Fujisawa Net Museum



イースト・インディア・マリン・ホール(East India Marine Hall)

イースト・インディア・マリン・ホール(East India Marine Hall)イースト・インディア・マリン・ホール(East India Marine Hall)
1824ねん ひがしインド海運かいうん協会きょうかいのミーティング・ホールとしててられた建物たてもの

解説かいせつ

セーラムにあるピーボディ・エセックス博物館はくぶつかん は、E.S.モース博士はかせが 36 年間ねんかん館長かんちょうつとめ、その名誉館長めいよかんちょうでもあった歴史れきしある博物館はくぶつかんです。
ピーボディ博物館はくぶつかんは、 1799 ねんに、セーラムの船長せんちょう指揮官しきかん相互扶助そうごふじょ目的もくてきとして設立せつりつされたセーラムひがしインド海運かいうん協会きょうかい前身ぜんしんです。航海こうかいかんする情報じょうほう世界各地せかいかくち工芸こうげいひん民族みんぞく資料しりょう標本ひょうほんなどを収集しゅうしゅう展示てんじしていました。
一方いっぽう、エセックス研究所けんきゅうじょは、 1848 ねんに、エセックスぐん自然しぜん文化ぶんかかんする資料しりょう収集しゅうしゅう保存ほぞんする目的もくてき設立せつりつされた民間みんかん研究けんきゅう機関きかんでした。
エセックス研究所けんきゅうじょが、 1866 ねんごろ、ジョージピーボディからの寄付金きふきんにより、写真しゃしんにあるセーラムひがしインド海運かいうん協会きょうかいのイースト・インディア・マリン・ホール(East India Marine Hall)をげ、 1867 ねんにピーボディ科学かがくアカデミーが創設そうせつされることとなります。モース博士はかせは、この開設かいせつ準備じゅんびにもかかわり、開設かいせつ学芸員がくげいいんとして勤務きんむしています。
その 1915 ねんには、このピーボディ科学かがくアカデミーはセーラム・ピーボディ博物館はくぶつかん改称かいしょうし、 1992 ねんには、ピーボディ博物館はくぶつかんとエセックス研究所けんきゅうじょ合併がっぺいしてピーボディ・エセックス博物館はくぶつかんとなっています。
モース博士はかせ来日らいにちして収集しゅうしゅうした資料しりょうならびに中国ちゅうごく東南とうなんアジアをてヨーロッパで収集しゅうしゅうした資料しりょうは、現在げんざい大切たいせつにピーボディ・エセックス博物館はくぶつかん保管ほかんされています。また、これらの資料しりょうは、そののちどう博物館はくぶつかん民俗資料みんぞくしりょう母体ぼたいともなり、現在げんざいでは寄贈きぞうひんなどをふくめて東洋とうよう民俗資料みんぞくしりょうが3まんてんにもおよんでいます。
なお、このピーボディ・エセックス博物館はくぶつかん大田おおた区立くりつ郷土きょうど博物館はくぶつかんは、 1984 ねん昭和しょうわ 59 ねん)、姉妹しまいかん提携ていけいむすび、この提携ていけいをもとに、 1991 ねん平成へいせい 3 ねん)には、セーラム大田区おおたくとの姉妹都市しまいとし提携ていけい締結ていけつされています。

[参考文献さんこうぶんけん]
1) 「わたしたちのモース:日本にっぽんあいした大森貝塚おおもりかいづかちち」 1990 ねん 大田おおた区立くりつ郷土きょうど博物館はくぶつかん
2) 「セーラムの歴史れきしにちべい友好ゆうこうのかけはしとなったまち」 1993 ねん 大田おおた区立くりつ郷土きょうど博物館はくぶつかん

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