Fujisawa Net Museum

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資料名しりょうめい

(そう)(ひつ)五十三次(ごじゅうさんつぎ) (ほど)がや

作者さくしゃ

歌川国貞(うたがわくにさだ)三代(さんだい)豊国(とよくに))/歌川広重(うたがわひろしげ) 詳細

時代じだい

日本(にほん) 江戸(えど)

解説かいせつ

右側(みぎがわ)少年(しょうねん)()っている柄杓(ひしゃく)伊勢参(いせまい)りのためであると(かんが)えられます。(おや)主人(しゅじん)許可(きょか)なく、()どもや奉公人(ほうこうにん)伊勢神宮(いせじんぐう)()くのを「()(まい)り」(ぬけまいり)といい、その(さい)にお(かね)()たずに()ている(ひと)柄杓(ひしゃく)()っていました。その柄杓(ひしゃく)道中(どうちゅう)人々(ひとびと)()()すと、(めぐ)んだ(ほう)もそれが功徳(くどく)になります。
コマ()には金沢街道(かなざわかいどう)(えが)かれています。遠景(えんけい)()えている(やま)富士山(ふじさん)で、手前(てまえ)には野原(のはら)(ひろ)がっています。一見(いっけん)(なん)変哲(へんてつ)もない場所(ばしょ)のようにも()えますが、東海道(とうかいどう)から()かれて鎌倉(かまくら)(つう)じるこの金沢街道(かなざわかいどう)人通(ひとどお)りが(おお)人気(にんき)街道(かいどう)であったといいます。わざわざこの街道(かいどう)(えが)いたのは、保土ヶ谷宿(ほどがやしゅく)(おお)くの(みち)分岐(ぶんき)する交通(こうつう)要所(ようしょ)であったことを(しめ)したかったためかもしれません。

サイズさいず

分類ぶんるい

浮世絵(うきよえ)

資料番号しりょうばんごう


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