Fujisawa Net Museum

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資料名しりょうめい

村(そん)嬢(じょう)図(ず)

作者さくしゃ

岸田劉生(きしだりゅうせい) 詳細

時代じだい

日本(にほん) 大正(たいしょう)

解説かいせつ

大正(たいしょう)6年(ねん)(1917)、結核(けっかく)を疑(うたが)われた劉生(りゅうせい)は、友人(ゆうじん)の武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)の住(す)んでいた藤沢市鵠沼(ふじさわしくげぬま)の貸(か)し別荘(べっそう)に転地療養(てんちりょうよう)の目的(もくてき)で居住(きょじゅう)しました。大正(たいしょう)7年(ねん)頃(ごろ)から娘(むすめ)の麗子(れいこ)の肖像(しょうぞう)を描(えが)くようになり、また、大正(たいしょう)13年(ねん)頃(ごろ)からは、浮世絵(うきよえ)や宋元画(そうげんが) の鑑賞(かんしょう)や収集(しゅうしゅう)が始(はじ)まっていきました。ルネッサンスの写実(しゃじつ)でもなお不足(ふそく)を感(かん)ずる劉生(りゅうせい)は東洋(とうよう)に回帰(かいき)してきます。作品(さくひん)はそう言(い)う傾向(けいこう)で描(えが)かれた村娘(むらむすめ)図(ず)のひとつと思(おも)われ、南画(なんが) 的(てき)な自由(じゆう)な筆致(ひっち)で描(えが)かれています。

サイズさいず

分類ぶんるい

浮世絵(うきよえ)

資料番号しりょうばんごう


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