江(え)の島(しま)文化財(ぶんかざい) 金石文(きんせきぶん) 永瀬(ながせ)覇天(はてん)朗(ろう)の句碑(くひ) 江(え)の島(しま)文化財(ぶんかざい) 一覧いちらん 遺跡いせき 金石文きんせきぶん 古文書こもんじょ・版本はんぽん 絵画かいが・彫刻ちょうこく・工芸品こうげいひん 浮世絵うきよえ くらしの道具どうぐ 石造(せきぞう)物(ぶつ) 永瀬(ながせ)覇天(はてん)朗(ろう)の句碑(くひ) 永瀬(ながせ)覇天(はてん)朗(ろう)の句碑(くひ) 年代(ねんだい) 昭和(しょうわ)36年(ねん)(1961) 所在地(しょざいち) 稚児(ちご)ヶ淵(ふち) 江(え)の島(しま)2-6-22 解説(かいせつ) 覇天(はてん)朗(ろう)の本名(ほんみょう)は永瀬(ながせ)登(とう)三郎(さぶろう)(1873 – 1937)です。藤沢(ふじさわ)大坂町(おおさかちょう)坂戸(さかど)の酒屋(さかや)日野(ひの)銀(ぎん)の主人(しゅじん)でした。当時(とうじ)の地方(ちほう)俳諧(はいかい)の最先端(さいせんたん)を歩(あゆ)み、句集(くしゅう)「覇天(はてん)朗(ろう)」を成(な)しました。この句碑(くひ)は昭和(しょうわ) 12 年(ねん)(1937)に桟橋(さんばし)のところに建(た)てられたのですが、波浪(はろう)で破損(はそん)したのを、江(え)の島(しま)俳句(はいく)協会(きょうかい)をはじめ湘南(しょうなん)地帯(ちたい)七(なな)市町(しちょう)の俳句(はいく)協会(きょうかい)の協力(きょうりょく)によって昭和(しょうわ) 36 年(ねん)(1961)に再建(さいけん)したものです。