Fujisawa Net Museum

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歌川広重(うたがわひろしげ)
天保(てんぽう)14(ねん)-弘化(こうか)4(ねん)(1843-47)
東海道(とうかいどう)往来(おうらい)する人々(ひとびと)(えが)いたシリーズの(いち)(まい)です。()のほぼ中央(ちゅうおう)雲形(くもがた)区切(くぎ)り、上部(じょうぶ)東海道(とうかいどう)宿場(しゅくば)鳥瞰図(ちょうかんず)(ふう)(えが)き、下部(かぶ)には戯画(ぎが)(ふう)人物(じんぶつ)(えが)いています。「藤沢(ふじさわ)」の()には、「道中(どうちゅう)風俗(ふうぞく) 草原(そうげん) ()(きゅう)()」とあって、「六部(ろくぶ)写経(しゃきょう)した法華経(ほけきょう)諸国(しょこく)(おさめ)(けい)する回国(かいこく)巡礼(じゅんれい)(そう))」「順礼(じゅんれい)巡礼(じゅんれい))」「修業(しゅうぎょう)(しゃ)」「金毘羅(こんぴら)(まい)り」といった参詣(さんけい)(たび)をする人々(ひとびと)休憩(きゅうけい)する姿(すがた)がユーモラスに(えが)かれています。画面(がめん)上部(じょうぶ)には、藤沢宿(ふじさわしゅく)中心(ちゅうしん)に、「()(え)のしま」、「七面山(しちめんやま)龍口寺(りゅうこうじ))」、「遊行寺(ゆぎょうじ)」、「弁天(べんてん)(いち)(とり)ゐ」、「()()()(おい)わけ」、「なんご(南湖(なんご))の(うら)」などの名所(めいしょ)(えが)かれています。

東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)細見図絵(さいけんずえ) 藤沢(ふじさわ) 平塚(ひらつか)()三里(みさと)(はん)

この作品(さくひん)は、当時(とうじ)人気(にんき)歌舞伎役者(かぶきやくしゃ)とゆかりの宿場(しゅくば)背景(はいけい)(えが)いたシリーズです。「一ト眼千両(ひとめせんりょう)」とは、一目(ひとめ)()ただけで千両(せんりょう)訳注(やくちゅう)(りょう)江戸時代(えどじだい)貨幣(かへい)単位>(たんい)
千両(せんりょう)(いま)でいうと1億円(おくえん)以上(いじょう)価値(かち)になる。)という大金(たいきん)(はら)価値(かち)があるというたとえです。背景(はいけい)二代広重(にだいひろしげ)前景(ぜんけい)人物(じんぶつ)国周(くにちか)分担(ぶんたん)して(えが)いています。
この人物(じんぶつ)は「白波五人男(しらなみごにんおとこ)」の通称(つうしょう)()られる歌舞伎(かぶき)演目(えんもく)青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)」に登場(とうじょう)する人物(じんぶつ)一人(ひとり)で、江の島(えのしま)にゆかりのある弁天小僧菊之助(べんてんこぞうきくのすけ)です。(ふん)するは四代目(よんだいめ)市村家橘(いちむらかきつ)(のちの五代(ごだい)尾上菊五郎(おのえきくごろう))です。

東海道(とうかいどう)()()()(せん)(りょう) 藤沢(ふじさわ) 弁天小僧菊之助(べんてんこぞうきくのすけ)

制作(せいさく)時期(じき):安政(やすまさ)元年(がんねん)(1854)2(がつ)
板元(はんもと):(つた)(きち)

これは「相州(そうしゅう)()()(しま)眺望(ちょうぼう)」と(つい)で、(つた)(きち)から出版(しゅっぱん)された(なか)短冊(たんざく)(ばん)です。「武相(ぶそう)名所(めいしょ)手鑑(てかがみ)」のための武相(ぶそう)旅行(りょこう)は、5月10日(がつとおか)から6(がつ)24日(にじゅうよっか)までの45日間(にちかん)におよび、金沢八景(かなざわはっけい)浦賀(うらが)秋屋(あきや)鎌倉(かまくら)()(しま)大磯(おおいそ)湯本(ゆもと)箱根(はこね)(めぐ)(だい)旅行(りょこう)でした。この(とき)()(のこ)した「()(そう)(たび)絵日記(えにっき)」を下地(したじ)にしたものが嘉永(かえい)6(ねん)(1853(ねん))以後(いご)作品(さくひん)(おお)く、これもその(ひと)つです。(とく)にこれら(つい)作品(さくひん)は、「秋屋(あきや)海岸(かいがん)高所(こうしょ)から()()」や「秋屋(あきや)海岸(かいがん)」(両方(りょうほう)肉筆(にくひつ))の二幅(にふく)構図(こうず)がよく()ています。

歌川広重 鎌倉七里が浜風景

鎌倉(かまくら)七里(しちり)(はま)風景(ふうけい)



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