ふりがな
江の島の歴史
江の島歴史年表
江の島散策マップ
江の島の文化財
江の島を訪れた人々
資料種類しりょうしゅるい(大分類だいぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(中分類ちゅうぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(小分類しょうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(大分類だいぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(中分類ちゅうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(小分類しょうぶんるい):
作者さくしゃ(50音分類ごじゅうおんぶんるい):
作者さくしゃ:
フリーワードふりーわーど:
発行(はっこう):神奈川県(かながわけん)観光(かんこう)聯合(れんごう)会(かい) 右手(みぎて)に横浜港(よこはまこう)の賑(にぎ)わいを、左手(ひだりて)に箱根山(はこねやま)を配(はい)して、三浦半島(みうらはんとう)を斜(なな)めに畳(たた)み込(こ)むことで神奈川県(かながわけん)を横長(よこなが)の一(いち)枚(まい)の絵図(えず)に収(おさ)めています。主(おも)だった観光名所(かんこうめいしょ)には英文(えいぶん)の表記(ひょうき)が添(そ)えられています。 江の島(えのしま)はことさらに大(おお)きく描(えが)かれていて、対岸(たいがん)の片瀬(かたせ)には「龍口寺(りゅうこうじ)」とならんで、遊園地(ゆうえんち)の「龍口(りゅうこう)園(えん)」(1928~34年も記(しる)されています。
神奈川県(かながわけん)観光(かんこう)図絵(ずえ)
1935頃(ごろ)の藤沢(ふじさわ)・伊勢山(いせやま)(いせやま)の分譲(ぶんじょう)地(ち)広告(こうこく)。左下(ひだりした)の橋(はし)は藤沢本町(ふじさわほんまち)の小田急線(おだきゅうせん)に架(か)かる東海道(とうかいどう)の伊勢山(いせやま)橋(ばし)です。図(ず)は、国鉄(こくてつ)線(せん)(JR東海道線(とうかいどうせん))、小田急線(おだきゅうせん)、国道(こくどう)等(とう)を描(えが)き、緑(みどり)豊(ゆた)かで交通(こうつう)至便(しべん)な土地(とち)であることを示(しめ)しています
藤沢(ふじさわ)湘(しょう)南荘(なんそう)分譲(ぶんじょう)地(ち)
藤沢(ふじさわ)バスの「沿線(えんせん)案内(あんない)」。こちらも観光(かんこう)と結(むす)びついて、広範囲(こうはんい)の交通網(こうつうもう)が見(み)られます。タイトルの左(ひだり)にある「新進(しんしん)」は理研(りけん)(合成(ごうせい))清酒(せいしゅ)の銘柄(めいがら)で、城南(じょうなん)の大和(やまと)醸造(じょうぞう)(現(げん)メルシャン)で醸造(じょうぞう)していました。
藤沢(ふじさわ)バス「沿線(えんせん)案内(あんない)」
制作(せいさく) 1931年(ねん) 定山渓鉄道(じょうざんけいてつどう) 初(はつ)三(さぶ)郎(ろう)の鳥瞰図(ちょうかんず)の中(なか)には、現代(げんだい)には残(のこ)ってない幻(まぼろし)となった名所(めいしょ)や鉄道(てつどう)も描(えが)かれており、本図(ほんず)もその一(ひと)つです。定山渓鉄道(じょうざんけいてつどう)は国鉄(こくてつ)千歳(ちとせ)線(せん)・東札幌駅(ひがしさっぽろえき)から定山渓温泉(じょうざんけいおんせん)を結(むす)び、かつて自然(しぜん)豊(ゆた)かな景色(けしき)や温泉(おんせん)、スキー場(じょう)といった観光地(かんこうち)を網羅(もうら)しています。さらに、鉱石(こうせき)や石炭(せきたん)、木材(もくざい)輸送(ゆそう)にも大(おお)きく貢献(こうけん)しましたが、昭和(しょうわ) 44 年(ねん)(1969)に全線(ぜんせん)が廃止(はいし)されています。 本図(もとず)の裏(うら)(土地(とち)に関(かん)する解説(かいせつ)ガイドのような文章(ぶんしょう)が書(か)かれている)にある初(はつ)三(さぶ)郎(ろう)の「絵(え)に添(そ)えて一筆(いっぴつ)」(解説(かいせつ)ガイドの一角(いっかく)を占(し)める鳥瞰図(ちょうかんず)を描(えが)いた絵師(えし)によるコーナー)には、初(はじ)めて初三(はつさぶ)郎(ろう)がこの地(ち)を訪(おとず)れた頃(ころ)はまだ定山渓鉄道(じょうざんけいてつどう)が建設(けんせつ)途中(とちゅう)であったものの、十(じゅう)数(すう)年(ねん)後(ご)に訪(おとず)れると鉄道(てつどう)が完成(かんせい)し、活気(かっき)溢(あふ)れる観光(かんこう)地(ち)へと発展(はってん)した光景(こうけい)に感激(かんげき)を受(う)けた旨(むね)が記(しる)されています。
定山渓(じょうざんけい)電鉄(でんてつ)沿線(えんせん)名所(めいしょ)図絵(ずえ)
制作(せいさく) 1931年(ねん) 小樽市(おたるし)商工会議所(しょうこうかいぎしょ)、小樽市役所(おたるしやくしょ)、三菱鉱業(みつびしこうぎょう) 他(た) 港(みなと)を囲(かこ)むように広(ひろ)がる小樽(おたる)の町並(まちな)みは、「手前(てまえ)に海(うみ)、背後(はいご)に山(やま)」を理想(りそう)とした初(はつ)三郎(さぶろう)好(この)みの地形(ちけい)となっています。昭和初期(しょうわしょき)の小(しょう)樽(たる)は、貿易港(ぼうえきこう)を備(そな)え持(も)つ経済(けいざい)都市(とし)として発展(はってん)し、当時(とうじ)の札幌(さっぽろ)より人口(じんこう)が多(おお)かったそうです。特(とく)に、色内(いろない)地区(ちく)には、日本銀行(にっぽんぎんこう)をはじめとした金融機関(きんゆうきかん)が集中(しゅうちゅう)し「北(きた)のウォール街(がい)」とも称(しょう)されました。 また、手宮(てみや)-札幌(さっぽろ)間(かん)を結(むす)ぶ鉄道(てつどう)は、明治(めいじ)13年(ねん)(1880)に国内(こくない)三(さん)番目(ばんめ)の鉄道(てつどう)として開(ひらく)に国内(こくない)三(さん)番目(ばんめ)の鉄道(てつどう)として開業(かいぎょう)しました。 内港(ないこう)設備(せつび)として大正(たいしょう)末(まつ)に整備(せいび)された運河(うんが)と倉庫(そうこ)群(ぐん)は現在(げんざい)も一部(いちぶ)が保存(ほぞん)され、観光名所(かんこうめいしょ)となっています。
小樽市(おたるし)鳥瞰図(ちょうかんず)
制作(せいさく) 1930年(ねん) 旭川商工会議所(あさひかわしょうこうかいぎしょ)
旭川市(あさひかわし)を中心(ちゅうしん)とせる名所(めいしょ)交通(こうつう)鳥瞰図(ちょうかんず)
制作(せいさく) 1952年(ねん) 上川町(かみかわちょう)役場(やくば)
上川町(かみかわまち)鳥瞰図(ちょうかんず)
制作(せいさく) 1933年(ねん) 宮城県(みやぎけん)観光協会(かんこうきょうかい)
観光(かんこう)之(の)宮城県(みやぎけん)図絵(ずえ)