Fujisawa Net Museum

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板元(はんもと):丸蔦(まるつた)

歌川派(うたがわは)(おお)くの浮世絵師(うきよえし)東海道(とうかいどう)五十三次(ごじゅうさんつぎ)シリーズを(えが)いていますが、芳員(よしかず)(えが)いたこのシリーズは、(かく)宿(しゅく)()にまつわる伝説(でんせつ)(いつ)()面白(おもしろ)おかしく紹介(しょうかい)しています。
(ぜん)(ぱん)(てき)(よこ)(しょう)(ばん)()(なか)にはユーモラスな()(がら)(おお)いとも()われます。

この藤沢(ふじさわ)場面(ばめん)は、(さむらい)(うま)囲碁(いご)()っているもので、藤沢(ふじさわ)ゆかりの「小栗判官(おぐりはんがん)照手姫(てるてひめ)伝説(でんせつ)」に登場(とうじょう)する、「乗馬(おにかげ)乗馬(じょうば)(だん)」を暗示(あんじ)しています。
すなわち、(さむらい)小栗判官(おぐりはんがん)(うま)鬼鹿毛(おにかげ)(よこ)()ている女性(じょせい)照手(てるて)(ひめ)というわけです。鬼鹿毛(おにかげ)(くつわ)(しるし)浴衣(ゆかた)()ているのもご(あい)(きょう)といったところです。

東海道五十三次内 藤沢 ひらつかへ二り余

東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)()(うち) 藤沢(ふじさわ) ひらつかへ()()

製作時期(せいさくじき):明治(めいじ)8(ねん)
板元(はんもと):山清(やませい)(山崎屋清七(やまざきやせいしち))

画面手前(がめんてまえ)三条大橋(さんじょうおおはし)後景(こうけい)東山(ひがしやま)(えが)構図(こうず)は、初代(しょだい)広重(ひろしげ)作品(さくひん)にも(つう)じています。 (はし)左端(ひだりはし)(えが)かれている(くろ)制服姿(せいふくすがた)人物(じんぶつ)は、郵便配達夫(ゆうびんはいたつふ)です。
明治(めいじ)(ねん)(1871)に郵便事業(ゆうびんじぎょう)(はじ)まると、郵便配達夫(ゆうびんはいたつふ)郵便物(ゆうびんぶつ)配達(はいたつ)(たずさ)わりました。

表題(ひょうだい)にある「布団(ふとん)()()たる姿(すがた)やひかし((ひがし)(やま)」とは松尾芭蕉(まつおばしょう)江戸時代(えどじだい)前期(ぜんき)俳諧師(はいかいし))の弟子(でし)である服部嵐雪(はっとりらんせつ)()んだもので、夕暮(ゆうぐれ)どきの東山(ひがしやま)(ゆき)(のこ)っている様子(ようす)を、布団(ふとん)()()ているような姿(すがた)()えると表現(ひょうげん)しました。

三代広重(さんだいひろしげ)(えが)くこのシリーズは、明治(めいじ)前期(ぜんき)東海道(とうかいどう)(かく)宿駅(しゅくえき)風景(ふうけい)(はな)やかな色彩(しきさい)(幕末(ばくまつ)から明治(めいじ)初期(しょき)海外(かいがい)からあざやかな科学(かがく)顔料(がんりょう)(はい)使用(しよう)される)で(えが)かれています。

東海名所 改正道中記 五十八 西京

東海(とうかい)名所(めいしょ) 改正(かいせい)道中(どうちゅう)() 五十八(ごじゅうはち) 三條(さんじょう)大橋(おおはし) 西京(さいきょう) 布団(ふとん)()()たる姿(すがた)やひかし(やま)

製作時期(せいさくじき):明治(めいじ)8(ねん)
板元(はんもと):山清(やませい)(山崎屋清七(やまざきやせいしち))

人々(ひとびと)()()活気(かっき)あふれる大津宿(おおつしゅく)様子(ようす)と、その後景(こうけい)琵琶湖(びわこ)()えます。
()(はこ)(うし)背中(せなか)には(あつ)対策(たいさく)(わら)(かぶ)せられていますが、これは初代広重(しょだいひろしげ)(えが)いた描写(びょうしゃ)です。

江戸時代(えどじだい)宿場町(しゅくばまち)()わらないような景色(けしき)(なか)にも、(みせ)二階(にかい)から姿(すがた)をみせている散切(ざんぎ)(あたま)男性(だんせい)電信柱(でんしんばしら)()(なら)様子(ようす)からは、明治(めいじ)時代(じだい)(かん)じられます。

三代広重(さんだいひろしげ)(えが)くこのシリーズは、明治(めいじ)前期(ぜんき)東海道(とうかいどう)(かく)宿駅(しゅくえき)風景(ふうけい)(はな)やかな色彩(しきさい)(幕末(ばくまつ)から明治(めいじ)初期(しょき)海外(かいがい)からあざやかな科学(かがく)顔料(がんりょう)(はい)使用(しよう)される)で(えが)かれています。

東海名所 改正道中記 五十七 大津

東海(とうかい)名所(めいしょ) 改正(かいせい)道中(どうちゅう)() 五十(ごじゅう)(なな) 大津(おおつ)



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