Fujisawa Net Museum

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資料名しりょうめい

冨士山(ふじさん)體内巡之図(たいないめぐりのず)

作者さくしゃ

歌川貞秀(うたがわさだひで) 詳細

時代じだい

日本(にほん) 江戸(えど) 安政(あんせい)

解説かいせつ

安政(あんせい)5年(ねん)(1858)
平安時代(へいあんじだい)に富士山(ふじさん)が噴火(ふんか)した際(さい)に、その溶岩(ようがん)流(りゅう)により形成(けいせい)された空洞(くうどう)である「船津胎内樹型(ふなつたいないじゅけい)」の中(なか)を巡(めぐ)る「胎内(たいない)巡(めぐ)り」の様子(ようす)を描(えが)いています。
富士登拝(ふじとはい)の前日(ぜんじつ)には、胎内(たいない)を巡(めぐ)り、「生(う)まれ変(か)わり」を体験(たいけん)することで身(み)を清(きよ)め、登拝(とはい)に臨(のぞ)みました。白装束(しろしょうぞく)の信者(しんじゃ)たちが、曲折(きょくせつ)した胎内(たいない)を進(すす)んでいくと、奥(おく)には二(ふた)つの空間(くうかん)があります。大日如来(だいにちにょらい)を祀(まつ)る父(ちち)の胎内(たいない)と、阿弥陀如来(あみだにょらい)を祀(まつ)る母(はは)の胎内(たいない)です。
「洞中(どうちゅう)是(これ)よりせば(狭(せば))るる」「此所(このところ)入口(いりぐち)よりもひろ(広(ひろ))し」等(とう)、短冊(たんざく)に胎内(たいない)の様子(ようす)が細(こま)かく書(か)かれ、狭(せま)い産道(さんどう)を身(み)をかがめながら進(すす)む様子(ようす)も描(えが)かれています。
富士山(ふじさん)は古(ふる)くから山岳信仰(さんがくしんこう)の霊山(れいざん)として知(し)られており、江戸時代(えどじだい)中期(ちゅうき)頃(ごろ)には江戸(えど)庶民(しょみん)にも関心(かんしん)が広(ひろ)まります。開山(かいさん)期(き)には講中(こうじゅう)(信仰(しんこう)集団(しゅうだん))による富士登山(ふじとざん)が行(おこな)われ、無病息災(むびょうそくさい)を祈願(きがん)していました。

サイズさいず

分類ぶんるい

浮世絵(うきよえ)

資料番号しりょうばんごう


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