Fujisawa Net Museum

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馬士(ばし)(にん)喧嘩(けんか)をしている(さま)です。弥次(やじ)さんと喜多(きた)さんだけではなく、(うま)もどこか()ややかな()()ているのが滑稽(こっけい)場面(ばめん)です。馬士(ばし)は、荷物(にもつ)(うま)()せたり、()かせたりして(はこ)ぶことを職業(しょくぎょう)とした(ひと)たちです。保土ヶ谷宿(ほどがやじゅく)は、問屋(とんや)()幕府(ばくふ)公用(こうよう)旅行者(りょこうしゃ)大名(だいみょう)などの荷物(にもつ)(はこ)人足(にんそく)(うま)()仕切(しき)())が(おお)くその(かず)(やく)40(そん)あり、杉田(すぎた)(むら)(げん)横浜市(よこはまし)磯子区(いそごく))から成瀬(なるせ)(むら)(げん)東京都(とうきょうと)町田市(まちだし))まで(およ)びました。

製作(せいさく)時期(じき):万延(まんえん)元年(がんねん)(1860)。
板元(はんもと):當世屋(とうせいや)(品川屋久助(しながわやきゅうすけ))
このシリーズは(だい)ヒットした十返舎(じっぺんしゃ)一九(いっく)の『東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)』を()して(つく)られています。(かく)宿(やど)には弥次(やじ))さん、喜多(きた)さんが登場(とうじょう)し、芳幾(よしいく)二人(ふたり)のくりひろげる道中(どうちゅう)模様(もよう)をユーモラスに(えが)き、魯文(ろぶん)(かく)宿(やど)のテーマとなる文章(ぶんしょう)狂歌(きょうか)一句(いっく)二人(ふたり)会話(かいわ)をおもしろおかしく(しる)しています。

東海道中栗毛彌次馬 程ヶ谷

東海道(とうかいどう)(ちゅう)栗毛(くりげ)彌次馬(やじうま) (ほど)()

弥次喜多(やじきた)がかつてこの戸塚(とつか)には(だい)睾丸(こうがん)(ひと)がいたという話題(わだい)(たの)しんでいます。その(ひと)は、()(ちゅう)(すわ)っている男性(だんせい)のことでしょうか・・。十返舎(じっぺんしゃ)一九(いっく)の『東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)』では、弥次(やじ)さん喜多(きた)さんが江戸(えど)出発(しゅっぱつ)してから最初(さいしょ)()まったのが戸塚(とつか)宿(しゅく)です。戸塚(とつか)宿(しゅく)は、江戸(えど)から十里(じゅうり)(やく)40㎞)と一般(いっぱん)(ひと)(ある)く一(にち)行程(こうてい)距離(きょり)でした。 製作(せいさく)時期(じき):万延(まんえん)元年(がんねん)(1860)。
板元(はんもと):當世屋(とせや)(品川屋久助(しながわやきゅうすけ))

このシリーズは(だい)ヒットした十返舎(じっぺんしゃ)一九(いっく)の『東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)』を()して(つく)られています。(かく)宿(やど)には弥次(やじ)さん、喜多(きた)さんが登場(とうじょう)し、芳幾(よしいく)二人(ふたり)のくりひろげる道中(どうちゅう)模様(もよう)をユーモラスに(えが)き、魯文(ろぶん)(かく)宿(やど)のテーマとなる文章(ぶんしょう)狂歌(きょうか)一句(いっく)二人(ふたり)会話(かいわ)をおもしろおかしく(しる)しています。

東海道中栗毛彌次馬 戸塚

東海道(とうかいどう)(ちゅう)栗毛(くりげ)彌次馬(やじうま) 戸塚(とつか)

製作時期(せいさくじき):万延元年(まんえんがんねん)(1860)
板元(はんもと):當世屋(とうせいや)(品川屋久助(しながわやきゅうすけ))

(さか)()()る、鈴鹿(すずか)(くもり)る、あいの土山(つちやま)(あめ)()る」と(うた)われほど(あめ)(おお)いところであった土山(つちやま)を、弥次喜多(やじきた)二人(ふたり)はうつむき加減(かげん)黙々(もくもく)(ある)いているように()えます。いつもふざけてばかりの二人(ふたり)でも()()むこともあるのでしょうか。いいえ、どうやら、相変(あいか)わらず冗談(じょうだん)()()っているようです。
このシリーズは(だい)ヒットした十返舎一九(じっぺんしゃいっく)の『東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)』を()して(つく)られています。各宿(かくやど)には弥次(やじ)さん、(きた)さんが登場(とうじょう)し、芳幾(よしいく)二人(ふたり)のくりひろげる道中(どうちゅう)模様(もよう)をユーモラスに(えが)き、魯文(ろぶん)各宿(かくやど)のテーマとなる文章(ぶんしょう)狂歌一句(きょうかいっく)二人(ふたり)会話(かいわ)をおもしろおかしく(しる)しています。

東海道中栗毛彌次馬 土山

東海道(とうかいどう)(ちゅう)栗毛(くりげ)彌次馬(やじうま) 土山(つちやま)

製作時期(せいさくじき):万延元年(まんえん)(1860)。
板元(はんもと):當世屋(とうせいや)(品川屋久助(しながわやきゅうすけ))

桑名(くわな)といえばハマグリが有名(ゆうめい)です。「その()桑名(くわな)焼蛤(やきはまぐり)」(その()()わないの())の洒落(しゃれ)言葉(ことば)()()られています。ところが、()意地(いじ)のはった喜多(きた)さんが、店先(みせさき)(おお)きなハマグリを(えら)ぶと、その()ごとハマグリに(はさ)まれてしまいます。つまり、「()()われた」喜多(きた)さんでした。

このシリーズは(だい)ヒットした十返舎一九(じっぺんしゃいっく)の『東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)』を()して(つく)られています。各宿(かくやど)には弥次(やじ)さん、(きた)さんが登場(とうじょう)し、芳幾(よしいく)二人(ふたり)のくりひろげる道中(どうちゅう)模様(もよう)をユーモラスに(えが)き、魯文(ろぶん)各宿(かくやど)のテーマとなる文章(ぶんしょう)狂歌一句(きょうかいっく)二人(ふたり)会話(かいわ)をおもしろおかしく(しる)しています。

東海道中栗毛彌次馬 桑名

東海道(とうかいどう)(ちゅう)栗毛(くりげ)彌次馬(やじうま) 桑名(くわな)



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