Fujisawa Net Museum

資料詳細

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資料名しりょうめい

岩本院(いわもといん)文書(もんじょ)

作者さくしゃ

時代じだい

日本(にほん) 室町(むろまち)・南北朝(なんぼくちょう)・戦国(せんごく)・安土桃山(あづちももやま)・江戸(えど)

解説かいせつ

昭和(しょうわ)50(ねん)(1975)2月7日(がつなのか)指定(してい)()(しま)岩本院(いわもといん)伝来(でんらい)した(やく)400(てん)古文書(こもんじょ)です。(たて)51.2㎝・(よこ)69.5㎝の折本(おりほん)通称(つうしょう)される1(じょう)と、巻子(かんす)50(かん)整理(せいり)されています。江戸時代(えどじだい)()(しま)弁天社(べんてんしゃ)本宮岩屋(ほんぐういわや)上之宮(うえのみや)下之宮(しものみや)三社(さんしゃ)があり、江嶋寺(えのしまでら)総称(そうしょう)される三坊(さんぼう)三社(さんしゃ)管理(かんり)していました。三坊(さんぼう)とも明治元年(めいじがんねん)(1868)に廃寺(はいじ)となりましたが、その(うち)本宮(ほんぐう)(あず)かっていたのが岩本院(いわもといん)で、全体(ぜんたい)総別当(そうべっとう)でもありました。岩本院文書(いわもといんぶんしょ)は、享徳(きょうとく)4(ねん)(1455)の足利成氏(あしかがしげうじ)感状(かんじょう)(戦功(せんこう)をたたえる文書(ぶんしょ))以下(いか)古河公方(こがくぼう)足利氏(あしかがし)小田原(おだわら)北条氏(ほうじょうし)徳川将軍家(とくがわしょうぐんけ)本山(ほんざん)だった京都(きょうと)仁和寺(にんなじ)との(かか)わり、島内(とうない)のできごと、弁財天信仰(べざいてんしんこう)など、中世(ちゅうせい)から近世(きんせい)(いた)()(しま)様子(ようす)()らせてくれます。現在(げんざい)文書館(もんじょかん)寄託(きたく)されています。

サイズさいず

(たて)51.2㎝・(よこ)69.5㎝

分類ぶんるい

文化財(ぶんかざい) (けん) (けん)指定(してい)重要文化財(じゅうようぶんかざい)書跡(しょせき)

資料番号しりょうばんごう

90039

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