製作時期:天保4年頃(1833)。
板元:佐野喜(佐野屋喜兵衛)
背景は広重の保永堂版東海道「吉田 豊川橋」の構図を用いています。
吉田宿は、城下町として賑わい、旅籠や茶屋が多く軒を連ねていました。背景の右にみえる吉田城は、やぐらに足場を組んで修復をしている様子が描かれていますが、引用元の広重の図では、作品の特徴アクセントともいえる“足場に上って周囲を眺める職人”の姿が描かれていません。
これは、画面全体のバランスを鑑みて、あくまで見る人の視線は手前の美人に向かうように、という国貞のシリーズ通しての意図も感じ取れます。
その手前の女性は菅笠をかぶり、杖をついた、典型的な旅装です。
国貞(三代豊国の前名)描くこの東海道シリーズは、各宿の風景をバックにして前面に立ち姿の美人を描いたもので、全シリーズを通し、バックの風景画は広重の保永堂版東海道に非常によく似ています。