Fujisawa Net Museum

資料詳細

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資料名しりょうめい

右(う)大将(たいしょう)頼朝(よりとも)公(こう)相撲(すもう)御覧(ごらんの)図(ず)

作者さくしゃ

歌川国芳(うたがわくによし) 詳細

時代じだい

日本(にほん) 江戸(えど)

解説かいせつ

相撲(すもう)は神事(しんじ)として古代(こだい)から催(もよお)されていましたが、鎌倉幕府(かまくらばくふ)が編(へん)さんした『吾妻(あづま)鑑(かがみ)』には、頼朝(よりとも)が臨席(りんせき)して相撲(すもう)人(じん)や武士(ぶし)に相撲(すもう)を取(と)らせたという記事(きじ)が見受(みう)けられます。
作品(さくひん)では棟(とう)上(じょう)には、御家人(ごけにん)たち34名(めい)の名札(なふだ)が掲(かか)げられています。なお、土俵(どひょう)上(じょう)に組(く)み合(あ)う二人(ふたり)のうち、長居(ながい)の大(だい)力士(りきし)長居(ながい)は、当時(とうじ)天下無双(てんかむそう)と名高(なだか)かった力士(りきし)。右(みぎ)の本田次郎(ほんだじろう)近常(ちかつね)は、畠山重忠(はたけやましげただ)の郎党(ろうとう)です。行司(ぎょうじ)役(やく)の尾形(おがた)(緒方(おがた))三郎(さぶろう)惟義(これよし)は、義経(よしつね)追(つい)捕(ぶ)の際(さい)、義経(よしつね)と共(とも)に気仙沼(けせんぬま)へ向(む)かい、建久(けんきゅう)3年(ねん)(1190)に同地(どうち)の羽田神社(はだじんじゃ)を再興(さいこう)したといわれる武将(ぶしょう)です。

サイズさいず

分類ぶんるい

浮世絵(うきよえ)

資料番号しりょうばんごう


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