Fujisawa Net Museum

資料詳細

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資料名しりょうめい

青銅(せいどう)(せい)燈籠(とうろう)

作者さくしゃ

時代じだい

日本(にほん) 江戸(えど)

解説かいせつ

平成(へいせい)27(ねん)(2015)10月1日(がつついたち)指定(してい)清浄光寺(しょうじょうこうじ)遊行寺(ゆぎょうじ))の黒門前(くろもんまえ)左右(さゆう)2基(にき)青銅製(せいどうせい)燈籠(とうろう)です。銘文(めいぶん)によれば、天保(てんぽう)13(ねん)(1842)8(がつ)23(にち)建立(こんりゅう)ですが、一念(いちねん)遊行上人(ゆぎょうしょうにん)としても(きざ)んでいるので、実際(じっさい)完成(かんせい)一念(いちねん)遊行上人(ゆぎょうしょうにん)相続(そうぞく)した嘉永元年(かえいがんねん)(1848)以降(いこう)(おく)れたようです。(たか)さは双方(そうほう)(やく)2m80cm。『籐沢山銅灯籠志記(とうたくさんどうとうろうこころざしのき)』によれば、江戸講中(えどこうじゅう)(はじ)めとして遠近(えんきん)篤志者(とくしか)一体(いったい)となって、天保(てんぽう)10(ねん)(1839)5(がつ)建造(けんぞう)(のぞ)んだものです。江戸講中(えどこうじゅう)(もの)講元世話(こうもとせわ)右側(みぎがわ)(あし)に「籐沢山三十九世他阿上人(とうたくさんさんじゅうきゅうせたあしとうにん)一如書(いちじゅうひつ)」と、左側(ひだりがわ)(あし)には「遊行(ゆぎょう) 五十七世他阿上人(ごじゅうななせたあしようにん) 一念書(いちねんひつ)」とあるほか、(おお)くの寄進者名(きしんしゃめい)(きざ)まれています。鋳造師(ちゅうぞうし)江戸神田(えどかんだ)西村和泉守(にしむらいずみのかみ)藤原政時(ふじわらまさとき)八代(はちだい)か)で、その作品(さくひん)には、八代西村和泉守(はちだいにしむらいずみのかみ)作品例(さくひんれい)として天保(てんぽう)15(ねん)(1844)建立(こんりゅう)東京都千代田区(とうきょうとちよだく)平河天満宮(ひらかわてんまんぐう)鳥居(とりい)(千代田区(ちよだく)指定(してい))ほか遺品(いひん)(おお)いです。所有管理者(しょゆうかんりしゃ)清浄光寺(しょうじょうこうじ)遊行寺(ゆぎょうじ)

サイズさいず

分類ぶんるい

文化財(ぶんかざい) () ()指定(してい)重要文化財(じゅうようぶんかざい)建造物(けんぞうぶつ)

資料番号しりょうばんごう

90008

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