製作時期:安政2年(1855)。
板元:蔦屋吉蔵
源義経の異母弟である範頼は、平氏追討の際に先勝祈願のため桜の枝を逆さに地面にさしたところ、それが芽を出し立派な桜の木になったという伝承があります。
この桜は範頼にゆかりのあるものですが、いつしか「義経桜」とも呼ばれるようになりました。
また、「石薬師の蒲桜」とも呼ばれ、現在でも花を咲かせているようです。
フィンセント・ファン・ゴッホの「タンギー爺さん」の背景には、いくつか浮世絵が模写されていますが、この画はそのうちの一つにあげられています。
このシリーズが竪型版であるため、一般に竪絵東海道と呼ばれ、広重晩年(59才)の作品です。
広重の東海道ものは大体において、横型の風景画が多いなかで、竪型物もいくつかあります。この名所図会シリーズではほとんどの宿が鳥瞰図で描かれ、町並み等に遠近法を用い、横判では見られない雰囲気をかもし出しています。