Fujisawa Net Museum

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平成(へいせい)9年(ねん)(1997)2月(がつ)12日(にち)指定(してい)/
像高(ぞうこう):108.7cm、頭長(とうちょう)28.5cm、
裾張(すそばり)24.5㎝、胸厚(むなあつ)14.5㎝、腹厚(はらあつ)17.5cm、一木造(いちぼくづくり)、彫眼(ちょうがん)/表面剥落(ひょうめんはくらく)、右腕(みぎうで)・左肘先(ひだりひじさき)・両足先(りょうあしさき)欠失(けっしつ)(本来(ほんらい)は右手(みぎて)に宝剣(ほうけん)、左手(ひだりて)に宝珠(ほうじゅ)を持(も)っていたと推定(すいてい)されます)。損傷(そんしょう)が甚(はなは)だしいものの、古様(ふるざま)の作風(さくふう)から、制作年代(せいさくねんだい)は平安中期頃(へいあんちゅうきごろ)まで遡(さかのぼ)る可能性(かのうせい)が指摘(してき)される市内最古(しないさいこ)の彫像(ちょうぞう)です。本像(ほんぞう)は『新編相模国風土記稿(しんぺんさがみのくにふどきこう)』の記述(きじゅつ)等(とう)から、嘉永(かえい)4年(ねん)(1851)に神光寺(じんこうじ)に合併(がっぺい)された旧大勝寺(きゅうだいしょうじ)の本尊(ほんぞん)と推定(すいてい)されています。立像(りゅうぞう)の虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)は、全国的(ぜんこくてき)にも非常(ひじょう)に稀少(きしょう)な存在(そんざい)でもあります。所有管理者(しょゆうかんりしゃ):神光寺(じんこうじ)

木造(もくぞう)虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)立像(りゅうぞう)

平成(へいせい)10年(ねん)(1998)2月(がつ)12日(にち)指定(してい)/像高(ぞうこう)49.5㎝、総高(そうこう)68.2㎝、寄木造(よせぎづくり)、玉眼(ぎょくがん)(後補(こうほ))/左手(ひだりて)に蓮華(れんげ)を持(も)つ通常相(つうじょうそう)の坐像(ざぞう)です。華奢(きゃしゃ)な上腕部(じょうわんぶ)や深(ふか)い両腋(りょうわき)等(とう)の特徴(とくちょう)をもちつつ、顔(かお)つきは繊細(せんさい)で上品(じょうひん)に引(ひ)き縮(ちぢ)まっており、尊体(そんたい)の抑揚(よくよう)は程(ほど)よく、衣文表現(えもんひょうげん)も巧(たく)みです。玉眼(ぎょくがん)や身部(しんぶ)の金泥(きんでい)、衣部(いぶ)の漆箔(しっぱく)、および両手足(りょうてあし)は後補(こうほ)ですが、像(ぞう)が持(も)つ整(ととの)った上品(じょうひん)な雰囲気(ふんいき)および時代(じだい)の特徴(とくちょう)は失(うしな)っていません。構造(こうぞう)や材質(ざいしつ)(木(き)および漆(うるし))も近世以降(きんせいいこう)のものではなく、鎌倉期以来(かまくらきいらい)の慶派(けいは)の特徴(とくちょう)を持(も)っており、鎌倉末期(かまくらまっき)、14世紀前半頃(せいきぜんはんごろ)の作(さく)と推定(すいてい)されています。所有管理者(しょゆうかんりしゃ):二伝寺(にでんじ)

木造(もくぞう)聖観音(しょうかんのん)坐像(ざぞう)

平成(へいせい)29年(ねん)(2017)2月1日(がつついたち)指定(してい)/養命寺(ようめいじ)の本尊仏(ほんぞんぶつ)で国指定重要文化財(くにしていじゅうようぶんかざい)の薬師如来坐像(やくしにょらいざぞう)の脇侍仏(わきじぶつ)です。量感(りょうかん)のある造形(ぞうけい)や写実的(しゃじつてき)な衣文表現(えもんひょうげん)など、鎌倉時代前期(かまくらじだいぜんき)の運慶派(うんけいは)の流(なが)れを受(う)けています。中尊(ちゅうそん)の薬師如来坐像(やくしにょらいざぞう)は東国(とうごく)における初期(しょき)運慶派(うんけいは)の作例(さくれい)と位置(いち)づけられる像(ぞう)で、脇侍菩薩(わきじぼさつ)として両像(りょうぞう)の作風(さくふう)はそれに相応(ふさわ)しいものです。制作時期(せいさくじき)は、運慶派系(うんけいはけい)作例(さくれい)との比較(ひかく)から、薬師如来坐像(やくしにょらいざぞう)の造(つく)られた建久(けんきゅう)8年(ねん)(1197)よりやや後(あと)で、十三世紀半(じゅうさんせいきなか)ばの作品(さくひん)と考(かんが)えられますが、日光菩薩像(にっこうぼさつぞう)の顔(かお)は十四世紀半(じゅうよんせいきなか)ばに補修(ほしゅう)されたと推測(すいそく)されます。 寄木造(よせぎづくり)、玉眼(ぎょくがん)、漆塗(うるしぬ)り。像高(ぞうこう)は日光菩薩立像(にっこうぼさつりゅうぞう)105.9㎝、月光菩薩立像(がっこうぼさつりゅうぞう)106.2㎝。所有管理者(しょゆうかんりしゃ):養命寺(ようめいじ)

木造(もくぞう)日光(にっこう)・月光菩薩(がっこうぼさつ)立像(りゅうぞう)

昭和(しょうわ)33年(ねん)(1958)1月14日(がつじゅうよっか)指定(してい)/銘(めい):(表(おもて))肥前国佐賀住(ひぜんのくにさがじゅう)河内大掾(かわちだいじょう)藤原正広(ふじわらまさひろ)作(さく)・正保四年(しょうほうよねん)八月吉日(はちがつきちじつ)(裏(うら))施主(せしゅ)鍋島(なべしま)大(まさる)(以下不明(いかふめい))、法量(ほうりょう):刃長(はちょう)93.9cm・反(そり)3.1cm、目釘穴(めくぎあな)2個(こ)/正広(まさひろ)は初代肥前国忠吉(しょだいひぜんのくにただよし)の孫(まご)。この太刀(たち)は正保(しょうほう)4年(ねん)(1647)彼(かれ)が41才(さい)の円熟期(えんじゅくき)の作(さく)で、雄大(ゆうだい)な姿(すがた)に思(おも)いきった皆焼(ひたつら)・複雑(ふくざつ)な刃文(はもん))を焼(や)き、地鉄(ちてつ)はよく洗練(せんれん)され、梨地(なしじ)(無地(むじ))に小板目(こいため)(木目(もくめ)に似(に)た地肌(じはだ))交(まじ)りで鍛(きた)えられています。社伝(しゃでん)によると、肥前蓮池(ひぜんはすいけ)(佐賀市(さがし))の城主(じょうしゅ)鍋島甲斐守(なべしまかいのかみ)が正広(まさひろ)に鍛(きた)えさせ、江戸出府(えどしゅっぷ)のとき同社(どうしゃ)に奉納(ほうのう)したものと伝(つた)えています。所有管理者(しょゆうかんりしゃ):江島神社(えのしまじんじゃ)

太刀(たち) 銘(めい) 肥前国(ひぜんのくに)佐賀(さが)住(じゅう)河内(かわうち)大掾(だいじょう)藤原(ふじわら)正広(まさひろ)作(さく) 1口(くち)

昭和(しょうわ)33年(ねん)(1958)6月(がつ)17日(にち)指定(してい)/銘(めい):(表(おもて))相州住秋広(そうしゅうじゅうあきひろ)(裏(うら))貞治三年(じょうじさんねん)十二月□日(じゅうにがつ□にち)、法量(ほうりょう):刃長(はちょう)37.6cm、目釘穴(めくぎあな)1個(こ)/貞宗門下(さだむねもんか)と伝(つた)える鎌倉鍛冶(かまくらかじ)・秋広(あきひろ)の貞治(じょうじ)3年(ねん)(1364)の作(さく)です。身巾(みはば)の広(ひろ)い平造(ひらづく)りの形(かたち)などはこの時代(じだい)の特色(とくしょく)です。地鉄(ちてつ)は板目鍛(いためきた)え(木の板(きのいた)に似(に)た地肌(じはだ))、刃文(はもん)は互の目乱(ぐのめみだ)れ(波形(はけい)の乱れ刃(みだれば))皆焼刃(ひたつらば)になっています。黒田家(くろだけ)に伝来(でんらい)したものです。茎(なかご)3寸(すん)1分(ぶ)5厘(り)(9.5cm)元巾(もとはば)1寸(すん)2厘(り)(3.1㎝)目釘孔(めくぎあな)1(形状(けいじょう))平造(ひらづく)り三ツ棟(みつむね)、身巾(みはば)広(ひろ)く寸延(すんの)び(鍛(たん))大板目(おおいため)(刀文(はもん))互の目乱(ぐのめみだれ)、上半皆焼(じょうはんひたつら)(彫物(ほりもの))棒樋(ぼうひ)を区下(くげ)に揆流(おいなが)す。個人蔵(こじんぞう)

わきざし 銘(めい) 相州(そうしゅう)住(じゅう)秋広(あきひろ) 1口(くち)

平成(へいせい)2年(ねん)(1990)2月(がつ)13日(にち)指定(してい)/総高(そうだか)170㎝、口径(こうけい)92.4㎝/清浄光寺(しょうじょうこうじ)開創以来(かいそういらい)、時宗(じしゅう)が隆盛期(りゅうせいき)に達(たっ)した延文元年(えんぶんがんねん)(1356)、遊行(ゆぎょう)8代(だい)渡船上人(とせんしょうにん)の時(とき)に鋳造(ちゅうぞう)されました。境内(けいだい)で見(み)ることのできる最(もっと)も古(ふる)い文化財(ぶんかざい)で、今(いま)も現役(げんえき)として活躍(かつやく)している時(とき)の鐘(かね)でもあります。大(おお)きな「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」の六文字(ろくもじ)の近(ちか)くに製作者(せいさくしゃ)「光連(こうれん)」の名(な)が見(み)えます。彼(かれ)は13世紀半(じゅうさんせいきなか)ばから現在(げんざい)の厚木市(あつぎし)あたりを本拠(ほんきょ)としていた鋳物師(いものし)の一族(いちぞく)で、この梵鐘(ぼんしょう)は物部氏(もののべし)が残(のこ)した現存(げんそん)する最後(さいご)の作品(さくひん)です。戦国期(せんごくき)に小田原城(おだわらじょう)の陣鐘(じんがね)にされましたが、寛永(かんえい)3年(ねん)(1626)同城下(どうじょうか)の寿昌寺(じゅしょうじ)から取(と)り戻(もど)されたという逸話(いつわ)も残(のこ)っています。所有管理者(しょゆうかんりしゃ):清浄光寺(しょうじょうこうじ)(遊行寺(ゆぎょうじ))

清浄光寺(しょうじょうこうじ)の銅(どう)鐘(しょう)



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