製作時期:天保10年頃(1839)。
板元:佐野喜(佐野屋喜兵衛)
本図も背景は広重の保永堂版東海道の引用ではなく、『東海道名所図会』巻之二より「草津追分」を参考にしていると思われます。
「東海道」「中仙道木曾街(道)」と書かれた追分の標柱の上に猿が乗り、笠をかぶった男性が吠え掛かる犬を追い払おうとしています。
手前の女性は、着物を頭から被る被衣の装いです。江戸では、江戸中期頃に禁止されましたが、上方ではこの風習がしばらく残っていたようで、江戸の人々にとって被衣といえば上方というイメージが定着しており、他の浮世絵作品にも描かれています。
国貞(三代豊国の前名)描くこの東海道シリーズは、各宿の風景をバックにして前面に立ち姿の美人を描いたもので、全シリーズを通し、バックの風景画は広重の保永堂版東海道に非常によく似ています。