ふりがな
江の島の歴史
江の島歴史年表
江の島散策マップ
江の島の文化財
江の島を訪れた人々
資料種類しりょうしゅるい(大分類だいぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(中分類ちゅうぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(小分類しょうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(大分類だいぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(中分類ちゅうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(小分類しょうぶんるい):
作者さくしゃ(50音分類おんぶんるい):
作者さくしゃ:
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東海道(とうかいどう)の道中双六(どうちゅうすごろく)には、様々(さまざま)な要素(ようそ)が取(と)り込(こ)まれましたが、享和(きょうわ)2年(ねん)(1802年(ねん))に出版(しゅっぱん)された十返舎一九(じっぺんしゃいっく/rt>)の『東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)』が大流行(だいりゅうこう)すると、その内容(ないよう)を盛(も)り込(こ)んだ双六(すごろく)が多(おお)く現(あらわ)れました。この双六(すごろく)もその一(ひと)つで、それぞれのマスに描(えが)かれている情景(じょうけい)が、『膝栗毛(ひざくりげ)』のワンシーンであったり、出発地(しゅっぱつち)が東海道(とうかいどう)の起点(きてん)の日本橋(にほんばし)ではなく、『膝栗毛(ひざくりげ)』の主人公(しゅじんこう)が住(す)む神田八丁堀(かんだはっちょうぼり)になっていたりと、随所(ずいしょ)に物語(ものがたり)と双六(すごろく)の内容(ないよう)を関連(かんれん)づけるような工夫(くふう)が見(み)られます。
五(ご)十三駅(じゅうさんつぎ)滑稽(こっけい)膝栗毛(ひざくりげ)道中図(どうちゅうず)会(え)(双六(すごろく))
製作時期(せいさくじき):明治(めいじ)8年(ねん)。 板元(はんもと):山清(やませい)(山崎屋清七(やまざきやせいしち)) 「東海(とうかい)名所(めいしょ)改正(かいせい)道中記(どうちゅうき)」の目録(もくろく)です。目録(もくろく)は、初代(しょだい)歌川(うたがわ)広重(ひろしげ)の弟子(でし)である歌川(うたがわ)重房(しげふさ)が描(えが)いています。重房(しげふさ)は、三(さん)代(だい)歌川(うたがわ)広重(ひろしげ)とは同門(どうもん)の弟子(でし)同士(どうし)です。人力車(じんりきしゃ)が停(と)まる旅籠(はたご)の店先(みせさき)を模(も)したような画(え)中(ちゅう)をよく見(み)ると、招(まね)きや看板(かんばん)に東海道(とうかいどう)の各(かく)宿場(しゅくば)の名前(なまえ)が記(しる)されています。 三代広重(さんだいひろしげ)描(えが)くこのシリーズは、明治前期(めいじぜんき)の東海道各宿駅(とうかいどうかくしゅくえき)の風景(ふうけい)が華(はな)やかな色彩(しきさい)(幕末(ばくまつ)から明治初期(めいじしょき)に海外(かいがい)からあざやかな科学顔料(かがくがんりょう)が入(はい)り使用(しよう)される)で描(えが)かれています。
東海(とうかい)名所(めいしょ) 改正(かいせい)五(ご)十三駅(じゅうさんえき)(目録(もくろく))
文久(ぶんきゅう)3年(ねん)(1863)に出版(しゅっぱん)された道中(どうちゅう)案内(あんない)図(ず)です。蝦夷地(えぞち)(北海道(ほっかいどう))の松前(まつまえ)から九州(きゅうしゅう)まで日本(にほん)全国(ぜんこく)の街道(かいどう)が描(えが)かれています。五街道(ごかいどう)などの主要(しゅよう)な道(みち)だけでなく、金比羅(こんぴら)参詣(さんけい)ルートや西国(さいこく)巡礼(じゅんれい)道(みち)、街(かい)道(どう)に沿(そ)う宿場町(しゅくばまち)や間(あいだ)の距離(きょり)なども詳細(しょうさい)に記入(きにゅう)されているのが特徴(とくちょう)です。海上(かいじょう)には船(ふね)や海路(かいろ)も描(えが)かれています。出版(しゅっぱん)元(もと)の絵図(えず)屋(や)庄八(しょうはち)は、奈良(なら)の東大寺(とうだいじ)大仏殿(だいぶつでん)前(まえ)に店(みせ)を構(かま)える書物(しょもつ)屋(や)でした。道中(どうちゅう)案内(あんない)図(ず)は、江戸時代(えどじだい)のガイドブックで、江戸時代(えどじだい)後期(こうき)に大量(たいりょう)に出版(しゅっぱん)されており、当時(とうじ)の旅(たび)が盛(さか)んな様子(ようす)がうかがえます。本図(ほんず)は天保(てんぽう)13年(ねん)(1842)の初版(しょはん)以来(いらい)、人気(にんき)が高(たか)く版(はん)を重(かさ)ねました。
大日本(だいにっぽん)早引(はやびき)細見(さいけん)絵図(えず)
日本(にほん)列島(れっとう)全体(ぜんたい)を上空(じょうくう)から眺(なが)めた鳥瞰図(ちょうかんず)として描(えが)かれています。この図(ず)の元(もと)絵(え)は、二代(だい)歌川(うたがわ)広重(ひろしげ)(喜(き)斎(さい)立(りっ)祥(しょう))が、慶応(けいおう)元年(がんねん)(1865)に描(えが)いた「大日本(だいにっぽん)名所(めいしょ)一覧(いちらん)」です。「大日本(だいにっぽん)名所(めいしょ)一覧(いちらん)」は、再編集(さいへんしゅう)され、明治(めいじ)12年(ねん)(1879)に細島(ほそしま)精三(せいぞう)(隅田(すみた)了(りょう)古(こ))画(え)、版元(はんもと)林吉(はやしきち)蔵(ぞう)で出版(しゅっぱん)されています。 本図(ほんず)は、木版画(もくはんが)から銅版画(どうばんが)に置(お)き換(か)わり出版(しゅっぱん)されていますが、その経緯(けいい)は現在(げんざい)のところ未詳(みしょう)です。画面(がめん)の周囲(しゅうい)には、二代(にだい)広重(ひろしげ)の代表作(だいひょうさく)のひとつ「諸国(しょこく)名所(めいしょ)百景(ひゃっけい)」から写(うつ)し取(と)られ、日本(にほん)各地(かくち)の名所(めいしょ)が配(はい)されています。日本(にほん)列島(れっとう)だけを描(えが)いた「大日本(だいにっぽん)名所(めいしょ)一覧(いちらん)」とは異(こと)なり、華(はな)やかな絵地図(えちず)となっています。
大日本(だいにっぽん)府県(ふけん)名所(めいしょ)独(ひとり)案内(あんない)
洋館(ようかん)が立(た)ち並(なら)ぶ通(とお)りには、馬(うま)に乗(の)った西洋人(せいようじん)や乳母車(うばぐるま)を押(お)すドレス姿(すがた)の女性(じょせい)などの姿(すがた)が見(み)られます。明治(めいじ)元年(がんねん)(1868)に描(えが)かれた作品(さくひん)です。横浜(よこはま)には、山下(やました)居留地(きょりゅうち)(現在(げんざい)の山(やま)下町(したちょう)と日本(にほん)大通(おおどおり)の東側(ひがしがわ)半分(はんぶん))と山手(やまて)居留地(きょりゅうち)(現在(げんざい)の山手町(やまてちょう))の二か所(しょ)に外国人(がいこくじん)居留地(きょりゅうち)がありました。山下(やました)居留地(きょりゅうち)は主(おも)に外国(がいこく)商社(しょうしゃ)が立(た)ち並(なら)ぶ商業(しょうぎょう)区域(くいき)として、山手(やまて)居留地(きょりゅうち)は外国人(がいこくじん)住宅地(じゅうたくち)として発達(はったつ)しました。
題名(だいめい)不詳(ふしょう)(横浜(よこはま)異人(いじん)商館(しょうかん)の図(ず))
歌川国利(うたがわくにとし)は、歌川国貞(うたがわくにさだ)の門人(もんじん)で、名所(めいしょ)絵(え)、文明開化(ぶんめいかいか)絵(え)や切組(きりくみ)絵(え)などを描(えが)き、明治期(めいじき)に活躍(かつやく)しました。参詣(さんけい)客(きゃく)で賑(にぎ)わっている江(え)の島(しま)の三の鳥居(とりい)付近(ふきん)の風景(ふうけい)が描(えが)かれています。洋(よう)傘(かさ)をさした洋装(ようそう)の人物(じんぶつ)なども描(えが)かれている文明開化(ぶんめいかいか)絵(え)のひとつです。
大日本(だいにっぽん)名所図会(めいしょずえ) 相州(そうしゅう)江(え)のしま神社(じんじゃ)
『東京(とうきょう)日々(にちにち)新聞(しんぶん)』は、明治(めいじ)5年(ねん)(1872)2月(がつ)21日(にち)に創刊(そうかん)された東京(とうきょう)初(はつ)の日刊(にっかん)紙(し)です。条野(じょうの)採菊(さいぎく)(戯作者(げさくしゃ))、落合芳幾(おちあいよしいく)(浮世絵師(うきよえし))、西田(にしだ)伝助(でんすけ)(本屋(ほんや)の番頭(ばんとう))らが創刊(そうかん)しました。964号(ごう)は、明治(めいじ)8年(ねん)(1875)発行(はっこう)です。江之島(えのしま)恵比寿(えびす)屋(や)の記事(きじ)が載(の)っています。詞書(ことばが)きには、恵比寿(えびす)屋(や)に三階(かい)建(だ)ての新(あたら)しい楼閣(ろうかく)ができ、その楼閣(ろうかく)からの眺(なが)めはすばらしく、人気(にんき)俳優(はいゆう)の坂東彦三郎(ばんどうひこさぶろう)や菊五郎(きくごろう)、団十郎(だんじゅうろう)などが楼上(ろうじょう)を訪(おとず)れるために、恵比寿(えびす)屋(や)に名前(なまえ)を染(そ)めた暖簾(のれん)を送(おく)る用意(ようい)の最中(さいちゅう)だと書(か)かれています。明治(めいじ)8年(ねん)(1875)4月(がつ)1日(にち)から5月(がつ)20日(にち)まで臨時(りんじ)大祭(たいさい)が江(え)の島(しま)の弁財天(べんざいてん)の廟(びょう)で開(ひら)かれるという知(し)らせもあわせて載(の)っています。
東京(とうきょう)日々(にちにち)新聞(しんぶん) 964号(ごう) 江之島(えのしま)恵比寿(えびす)屋(や)楼上(ろうじょう)之(の)図(ず)
製作時期(せいさくじき):明治(めいじ)8年(ねん)。 板元(はんもと):山清(やませい)(山崎屋清七(やまざきやせいしち)) 画面手前(がめんてまえ)に三条大橋(さんじょうおおはし)、後景(こうけい)に東山(ひがしやま)を描(えが)く構図(こうず)は、初代(しょだい)広重(ひろしげ)の作品(さくひん)にも通(つう)じています。 橋(はし)の左端(ひだりはし)に描(えが)かれている黒(くろ)い制服姿(せいふくすがた)の人物(じんぶつ)は、郵便配達夫(ゆうびんはいたつふ)です。 明治(めいじ)4年(ねん)(1871)に郵便事業(ゆうびんじぎょう)が始(はじ)まると、郵便配達夫(ゆうびんはいたつふ)が郵便物(ゆうびんぶつ)の配達(はいたつ)に携(たずさ)わりました。 表題(ひょうだい)にある「布団(ふとん)着(き)て寝(ね)たる姿(すがた)やひかし(東(ひがし))山(やま)」とは松尾芭蕉(まつおばしょう)(江戸時代(えどじだい)前期(ぜんき)の俳諧師(はいかいし))の弟子(でし)である服部嵐雪(はっとりらんせつ)が詠(よ)んだもので、夕暮(ゆうぐれ)どきの東山(ひがしやま)に雪(ゆき)が残(のこ)っている様子(ようす)を、布団(ふとん)を着(き)て寝(ね)ているような姿(すがた)に見(み)えると表現(ひょうげん)しました。 三代広重(さんだいひろしげ)描(えが)くこのシリーズは、明治(めいじ)前期(ぜんき)の東海道(とうかいどう)各(かく)宿駅(しゅくえき)の風景(ふうけい)が華(はな)やかな色彩(しきさい)(幕末(ばくまつ)から明治(めいじ)初期(しょき)に海外(かいがい)からあざやかな科学(かがく)顔料(がんりょう)が入(はい)り使用(しよう)される)で描(えが)かれています。
東海(とうかい)名所(めいしょ) 改正(かいせい)道中(どうちゅう)記(き) 五十八(ごじゅうはち) 西京(さいきょう) 三條(さんじょう)の大橋(おおはし)