とくがわ)家茂(いえもち)の上洛(じょうらく)に際(さい)して作(つく)られた、十(じゅう)枚(まい)続(つづき)という大作(たいさく)の名所(めいしょ)絵(え)です。画面(がめん)全体(ぜんたい)を巻物(まきもの)の形態(けいたい)に似(に)せており、行列(ぎょうれつ)を描(えが)きつつ各(かく)宿場(しゅくば)や沿道(えんどう)の名所(めいしょ)も記(しる)されています。 俯瞰(ふかん)的(てき)な視点(してん)で描(えが)かれ、東海道(とうかいどう)を一望(いちぼう)できるようになっています。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)一覧(いちらん)
狂歌(きょうか):小田原(おだわら)の 沖(おき)の船(ふね)より 見(み)えつらん 霞(かすみ)の海(うみ)の 城(しろ)の鯱(しゃち)(繁の門雛昌) 小田原(おだわら)の海沿(うみぞ)いの街道(かいどう)の風景(ふうけい)です。画面(がめん)奥(おく)の海岸(かいがん)では漁師(りょうし)たちが地引網(じびきあみ)を引(ひ)いています。街道(かいどう)をゆく旅人(たびびと)の合羽(かっぱ)が風(かぜ)になびく様子(ようす)からは海風(うみかぜ)を感(かん)じさせます。遠景(えんけい)の水平線(すいへいせん)上(じょう)にみえる白(しろ)い帆(ほ)により海(うみ)が遥(はる)か遠(とお)くまで続(つづ)く描写(びょうしゃ)がなされ、画面(がめん)手前(てまえ)に大(おお)きな松(まつ)が描(えが)かれても圧迫(あっぱく)感(かん)を感(かん)じさせず、開放(かいほう)感(かん)のある作品(さくひん)となっています。
東海道五拾三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ) 小田原(おだわら)(狂歌(きょうか)入(いり)東海道(とうかいどう))
狂歌(きょうか):うかれ女(おんな)の 真心(まごころ)よりそ うそぶける とらといふ名(な)は いしに残(のこ)れり(富有亭満成) 大磯宿(おおいそしゅく)の街道(かいどう)とその奥(おく)に広(ひろ)がる相模湾(さがみわん)が俯瞰的(ふかんてき)に描(えが)かれています。遠景(えんけい)の海岸線(かいがんせん)上(じょう)に小(ちい)さく描(えが)かれた白(しろ)い帆(ほ)によって、画面(がめん)奥(おく)にみえる伊豆(いず)半島(はんとう)との距離感(きょりかん)が表現(ひょうげん)されています。大磯(おおいそ)には有名(ゆうめい)な仇討(あだうち)ち物(もの)語(がたり)である「曽我(そが)物語(ものがたり)」の登場人物(とうじょうじんぶつ)・大磯(おおいそ)の虎(とら)に縁(ゆかり)のある虎(とら)御石(ごいし)があり、江戸時代(えどじだい)から街道(かいどう)の名物(めいぶつ)となっていました。
東海道五拾三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ) 大磯(おおいそ)(狂歌(きょうか)入(いり)東海道(とうかいどう))
狂歌(きょうか):大磯(おおいそ)へ いそぐえき路(じ)の すゞ(ず)のねに いさむ馬入(ばにゅう)の 渡(わた)し船(ぶね)かな(芦原満邦) 馬入(ばにゅう)川(がわ)の渡(わた)し場(ば)が描(えが)かれています。画面(がめん)左(ひだり)奥(おく)の川岸(かわぎし)には平塚宿(ひらつかしゅく)の建物(たてもの)が連(つら)なっています。中(ちゅう)景(けい)には馬入川(ばにゅうがわ)の上流(じょうりゅう)へとすすむ帆船(はんせん)が見(み)え、さらに後景(こうけい)には雪(ゆき)を被(かぶ)った富士山(ふじさん)と、その右(みぎ)隣(となり)に大山(おおやま)が描(えが)かれています。
東海道五拾三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ) 平塚(ひらつか) 馬入(ばにゅう)川渡(がわわたし)舟(ふね)(狂歌(きょうか)入(いり)東海道(とうかいどう))
製作(せいさく)時期(じき):天保(てんぽう)11年(ねん)頃(ごろ)(1840)。 板元(はんもと):佐野屋(さのや)喜兵衛(きへえ) このシリーズは図柄(ずがら)の中(なか)に狂歌(きょうか)が1首(しゅ)ずつ折(お)り込(こ)まれているために俗(ぞく)に「狂歌(きょうか)入(いり)東海道(とうかいどう)」と呼(よ)ばれています。 保永(ほえい)堂(どう)版(ばん)と反対(はんたい)に遊行寺(ゆぎょうじ)の側(がわ)から大鋸橋(だいぎりばし) (現(げん)遊行寺橋(ゆぎょうじばし))と江(え)の島(しま)一ノ(いちの)鳥居(とりい)を描(えが)いたもので、背景(はいけい)にある山(やま)は大山(おおやま)です。 橋(はし)の上(うえ)の人物(じんぶつ)が担(かつ)いでいるのは御神酒(おみき)枠(わく)(大山(おおやま)から水(みず)や酒(さけ)を持(も)ち帰(かえ)るためのもの)で大山(おおやま)詣(もうで)を象徴(しょうちょう)しています。橋(はし)のたもとの高札場(こうさつば)など、宿場(しゅくば)の様子(ようす)も窺(うかが)えます。
東海道五拾三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ) 藤沢(ふじさわ)(狂歌(きょうか)入(いり)東海道(とうかいどう))
狂歌(きょうか):霞(かすみ)日(び)を とつかの駅路(えきろ) とつかはと いそぎて旅(たび)を 双六(すごろく)のうへ(遊竹館一調) 戸塚宿(とつかしゅく)の西側(にしがわ)にあたる大坂(おおさか)の風景(ふうけい)です。戸塚宿(とつかしゅく)は東側(ひがしがわ)(江戸(えど)側(がわ))に権(ごん)太(た)坂(ざか)、西側(にしがわ)(京(きょう)側(がわ))に大(だい)坂(さか)と、坂(さか)に挟(はさ)まれた宿場(しゅくば)であるため、それぞれの坂(さか)を越(こ)えた旅人(たびびと)が休憩(きゅうけい)をとる場所(ばしょ)として賑(にぎ)わっていました。画面(がめん)手前(てまえ)の松(まつ)は、街道(かいどう)の両側(りょうがわ)の傾斜(けいしゃ)から、まるで街道(かいどう)を見下(みお)ろすように立(た)ち、画面(がめん)中央(ちゅうおう)の街道(かいどう)または画面(がめん)奥(おく)に見(み)える戸塚宿(とつかしゅく)に視点(してん)が集中(しゅうちゅう)するような工夫(くふう)が感(かん)じられます。
東海道五拾三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ) 戸塚(とつか)(狂歌(きょうか)入(いり)東海道(とうかいどう))
狂歌(きょうか):諺(ことわざ)の まはるもはやき 双六(すごろく)や いそげばいそぐ 程(ほど)がやのえき(遊鶴亭千代子) 境木(さかいぎ)の立場(たてば)の情景(じょうけい)が描(えが)かれています。立場(たてば)の茶屋(ちゃや)からの景色(けしき)を楽(たの)しむ客(きゃく)や、店(みせ)の外(そと)で駕籠(かご)に乗(の)ったまま注文(ちゅうもん)する客(きゃく)、茶屋(ちゃや)のすぐ前(まえ)の街道(かいどう)を行(い)き交(か)う人々(ひとびと)などが描(えが)かれ、立場(たてば)の賑(にぎ)わいが伝(つた)わってきます。生(お)い茂(しげ)る松(まつ)の木(き)や色(いろ)味(み)を抑(おさ)えた背景(はいけい)に、色彩(しきさい)豊(ゆた)かな茶屋(ちゃや)の風景(ふうけい)が映(は)える作品(さくひん)です。
東海道五拾三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ) 保土ヶ谷(ほどがや) 境木(さかいぎ)立場(たてば)(狂歌(きょうか)入(いり)東海道(とうかいどう))
狂歌(きょうか):双六(すごろく)の 旅(たび)もいろはの かな川(がわ)に あがるもたのし 春雨(はるさめ)の空(そら)(松本亭篶躬) 神奈川(かながわ)台(だい)のはずれにある簡素(かんそ)な茶屋(ちゃや)と、その後景(こうけい)に広(ひろ)がる神奈川(かながわ)沖(おき)が描(えが)かれています。神奈川(かながわ)沖(おき)の右(みぎ)奥(おく)に見(み)えるのは野毛(のげ)と本牧(ほんもく)です。海上(かいじょう)をすすむ帆船(はんせん)は遠(とお)くなるにつれて小(ちい)さく描(えが)かれ、画面(がめん)奥(おく)へと続(つづ)く広大(こうだい)な海(うみ)が表現(ひょうげん)されています。神奈川(かながわ)台(だい)の高台(たかだい)から海(うみ)を見渡(みわた)す風景(ふうけい)が評判(ひょうばん)となり、神奈川(かながわ)台(だい)には多(おお)くの茶屋(ちゃや)が軒(のき)を連(つら)ね賑(にぎ)わっていましたが、この画(が)ではその喧騒(けんそう)から離(はな)れてのどかな風景(ふうけい)が描(えが)かれています。
東海道五拾三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ) 神奈川(かながわ)(狂歌(きょうか)入(いり)東海道(とうかいどう))