江(え)の島(しま)文化財(ぶんかざい) 金石文(きんせきぶん) 佐羽(さわ)淡(たん)斉(さい)詩碑(しひ) 江(え)の島(しま)文化財(ぶんかざい) 一覧いちらん 遺跡いせき 金石文きんせきぶん 古文書こもんじょ・版本はんぽん 絵画かいが・彫刻ちょうこく・工芸品こうげいひん 浮世絵うきよえ くらしの道具どうぐ 石造(せきぞう)物(ぶつ) 佐羽(さわ)淡(たん)斉(さい)詩碑(しひ) 佐羽(さわ)淡(たん)斉(さい)詩碑(しひ) 年代(ねんだい) 文政(ぶんせい)5年(ねん)(1822) 所在地(しょざいち) 稚児(ちご)ヶ淵(ふち) 江(え)の島(しま)2-6-22 解説(かいせつ) 佐羽(さわ)淡(たん)斉(さい)は上州(じょうしゅう)桐生(きりゅう)(群馬県(ぐんまけん))の富豪(ふごう)で吉右衛門(きちえもん)を名乗(なの)り、桐生(きりゅう)の織物(おりもの)産業(さんぎょう)の拡大(かくだい)に努(つと)めました。詩人(しじん)としては、大窪(おおくぼ)詩(し)佛(ふつ) (1767~1837 )門下(もんか)になります。翠屏(すいへい)吟社(ぎんしゃ)を設(もう)けて漢詩(かんし)を広(ひろ)めるとともに、全国(ぜんこく)の名所旧跡(めいしょきゅうせき)を遍歴(へんれき)して百(ひゃく)詩碑(しひ)建立(こんりゅう)を図(はか)り、この碑(ひ)はその第(だい) 1 号(ごう)として建(た)てられました。現在(げんざい)の碑(ひ)は、後年(こうねん)の罹災(りさい)で碑(ひ)面(めん)が剥落(はくらく)していたものを子孫(しそん)が再建(さいけん)したものです。