Fujisawa Net Museum

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昭和(しょうわ)41(ねん)(1966)1(がつ)17(にち)指定(してい)
()(しま)(みち)道標(どうひょう)です。江戸前期(えどぜんき)鍼医(はりい)杉山検校(すぎやまけんぎょう)藤沢宿(ふじさわしゅく)から()(しま)(つづ)(やく)4㎞の()(しま)(みち)周辺(しゅうへん)に48()道標(どうひょう)建立(こんりゅう)したと(つた)えられています。のちに移設(いせつ)されたものもありますが、市内(しない)では藤沢橋脇(ふじさわばしわき)白旗神社境内(しらはたじんじゃけいだい)遊行通(ゆぎょうどお)りロータリー(ない)砥上公園(いしがみこうえん)法照寺境内(ほうしょうじけいだい)片瀬小学校(かたせしょうがっこう)密蔵寺(みつぞうじ)()かい(つじ)大源太公園(だいげんたこうえん)西行戻り松(さいぎょうもどりまつ)(わき)湘南(しょうなん)モノレール「湘南(しょうなん)()(しま)駅付近(えきふきん)片瀬洲鼻通り(かたせすばなどおり)江島神社(えのしまじんじゃ)参道福石横(さんどうふくいしよこ)の12()指定(してい)されています(市内(しない)未指定(みしてい)もあり。鎌倉市(かまくらし)東京都(とうきょうと)にも(かく)()確認(かくにん)されている。(うち)1()杉山検校(すぎやまけんぎょう)とは無関係(むかんけい))。いずれも火成岩製(かせいがんせい)、ほぼ同型同寸(どうけいどうすん)(うち)1()(のぞ)く)。標身高(ひょうしんこう)120㎝の尖頭角柱形(せんとうかくちゅうけい)四面(しめん)のうち三面(さんめん)に「一切衆生(いっさいしゅじょう)」「ゑのしま(みち)」「二世安楽(にせいあんらく)」と(きざ)まれています。所有管理者(しょゆうかんりしゃ)藤沢市教育委員会(ふじさわしきょういくいいんかい)ほか

()(しま)弁財天(べんざいてん)道標(どうひょう) 12基(じゅうにき)

昭和(しょうわ)41(ねん)(1966)1(がつ)17(にち)指定(してい)総高(そうこう)112.0㎝の延文元年(えんぶんがんねん)(1356)12(がつ)3(にち)(めい)と、下部欠損(かぶけっそん)永和(えいわ)3(ねん)(1377)10(がつ)17(にち)(めい)の、2()板碑(いたび)です。板碑(いたび)とは鎌倉時代(かまくらじだい)から戦国時代(せんごくじだい)(いた)(やく)400年間(ねんかん)流行(りゅうこう)した卒塔婆(そとば)一種(いっしゅ)で、2()はいずれも緑泥片岩製(りょくでいへんがんせい)武蔵型板碑(むさしがたいたび)です。時宗(じしゅう)板碑(いたび)には「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」の名号(みょうごう)(きざ)みつけたものが(おお)く、楷書体(かいしょたい)のものと(ぎょう)草書体(そうしょたい)の2系統(けいとう)がみられ、この2()楷書体(かいしょたい)(きざ)まれています。2基(にき)とも南北朝時代(なんぼくちょうじだい)のもので、江戸末期(えどまっき)時宗総本山(じしゅうそうほんざん)清浄光寺(しょうじょうこうじ)遊行寺(ゆぎょうじ)北方(ほっぽう)(はたけ)から発掘(はっくつ)されました。所有管理者(しょゆうかんりしゃ)長生院(ちょうしょういん)

時宗(じしゅう)板碑(いたび) 2()

平成(へいせい)9(ねん)(1997)2(がつ)12(にち)指定(してい)明神型(みょうじんがた)総高(そうだか)552㎝、最大幅(さいだいはば)717㎝、柱間(はしらま)335.5㎝、柱径(はしらけい)41㎝、青銅製(せいどうせい)()(しま)入口(いりぐち)()っている鳥居(とりい)です。柱部銅板(ちゅうぶどうばん)5段継(だんつ)ぎ、貫銅板(かんどうばん)3(まい)笠木銅板(かさぎどうばん)8枚継(まいつ)ぎ、根巻(ねまき)に、(なみ)(かめ)装飾金具(そうしょくかなぐ)()き、石基壇上(せっきだんじょう)()ち、(はしら)内部(ないぶ)空洞(くうどう)で、(すな)()まっていると伝わります。『新編相模国風土記稿(しんぺんさがみのくにふどきこう)』の「島口(しまぐち)鳥居(とりい)」に相当(そうとう)し、銘文(めいぶん)によれば、延享(えんきょう)4(ねん)(1747)の創建(そうけん)で、文政(ぶんせい)4(ねん)(1821)に再建(さいけん)されました。寄進者(きしんしゃ)は250(めい)(かぞ)えます。その大半(たいはん)江戸(えど)住人(じゅうにん)ですが、八王子(はちおうじ)上総(かつさ)常陸(ひたち)など関東各地(かんとうかくち)にわたり、江戸時代(えどじだい)()(しま)弁財天信仰(べざいてんしんこう)隆盛(りゅうせい)(いま)(つた)えています。所有管理者(しょゆうかんりしゃ)江島神社(えのしまじんじゃ)

青銅(せいどう)鳥居(とりい)

平成(へいせい)11(ねん)(1999)2(がつ)12(にち)指定(してい)桁行(けたゆき)18.595m、梁行(はりゆき)11.01m、棟高(むなだか)7.90m、平面積(へいめんせき)171.21㎡((やく)52(つぼ))、屋根面積(やねめんせき)285.49㎡/小池邸(こいけてい)はもと市内(しない)柄沢(からさわ)にあった民家(みんか)で、昭和58年(しょうわ)58(ねん)(1983)に川名(かわな)新林公園内(しんばやしこうえんない)移築(いちく)されました。小池家(こいけけ)江戸時代(えどじだい)柄沢村(からさわむら)代々(だいだい)名主(なぬし)をつとめた旧家(きゅうか)で、創建時(そうけんじ)棟札(むなふだ)には天保(てんぽう)12(ねん)(1841)の年記(ねんき)があります。構造(こうぞう)寄棟造(よせむねづくり)茅葺屋根(かやぶきやね)で、一部(いちぶ)中二階(ちゅうにかい)になっています。内部(ないぶ)(おお)きな土間(どま)(おく)に、「表ノ間(おもてのま)」「仏間(ぶつま)」「奥ノ間(おくのま)」「居間(いま)」「中ノ間(なかのま)」「納戸(なんど)」と()かれる六ツ間型民家(むつまがたみんか)です。土間(どま)部屋(へや)(さかい)(ふと)いケヤキの大黒柱(だいこくばしら)()っており、江戸末期(えどまっき)名主(なぬし)(いえ)らしい風格(ふうかく)()()わせています。所有管理者(しょゆうかんりしゃ)藤沢市(ふじさわし)

(きゅう)小池(こいけ)(てい)

平成(へいせい)27(ねん)(2015)10月1日(がつついたち)指定(してい)安政(あんせい)6(ねん)(1859)建立(こんりゅう)木造向唐門造(もくぞうむかいからもんづく)りの(もん)です。寄進者(きしんしゃ)紀伊大納言(きいだいなごん)徳川治宝(とくがわはるとみ)です。清浄光寺(しょうじょうこうじ)遊行寺(ゆぎょうじ)境内(けいだい)現存(げんそん)建造物(けんぞうぶつ)(なか)では一番(いちばん)(ふる)く、明治(めいじ)13(ねん)(1880)の藤沢宿(ふじさわしゅく)大火(たいか)(まぬが)れましたが、大正(たいしょう)12(ねん)(1923)の関東大地震(かんとうだいじしん)倒壊(とうかい)しました。その()、そのままの(かたち)()()こして再建(さいけん)され、平成(へいせい)20(ねん)(2008)の一部補修(いちぶほしゅう)()て、現在(げんざい)(いた)ります。大棟(おおむね)(きく)御紋(ごもん)屋根(やね)(した)(あおい)御紋(ごもん)(きざ)んでいます。(たか)(やく)6メートル、(はば)2.7メートル。なお、清浄光寺(しょうじょうこうじ)御用大工(ごようだいく)であった関野家(せきのけ)安政(あんせい)5(ねん)(1858)の正面図(しょうめんず)(つた)わっています。勅使門(ちょくしもん)として通常(つうじょう)閉門(へいもん)していますが、現在(げんざい)遊行上人(ゆぎょうしょうにん)出立(しゅったつ)帰山(きさん)する(とき)や、開山忌(かいさんき)などの行列(ぎょうれつ)出発(しゅっぱつ)する(もん)として使用(しよう)されています。所有管理者(しょゆうかんりしゃ)清浄光寺(しょうじょうこうじ)遊行寺(ゆぎょうじ)

中雀門(閉門時)

(ちゅう)(じゃく)(もん)

平成(へいせい)27(ねん)(2015)10月1日(がつついたち)指定(してい)清浄光寺(しょうじょうこうじ)遊行寺(ゆぎょうじ))の黒門前(くろもんまえ)左右(さゆう)2基(にき)青銅製(せいどうせい)燈籠(とうろう)です。銘文(めいぶん)によれば、天保(てんぽう)13(ねん)(1842)8(がつ)23(にち)建立(こんりゅう)ですが、一念(いちねん)遊行上人(ゆぎょうしょうにん)としても(きざ)んでいるので、実際(じっさい)完成(かんせい)一念(いちねん)遊行上人(ゆぎょうしょうにん)相続(そうぞく)した嘉永元年(かえいがんねん)(1848)以降(いこう)(おく)れたようです。(たか)さは双方(そうほう)(やく)2m80cm。『籐沢山銅灯籠志記(とうたくさんどうとうろうこころざしのき)』によれば、江戸講中(えどこうじゅう)(はじ)めとして遠近(えんきん)篤志者(とくしか)一体(いったい)となって、天保(てんぽう)10(ねん)(1839)5(がつ)建造(けんぞう)(のぞ)んだものです。江戸講中(えどこうじゅう)(もの)講元世話(こうもとせわ)右側(みぎがわ)(あし)に「籐沢山三十九世他阿上人(とうたくさんさんじゅうきゅうせたあしとうにん)一如書(いちじゅうひつ)」と、左側(ひだりがわ)(あし)には「遊行(ゆぎょう) 五十七世他阿上人(ごじゅうななせたあしようにん) 一念書(いちねんひつ)」とあるほか、(おお)くの寄進者名(きしんしゃめい)(きざ)まれています。鋳造師(ちゅうぞうし)江戸神田(えどかんだ)西村和泉守(にしむらいずみのかみ)藤原政時(ふじわらまさとき)八代(はちだい)か)で、その作品(さくひん)には、八代西村和泉守(はちだいにしむらいずみのかみ)作品例(さくひんれい)として天保(てんぽう)15(ねん)(1844)建立(こんりゅう)東京都千代田区(とうきょうとちよだく)平河天満宮(ひらかわてんまんぐう)鳥居(とりい)(千代田区(ちよだく)指定(してい))ほか遺品(いひん)(おお)いです。所有管理者(しょゆうかんりしゃ)清浄光寺(しょうじょうこうじ)遊行寺(ゆぎょうじ)

青銅(せいどう)(せい)燈籠(とうろう)



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