Fujisawa Net Museum

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資料名しりょうめい

庚申(こうしん)年(ねん)冨士山(ふじさん)参詣(さんけい)群衆(ぐんしゅう)之(の)図(ず)

作者さくしゃ

歌川芳藤(うたがわよしふじ) 詳細

時代じだい

日本(にほん) 江戸(えど)

解説かいせつ

富士講(ふじこう)による富士(ふじ)詣(もうで)は、お伊勢参(いせまい)りや金比羅(こんぴら)参(まい)りとともに「三大(さんだい)詣(まい)り」として江戸町(えどちょう)民(みん)に親(した)しまれ、「江戸(えど)八百(はっぴゃく)八町(やちょう)に、八百(はっぴゃく)八講(やこう)、講中(こうじゅう)八(はち)万(まん)人(にん)」とも言(い)われるほど隆盛(りゅうせい)しました。
特(とく)に、庚申(こうしん)年(ねん)にあたる万延(まんえん)元年(がんねん)(1860)は60年(ねん)に一(いち)度(ど)の御縁(ごえん)年(ねん)(富士山(ふじさん)は申年(さるどし)に誕生(たんじょう)したとされる)にあたり、庚申(こうしん)年(ねん)に登山(とざん)をすれば三(さん)十(じゅう)三(さん)回(かい)登(のぼ)ったのと同(おな)じご利益(りやく)が得(え)られるとされました。また、女人禁制(にょにんきんせい)の結界(けっかい)も緩和(かんわ)されたため、多(おお)くの女性(じょせい)が登(とう)拝(はい)しました。図(ず)中(ちゅう)にも、群衆(ぐんしゅう)の中(なか)に女性(じょせい)が描(えが)かれています。
図(ず)の上部(じょうぶ)には「冨士山(ふじさん)略記(りゃっき)」が記(しる)されています。

サイズさいず

分類ぶんるい

浮世絵(うきよえ)

資料番号しりょうばんごう


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