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東海道中栗毛彌次馬 舞坂
東海道中栗毛彌次馬 舞坂

資料名しりょうめい

東海道(とうかいどう)中(ちゅう)栗毛(くりげ)彌次馬(やじうま) 舞坂(まいさか)

作者さくしゃ

落合芳幾(おちあいよしいく) 詳細

時代じだい

日本(にほん) 江戸(えど)

解説かいせつ

舞坂(まいさか)から浜名湖(はまなこ)の乗合(のりあい)船(せん)に乗(の)り込(こ)んだ二人(ふたり)。同船(どうせん)者(しゃ)のおやじに袂(たもと)を探(さぐ)られる弥(や)次(じ)さんがびっくりしています。おやじは「なくしもの」を探(さが)していると弥(や)次(じ)さんをなだめますが、その「なくしもの」が蛇(へび)であることが判明(はんめい)し船(せん)の上(うえ)は大騒(おおさわ)ぎになります。蛇(へび)を使(つか)い渡世(とせい)をもくろむおやじに対(たい)して、喜多(きた)さんが海(うみ)に投(な)げ入(い)れろと騒(さわ)ぎます。おやじは喜多(きた)さんをからかうべく「そりゃー」と海(うみ)に投(な)げる真似(まね)をし、よろけ、蛇(へび)を喜多(きた)さんに近(ちか)づけます。喜多(きた)さんが「ヤァーはやまるなヘビをだされてたまるものか」と叫(さけ)んでいます。
 舞阪(まいさか)宿(しゅく)は東海道(とうかいどう)の陸路(りくろ)が一度(いちど)途切(とぎ)れる箇所(かしょ)であり、一里(いちり)半(はん)ほど船(ふね)で渡(わた)る必要(ひつよう)がありました。

製作時期(せいさくじき):万延元年(まんえん)(1860)。
板元(はんもと):當世屋(とうせいや)(品川屋久助(しながわやきゅうすけ))

このシリーズは大(だい)ヒットした十返舎一九(じっぺんしゃいっく)の『東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)』を摸(も)して作(つく)られています。各宿(かくやど)には弥次(やじ)さん、北(きた)さんが登場(とうじょう)し、芳幾(よしいく)が二人(ふたり)のくりひろげる道中(どうちゅう)模様(もよう)をユーモラスに描(えが)き、魯文(ろぶん)が各宿(かくやど)のテーマとなる文章(ぶんしょう)、狂歌一句(きょうかいっく)と二人(ふたり)の会話(かいわ)をおもしろおかしく記(しる)しています。

サイズさいず

中判横(ちゅうばんよこ)1枚(まい)縦(たて)18.4 横(よこ)25.0

分類ぶんるい

浮世絵(うきよえ)

資料番号しりょうばんごう

10672

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