製作時期:慶応元年(1865)。
板元印なし
藤沢にあった間の宿(宿場間の休憩所)である「四ツ谷の立場」を描いた作品です。題字 に「追分道」とあるのは、この地が東海道から大山道が分岐しているためです。
二代広重は初代広重長女との結婚以前の重宣時代、二代広重時代、離婚後横浜に住んでからの立祥時代(慶応元年~明治二年)のそれぞれの画銘の時に数点の東海道シリーズを残しており、藤沢宿の立場、四ツ谷を描いたこのシリーズでは、全く同じ図柄で、二代広重時代のものと立祥と名を改めてからのものとの二種が存在します。
「追分道」とあるのは、この地が東海道から大山道が分岐しているためです。
茶屋のにぎわいが見て取れましょう。左端の「大山みち」と書かれた、不動明王像を戴いた道標は、現在も同地に立っています。