Fujisawa Net Museum

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製作時期(せいさくじき):安政(あんせい)2(ねん)(1855)。
板元(はんもと):蔦屋吉蔵(つたやきちぞう)

源義経(みなもとのよしつね)異母弟(いぼてい)である範頼(のりより)は、平氏追討(へいしついとう)(さい)先勝祈願(せんしょうきがん)のため(さくら)(えだ)(さか)さに地面(じめん)にさしたところ、それが()()立派(りっぱ)(さくら)()になったという伝承(でんしょう)があります。
この(さくら)範頼(のりより)にゆかりのあるものですが、いつしか「義経桜(よしつねざくら)」とも()ばれるようになりました。
また、「石薬師(いしやくし)蒲桜(かばざくら)」とも()ばれ、現在(げんざい)でも(はな)()かせているようです。 フィンセント・ファン・ゴッホの「タンギー(じい)さん」の背景(はいけい)には、いくつか浮世絵(うきよえ)模写(もしゃ)されていますが、この()はそのうちの(ひと)つにあげられています。

このシリーズが竪型版(たてがたばん)であるため、一般(いっぱん)竪絵東海道(たてえとうかいどう)()ばれ、広重(ひろしげ)晩年(ばんねん)(59(さい))の作品(さくひん)です。
広重(ひろしげ)東海道(とうかいどう)ものは大体(だいたい)において、横型(よこがた)風景画(ふうけいが)(おお)いなかで、竪型物(たてがたもの)もいくつかあります。この名所図会(めいしょずえ)シリーズではほとんどの宿(やど)鳥瞰図(ちょうかんず)(えが)かれ、町並(まちな)(とう)遠近法(えんきんほう)(もち)い、横判(よこばん)では()られない雰囲気(ふんいき)をかもし()しています。

五十三次名所図会 四十五 石薬師(竪絵東海道)

五十三次(ごじゅうさんつぎ)名所図会(めいしょずえ) (よん)(じゅう)() 石薬師(いしやくし) 義経(よしつね)さくら範頼(のりより)(ほこら)(たて)()東海道(とうかいどう)

製作時期(せいさくじき):安政(あんせい)2(ねん)(1855)。
板元(はんもと):蔦屋吉蔵(つたやきちぞう)

三重川(みえがわ)三滝川(みたきがわ))が画面(がめん)手前(てまえ)から蛇行(だこう)しながら中景(ちゅうけい)あたりで()え、後景(こうけい)には四日市湊(よっかいちみなと)(ひろ)がっています。
伊勢湾(いせわん)蜃気楼(しんきろう)名所(めいしょ)として()られており、(ほか)浮世絵(うきよえ)作品(さくひん)にも四日市(よっかいち)場面(ばめん)では蜃気楼(しんきろう)がよく(えが)かれています。
本作(ほんさく)では蜃気楼(しんきろう)(えが)かれていませんが、画面(がめん)(おく)四日市湊(よっかいちみなと)停泊(ていはく)する廻船(かいせん)松林(まつばやし)(えが)色彩(しきさい)が、蜃気楼(しんきろう)のように演出(えんしゅつ)されています。

このシリーズが竪型版(たてがたばん)であるため、一般(いっぱん)竪絵東海道(たてえとうかいどう)()ばれ、広重(ひろしげ)晩年(ばんねん)(59(さい))の作品(さくひん)です。
広重(ひろしげ)東海道(とうかいどう)ものは大体(だいたい)において、横型(よこがた)風景画(ふうけいが)(おお)いなかで、竪型物(たてがたもの)もいくつかあります。この名所図会(めいしょずえ)シリーズではほとんどの宿(やど)鳥瞰図(ちょうかんず)(えが)かれ、町並(まちな)(とう)遠近法(えんきんほう)(もち)い、横判(よこばん)では()られない雰囲気(ふんいき)をかもし()しています。

五十三次名所図会 四十三 四日市(竪絵東海道)

五十三次(ごじゅうさんつぎ)名所図会(めいしょずえ) 四十四(よんじゅうよん) 四日市(よっかいち) なこの(うら)三重川(みえがわ)(たて)()東海道(とうかいどう)

製作時期(せいさくじき):安政(あんせい)2(ねん)(1855)。
板元(はんもと):蔦屋吉蔵(つたやきちぞう)

桑名宿(くわなしゅく)宮宿(みやじゅく)をつなぐ「海上七里の渡し(かいじょうしちりのわたし)」は東海道中(とうかいどうちゅう)唯一(ゆいいつ)海路(かいろ)であり、七里(しちり)(やく)28km)を四時間(よじかん)かけての航路(こうろ)でした。
この()では、航路(こうろ)(すす)(わた)(ぶね)手前(てまえ)(おお)きく(えが)き、船上(せんじょう)旅人(たびびと)(おも)(おも)いにくつろいでる様子(ようす)がみえます。
(みぎ)手前(てまえ)小舟(こぶね)物売船(ものうりぶね)で、(わた)(ぶね)乗客(じょうきゃく)相手(あいて)小料理(こりょうり)などを販売(はんばい)していました。

このシリーズが竪型版(たてがたばん)であるため、一般(いっぱん)竪絵東海道(たてえとうかいどう)()ばれ、広重(ひろしげ)晩年(ばんねん)(59(さい))の作品(さくひん)です。
広重(ひろしげ)東海道(とうかいどう)ものは大体(だいたい)において、横型(よこがた)風景画(ふうけいが)(おお)いなかで、竪型物(たてがたもの)もいくつかあります。この名所図会(めいしょずえ)シリーズではほとんどの宿(やど)鳥瞰図(ちょうかんず)(えが)かれ、町並(まちな)(とう)遠近法(えんきんほう)(もち)い、横判(よこばん)では()られない雰囲気(ふんいき)をかもし()しています。

五十三次名所図会 四十三 桑名(竪絵東海道)

五十三次(ごじゅうさんつぎ)名所図会(めいしょずえ) 四十三(よんじゅうさん) 桑名(くわな) 七里(しちり)渡船(わたしぶね)(たて)()東海道(とうかいどう)

製作時期(せいさくじき):安政(あんせい)2(ねん)(1855)。
板元(はんもと):蔦屋吉蔵(つたやきちぞう)

海路(かいろ)(わた)り、宮宿側(みやじゅくがわ)(きし)につくと、(おお)きな鳥居(とりい)出迎(でむか)えます。
これは熱田神宮(あつたじんぐう)浜鳥居(はまとりい)です。
(きゅう)熱田神宮(あつたじんぐう)門前町(もんぜんまち)として(さか)え、海上七里(かいじょうしちり)(わた)しの(わた)(ぐち)でもあり、様々(さまざま)物資(ぶっし)(あつ)まる要所(ようしょ)でした。熱田湊(あつたみなと)次々(つぎつぎ)(はい)ってくる廻船(かいせん)や、停留(ていりゅう)する廻船(かいせん)からも繁盛(はんじょう)様子(ようす)がうかがえます。

このシリーズが竪型版(たてがたばん)であるため、一般(いっぱん)竪絵東海道(たてえとうかいどう)()ばれ、広重(ひろしげ)晩年(ばんねん)(59(さい))の作品(さくひん)です。
広重(ひろしげ)東海道(とうかいどう)ものは大体(だいたい)において、横型(よこがた)風景画(ふうけいが)(おお)いなかで、竪型物(たてがたもの)もいくつかあります。この名所図会(めいしょずえ)シリーズではほとんどの宿(やど)鳥瞰図(ちょうかんず)(えが)かれ、町並(まちな)(とう)遠近法(えんきんほう)(もち)い、横判(よこばん)では()られない雰囲気(ふんいき)をかもし()しています。

五十三次名所図会 四十二 宮(竪絵東海道)

五十三次(ごじゅうさんつぎ)名所図会(めいしょずえ) (よん)十二(じゅうに) (みや) 熱田(あつた)(えき)(しち)()渡口(わたしぐち)(たて)()東海道(とうかいどう)

製作時期(せいさくじき):安政(あんせい)2(ねん)(1855)。
板元(はんもと):蔦屋吉蔵(つたやきちぞう)

鳴海宿(なるみしゅく)のほど(ちか)くにある有松村(ありまつむら)では「有松絞(ありまつしぼ)り」とよばれる染物(そめもの)名産(めいさん)となっていました。
画面(がめん)手前(てまえ)には、(たて)構図(こうず)いっぱいを使(つか)って、有松絞り(ありまつしぼり)()している様子(ようす)(えが)かれています。

このシリーズが竪型版(たてがたばん)であるため、一般(いっぱん)竪絵東海道(たてえとうかいどう)()ばれ、広重(ひろしげ)晩年(ばんねん)(59(さい))の作品(さくひん)です。
広重(ひろしげ)東海道(とうかいどう)ものは大体(だいたい)において、横型(よこがた)風景画(ふうけいが)(おお)いなかで、竪型物(たてがたもの)もいくつかあります。この名所図会(めいしょずえ)シリーズではほとんどの宿(やど)鳥瞰図(ちょうかんず)(えが)かれ、町並(まちな)(とう)遠近法(えんきんほう)(もち)い、横判(よこばん)では()られない雰囲気(ふんいき)をかもし()しています。

五十三次名所図会 四十一 鳴海(竪絵東海道)

五十三次(ごじゅうさんつぎ)名所図会(めいしょずえ) (よん)十一(じゅういち) 鳴海(なるみ) 名産(めいさん)有松(ありまつ)しぼり(てん)(たて)()東海道(とうかいどう)

製作時期(せいさくじき):安政(あんせい)2(あんせいにねん)(1855)。
板元(はんもと):蔦屋吉蔵(つたやきちぞう)

平安時代(へいあんじだい)成立(せいりつ)した歌物語(うたものがたり)伊勢物語(いせものがたり)」に、貴族(きぞく)男性(だんせい)が、この八橋(やつはし)()(うつく)しく()杜若(かきつばた)()て、(みやこ)(のこ)してきた(じん)(おも)って(なみだ)するという場面(ばめん)登場(とうじょう)します。
八橋(やつはし)は、池鯉鮒(ちりょう)岡崎(おかざき)(あいだ)にあり、東海道(とうかいどう)から(はず)れた箇所(かしょ)にあたりますが、古跡(こせき)をもとめて旅人(たびびと)(おお)(おとず)れたといいます。

()をみてもわかるように、江戸時代(えどじだい)にはすでに杜若(かきつばた)()()ではなく、あたりには田畑(たはた)がひろがり、古跡(こせき)(しめ)石柱(せきちゅう)()つのみであったようです。

このシリーズが竪型版(たてがたばん)であるため、一般(いっぱん)竪絵東海道(たてえとうかいどう)()ばれ、広重(ひろしげ)晩年(ばんねん)(59才(ごじゅうきゅうさい))の作品(さくひん)です。
広重(ひろしげ)東海道(とうかいどう)ものは大体(だいたい)において、横型(よこがた)風景画(ふうけいが)(おお)いなかで、竪型物(たてがたもの)もいくつかあります。この名所図会(めいしょずえ)シリーズではほとんどの宿(やど)鳥瞰図(ちょうかんず)(えが)かれ、町並(まちな)(とう)遠近法(えんきんほう)(もち)い、横判(よこばん)では()られない雰囲気(ふんいき)をかもし()しています。

五十三次名所図会 四十 池鯉鮒(竪絵東海道)

五十三次(ごじゅうさんつぎ)名所図会(めいしょずえ) 四十(よんじゅう) 池鯉鮒(ちりゅう) ()(はし)むら杜若(かきつばた)()せき((たて)()東海道(とうかいどう)

製作時期(せいさくじき):安政(あんせい)2(ねん)(1855)。
板元(はんもと):蔦屋吉蔵(つたやきちぞう)

矢作川(やはぎがわ)()かる矢作橋(やはぎばし)東海道(とうかいどう)(いち)(なが)さを(ほこ)(はし)でした。(はし)(うえ)には、槍持(やりもち)(したが)えた武士(ぶし)一行(いっこう)姿(すがた)()えます。矢作橋(やはぎばし)(つづ)画面(がめん)(おく)高台(たかだい)には、徳川家康(とくがわいえやす)出生地(しゅっせいち)とされる岡崎城(おかざきじょう)()えます。(かわ)には、木材(もくざい)筏状(いかだじょう)()んで(はこ)様子(ようす)(えが)かれています。

この()では、(はし)(なが)さを強調(きょうちょう)するのではなく、川岸(かわぎし)から(はし)見上(みあ)げる構図(こうず)(えが)き、(はし)橋脚(きょうきゃく)(おお)きさでもって東海道(とうかいどう)(いち)という(はし)(なが)さを(おも)わせる斬新(ざんしん)手法(しゅほう)といえます。

このシリーズが竪型版(たてがたばん)であるため、一般(いっぱん)竪絵東海道(たてえとうかいどう)()ばれ、広重(ひろしげ)晩年(ばんねん)(59(さい))の作品(さくひん)です。
広重(ひろしげ)東海道(とうかいどう)ものは大体(だいたい)において、横型(よこがた)風景画(ふうけいが)(おお)いなかで、竪型物(たてがたもの)もいくつかあります。この名所図会(めいしょずえ)シリーズではほとんどの宿(やど)鳥瞰図(ちょうかんず)(えが)かれ、町並(まちな)(とう)遠近法(えんきんほう)(もち)い、横判(よこばん)では()られない雰囲気(ふんいき)をかもし()しています。

五十三次名所図会 卅九 岡崎(竪絵東海道)

五十三次(ごじゅうさんつぎ)名所図会(めいしょずえ) (さん)十九(じゅうく) 岡崎(おかざき) ()はき(かわ)やはきのはし((たて)()東海道(とうかいどう)

製作(せいさく)時期(じき):安政(あんせい)2(ねん)(1855)。
板元(はんもと):蔦屋吉蔵(つたやきちぞう)

藤川宿(ふじかわしゅく)(ひがし)のはずれにある山中村(やまなかむら)風景(ふうけい)(えが)いています。画面(がめん)手前(てまえ)(うま)()った旅人(たびびと)がいる(あた)りで空間(くうかん)区切(くぎ)ることにより、(たか)位置(いち)から(ひく)位置(いち)へとつながる山道(さんどう)傾斜(けいしゃ)表現(ひょうげん)しています。

画面(がめん)(おく)には(ゆき)(ふか)山間部(さんかんぶ)街道(かいどう)(つづ)き、その両側(りょうがわ)には(みせ)()(なら)んでいる様子(ようす)(えが)かれています。
山中村(やまなかむら)は、(あさ)(いち)(しゅ)である(からむし)(もち)いて(つく)った道具(どうぐ)(るい)名物(めいぶつ)として()られていました。

このシリーズが(たて)(がた)(ばん)であるため、一般(いっぱん)(たて)()東海道(とうかいどう)()ばれ、広重(ひろしげ)晩年(ばんねん)(59 (さい))の作品(さくひん)です。
広重(ひろしげ)東海道(とうかいどう)ものは大体(だいたい)において、横型(よこがた)風景画(ふうけいが)(おお)いなかで、(たて)(がた)(ぶつ)もいくつかあります。この名所図会(めいしょずえ)シリーズではほとんどの宿(やど)鳥瞰図(ちょうかんず)(えが)かれ、町並(まちな)(とう)遠近法(えんきんほう)(もち)い、(よこ)(ばん)では()られない雰囲気(ふんいき)をかもし()しています。

五十三次名所図会 卅八 藤川(竪絵東海道)

五十三次(ごじゅうさんつぎ)名所図会(めいしょずえ) (さん)(じゅう)(はち) 藤川(ふじかわ) 山中(やまなか)(さと)旧名(きゅうめい)宮路山(みやじやま)(たて)()東海道(とうかいどう)



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