Fujisawa Net Museum

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資料名しりょうめい

清浄光寺(しょうじょうこうじ)の銅(どう)鐘(しょう)

作者さくしゃ

時代じだい

日本(にほん) 南北朝(なんぼくちょう)

解説かいせつ

平成(へいせい)2年(ねん)(1990)2月(がつ)13日(にち)指定(してい)/総高(そうだか)170㎝、口径(こうけい)92.4㎝/清浄光寺(しょうじょうこうじ)開創以来(かいそういらい)、時宗(じしゅう)が隆盛期(りゅうせいき)に達(たっ)した延文元年(えんぶんがんねん)(1356)、遊行(ゆぎょう)8代(だい)渡船上人(とせんしょうにん)の時(とき)に鋳造(ちゅうぞう)されました。境内(けいだい)で見(み)ることのできる最(もっと)も古(ふる)い文化財(ぶんかざい)で、今(いま)も現役(げんえき)として活躍(かつやく)している時(とき)の鐘(かね)でもあります。大(おお)きな「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」の六文字(ろくもじ)の近(ちか)くに製作者(せいさくしゃ)「光連(こうれん)」の名(な)が見(み)えます。彼(かれ)は13世紀半(じゅうさんせいきなか)ばから現在(げんざい)の厚木市(あつぎし)あたりを本拠(ほんきょ)としていた鋳物師(いものし)の一族(いちぞく)で、この梵鐘(ぼんしょう)は物部氏(もののべし)が残(のこ)した現存(げんそん)する最後(さいご)の作品(さくひん)です。戦国期(せんごくき)に小田原城(おだわらじょう)の陣鐘(じんがね)にされましたが、寛永(かんえい)3年(ねん)(1626)同城下(どうじょうか)の寿昌寺(じゅしょうじ)から取(と)り戻(もど)されたという逸話(いつわ)も残(のこ)っています。所有管理者(しょゆうかんりしゃ):清浄光寺(しょうじょうこうじ)(遊行寺(ゆぎょうじ))

サイズさいず

総高(そうだか)170㎝、口径(こうけい)92.4㎝

分類ぶんるい

文化財(ぶんかざい) 県(けん) 県(けん)指定(してい)重要文化財(じゅうようぶんかざい)(工芸(こうげい)品(ひん))

資料番号しりょうばんごう

90032

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