Fujisawa Net Museum

資料詳細

一覧へ戻る

資料名しりょうめい

関次(せきじ)商店(しょうてん) 肥料(ひりょう)(ぐら)

作者さくしゃ

時代じだい

日本(にほん) 明治(めいじ)

解説かいせつ

平成(へいせい)28(ねん)(2016)2(がつ)25(にち)登録(とうろく)肥料蔵(ひりょうぐら)は、梁間(はりま)3(けん)桁行(けたゆき)3(けん)で、穀物蔵(こくもつぐら)連続(れんぞく)して()てられている。東側(ひがしがわ)穀物蔵(こくもつぐら)漆喰壁(しっくいへき)外壁(がいへき)()え、穀物蔵(こくもつぐら)(はしら)()()える(かたち)増築(ぞうちく)したことを(しめ)している。石材(せきざい)は、穀物蔵(こくもつぐら)同様(どうよう)鎌倉石(かまくらいし)とみられ、入口(いりぐち)上部(じょうぶ)のキーストーンに「肥料庫(ひりょうこ)」、両脇(りょうわき)屋号(やごう)と「関次(せきじ)」の文字(もじ)(きざ)んでいます。(まど)西側(にしがわ)1カ(しょ)のみで、入口(いりぐち)鉄製(てつせい)観音開扉(かんのんびらきとびら)内側(うちがわ)格子戸(こうしど)板戸(いたど)()てています。穀物蔵(こくもつくら)(くら)べてやや(ざい)(ほそ)く、軒高(のきだか)も80㎝ほど(ひく)いものの大規模(だいきぼ)である(てん)()わりません。穀物蔵(こくもつぐら)(こと)なり(ゆか)()らずに(たた)土間(どま)とし、その(うえ)(いた)()いて商品(しょうひん)保管(ほかん)しました。肥料蔵(ひりょうくら)棟札(むなふだ)から担当(たんとう)大工(だいく)関野家(せきのけ)親戚筋(しんせきすじ)()たる関野芳五郎(せきのよしごろう)であることが判明(はんめい)しました。芳五郎(よしごろう)は、遊行寺(ゆぎょうじ)清浄光寺(しょうじょうこうじ))の門前(もんぜん)()み「大芳(だいよし)」の()()られていました。大工(だいく)関野家(せきのけ)は、江戸末期(えどまっき)創業(そうぎょう)したと(つた)えられ、現存(げんそん)する中雀門(ちゅうじゃくもん)藤沢市(ふじさわし)指定重要文化財(していじゅうようぶんかざい))や本堂(ほんどう)国登録有形文化財(くにとうろくゆうけいぶんかざい))など、遊行寺(ゆぎょうじ)建築(けんちく)代々(だいだい)担当(たんとう)しました。構造(こうぞう)形式(けいしき)木骨石造平屋建(もっこつせきぞうひらやだて) 切妻造(きりづまづくり) 桟瓦葺(さんかわらぶき)建設(けんせつ)年代(ねんだい)明治(めいじ)40(ねん)大正後期(たいしょうこうき)増築(ぞうちく)建築面積(けんちくめんせき):50㎡。所有者(しょゆうしゃ)個人(こじん)

サイズさいず

分類ぶんるい

文化財(ぶんかざい) (くに) (くに)登録有形文化財(とうろくゆうけいぶんかざい)

資料番号しりょうばんごう

90125

Page Top