Fujisawa Net Museum

資料詳細

一覧へ戻る

資料名しりょうめい

冨士山(ふじやま)北口(きたぐち)女人(にょにん)登山(とざん)之(の)図(ず)

作者さくしゃ

落合芳幾(おちあいよしいく) 詳細

時代じだい

日本(にほん) 江戸(えど) 万延(まんえん)

解説かいせつ

万延(まんえん)元年(がんねん)(1860)
No. と同(おな)じく富士山(ふじさん)の御縁年(ごえんねん)にあたる庚申(こうしん)年(ねん)に刊行(かんこう)されたことから、富士山(ふじやま)への登(とう)拝(はい)を促(うなが)す意図(いと)があったとされています。画(が)中(ちゅう)右上(みぎうえ)にある立(た)て札(ふだ)は、実際(じっさい)に宿場(しゅくば)などに立(た)てられ、今年(ことし)は庚申(こうしん)年(ねん)であること、女性(じょせい)の登山(とざん)も許可(きょか)することなどが書(か)かれています。
女性(じょせい)の富士登山(ふじとざん)は、通常(つうじょう)は二(に)合(ごう)目(め)まででそれより上(うえ)に登(のぼ)ることは禁止(きんし)されていました。庚申(こうしん)年(ねん)でも実際(じっさい)登(のぼ)ることを許(ゆる)されたのは、五合(ごごう)目(め)付近(ふきん)までであったそうです。明治(めいじ)5年(ねん)(1872)神社(じんじゃ)仏閣(ぶっかく)の女人結界(にょにんけっかい)場所(ばしょ)の廃止(はいし)により、女性(じょせい)の登山(とざん)が解禁(かいきん)されました。

サイズさいず

分類ぶんるい

浮世絵(うきよえ)

資料番号しりょうばんごう


Page Top