Fujisawa Net Museum

資料詳細

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資料名しりょうめい

鎌倉(かまくら)右(う)幕下(ばくか)焼香(しょうこう)場(ばの)の図(ず)

作者さくしゃ

歌川貞秀(うたがわさだひで)(橋本(はしもと)貞秀(さだひで)) 詳細

時代じだい

日本(にほん) 江戸(えど)

解説かいせつ

源頼朝(みなもとのよりとも)は、文治(ぶんじ)元年(がんねん)(1185)、壇ノ浦(だんのうら)で平氏(へいし)を滅(ほろ)ぼしたのち、鎌倉(かまくら)で父(ちち)義朝(よしとも)の供養(くよう)を行(おこな)いました。右(みぎ)幕下(ばくか)とは右(う)近衛大将(このえたいしょう)(頼朝(よりとも))の居所(いどころ)、あるいは本人(ほんにん)を指(さ)す尊称(そんしょう)です。
重臣(じゅうしん)たちが居並(いなら)ぶ中(なか)で子(こ)の万寿(まんじゅ)丸(まる)(頼家(よりいえ))を肩(かた)に乗(の)せた頼朝(よりとも)が、左(ひだり)の軒下(のきした)に描(えが)かれています。背後(はいご)に付(つ)き添(そ)っているのは北条義時(ほうじょうよしとき)(北条時政(ほうじょうときまさ)の子(こ))。画(が)中(ちゅう)には当時(とうじ)の御家人(ごけにん)が一(ひと)とおり見(み)られ、左(ひだり)手前(てまえ)に比企能員(ひきよしかず)、右(みぎ)の階段(かいだん)には工藤祐経(くどうすけつね)。隣(となり)には失脚(しっきゃく)前(まえ)の梶原景時(かじわらかげとき)も描(えが)かれています。

サイズさいず

分類ぶんるい

浮世絵(うきよえ)

資料番号しりょうばんごう


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