ふりがな
江の島の歴史
江の島歴史年表
江の島散策マップ
江の島の文化財
江の島を訪れた人々
資料種類しりょうしゅるい(大分類だいぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(中分類ちゅうぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(小分類しょうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(大分類だいぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(中分類ちゅうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(小分類しょうぶんるい):
作者さくしゃ(50音分類おんぶんるい):
作者さくしゃ:
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江の島(えのしま)弁財天(べんざいてん)を描(えが)いた掛(か)け軸(じく)です。本図(ほんず)上部(じょうぶ)の宝珠(ほうしゅ)に「相州(そうしゅう)」「江嶋(えのしま)」「下宮(しものみや)」の文字(もじ)が見(み)えます。本図(ほんず)と非常(ひじょう)によく似(に)た構図(こうず)と寸法(すんぽう)の江の島(えのしま)下之宮(しものみや)弁財天(べざいてん)のお札(ふだ)が存在(そんざい)しています。 弁財天(べんざいてん)の右(みぎ)に大黒天(だいこくてん)(だいこくてん)、左(ひだり)には毘沙門天(びしゃもんてん)(びしゃもんてん)、そして、その下(した)には眷属(けんぞく)である十五(じゅうご)童子(どうじ)が描(えが)かれています。大黒天(だいこくてん)と毘沙門天(びしゃもんてん)も、弁財天(べんざいてん)と同様(どうよう)に財(ざい)福(ふく)を司(つかさど)る神(かみ)として親(した)しまれています。
相州(そうしゅう)江之島(えのしま)下之宮(しものみや)
金華山(きんかざん)往来(おうらい)
鎌倉時代(かまくらじだい)、沼津(ぬまづ)宿(しゅく)と三島(みしま)宿(しゅく)の間(あいだ)に流(なが)れる黄瀬(きせ)川(かわ)に絡(から)めた亀鶴(かめつる)という遊女(ゆうじょ)を題材(だいざい)としています。傾城(けいせい)とは美人(びじん)や遊女(ゆうじょ)を表(あらわ)しています。実在(じつざい)する川(かわ)は「黄瀬(きせ)川(かわ)」の字(じ)ですが、歌舞伎(かぶき)演目(えんもく)『寿(ことぶき)曽我(そがの)対面(たいめん)』では「喜瀬川(きせがわ)」となっており、喜瀬川(きせがわ)亀鶴(きかく)という役名(やくめい)の遊女(ゆうじょ)が登場(とうじょう)し、この画(え)と関連付(かんれんづ)けられています。物語(ものがたり)では、亀鶴(きかく)は美(うつく)しく賢(かしこ)いと評判(ひょうばん)で、曽我(そが)兄弟(きょうだい)の父(ちち)の敵(かたき)である工藤祐経(くどうすけつね)の宴(うたげ)に招待(しょうたい)される立場(たちば)でした。また、背景(はいけい)に描(えが)かれた黄瀬(きせ)川(がわ)は亀鶴(きかく)が最期(さいご)に身(み)を投(な)げた場所(ばしょ)ともいわれています。似顔(にがお)で描(えが)かれた五代目(ごだいめ)瀬川菊之丞(せがわきくのじょう)は、この画(え)の刊行(かんこう)時(じ)には既(すで)に故人(こじん)であり、往年(おうねん)の名優(めいゆう)が描(えが)かれた作品(さくひん)となっています。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)之(の)内(うち) 三嶋(みしま) 沼津(ぬまづ)間(かん) 喜瀬川(きせがわ) 喜瀬川(きせがわ)(五代目(ごだいめ)瀬川菊之丞(せがわきくのじょう))
日本左衛門(にっぽんざえもん)は江戸時代(えどじだい)中期(ちゅうき)に実在(じつざい)した人物(じんぶつ)で、歌舞伎(かぶき)演目(えんもく)『青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)』、通称(つうしょう)「白浪(しらなみ)五(ご)人(にん)男(おとこ)」に登場(とうじょう)する日本(にっぽん)駄(だ)右衛門(えもん)の役名(やくめい)の由来(ゆらい)となりました。日本左衛門(にっぽんざえもん)は遠江国(とおとうみのくに)(現在(げんざい)の静岡県(しずおかけん)西部(せいぶ)あたり)を拠点(きょてん)に東海道(とうかいどう)沿(ぞ)いの諸国(しょこく)を荒(あ)らした盗賊団(とうぞくだん)の頭(あたま)であり、29歳(さい)の時(とき)に自首(じしゅ)し処刑(しょけい)され、その首(くび)は掛川(かけがわ)から二(ふた)つ先(さき)の見附(みつけ)に晒(さら)されました。描(えが)かれた役者(やくしゃ)六(ろく)代目(だいめ)松本幸四郎(まつもとこうしろう)は実悪(じつあく)(悪役(あくやく))を得意(とくい)とし、彼(かれ)もまた早世(そうせい)した人気(にんき)役者(やくしゃ)でした。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)ノ内(うち) 掛川(かけがわ) 日本左衛門(にっぽんざえもん)(六代目(ろくだいめ)松本(まつもと)幸四郎(こうしろう))
藤沢(ふじさわ)平塚宿(ひらつかしゅく)間(かん)の四ツ谷(よつや)を描(えが)いたもので、「山帰(やまがえ)り」とは、「大山詣(おおやもうで)の帰(かえ)り」という意味(いみ)です。描(えが)かれた画(え)は八代目(はちだいめ)市川団十郎(いちかわだんじゅうろう)の歌舞伎舞踊(かぶきぶよう)「山帰(やまがえ)り」です。 このシリーズ作品(さくひん)は、各宿(かくしゅく)にゆかりのある歌舞伎(かぶき)の主人公(しゅじんこう)を演(えん)ずる人気役者(にんきやくしゃ)の姿(すがた)を大(おお)きく描(えが)き、背景(はいけい)にその地方(ちほう)の風景(ふうけい)が添(そ)えられているものです。こうした趣向(しゅこう)を「見立(みたて)」といい、この一連(いちれん)の作品(さくひん)は「役者見立東海道(やくしゃみたてとうかいどう)」と呼(よ)ばれています。発売(はつばい)と共(とも)に非常(ひじょう)な人気(にんき)を呼(よ)び、図柄(ずがら)も追加(ついか)され、また新(あら)たに宿間(しゅくかん)の図(ず)も出版(しゅっぱん)されました。
東海道(とうかいどう) 藤沢(ふじさわ)平塚(ひらつか)間(かん) 四(よ)ツ(つ)家(や)山(やま)帰(がえ)り(八代(はちだい)目(め)市川團十郎(いちかわだんじゅうろう))
当時(とうじ)人気(にんき)の役者(やくしゃ)を、各宿場(かくしゅくば)にちなんだ物語(ものがたり)や風俗(ふうぞく)に見立(みた)て、背景(はいけい)にを配(はい)したシリーズ。藤枝(ふじえだ)は熊谷直実(くまがいなおざね)ゆかりの蓮生寺(れんしょうじ)(山号(さんごう)、熊谷山(くまがややま))があり、画(え)は直実(なおざね)が選(えら)ばれています。これは『役者見立東海道五十三駅(やくしゃみたてとうかいどうごじゅうさんつぎ)』というシリーズです。このシリーズは、全部(ぜんぶ)で一四〇点(ひゃくよんじゅってん)確認(かくにん)されています。作者(さくしゃ)は三代豊国(さんだいとよくに)、とても人気(にんき)の高(たか)かった絵師(えし)です。背景(はいけい)には宿場(しゅくば)の風景(ふうけい)が描(えが)かれており、手前(てまえ)の人物(じんぶつ)は、宿場(しゅくば)と関(かか)わりのある歌舞伎(かぶき)の登場人物(とうじょうじんぶつ)です。また人物(じんぶつ)は、有名(ゆうめい)な役者(やくしゃ)の似顔絵(にがおえ)で描(えが)かれています。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)之(の)内(うち) 藤枝(ふじえだ) 熊谷直実(くまがいなおざね)(三(さん)代目(だいめ)坂東三津五郎(ばんどうみつごろう))
これは『役者見立東海道五十三駅(やくしゃみたてとうかいどうごじゅうさんつぎ)』というシリーズです。このシリーズは、全部(ぜんぶ)で一四〇点(ひゃくよんじゅってん)確認(かくにん)されています。作者(さくしゃ)は三代豊国(さんだいとよくに)、とても人気(にんき)の高(たか)かった絵師(えし)です。背景(はいけい)には宿場(しゅくば)の風景(ふうけい)が描(えが)かれており、手前(てまえ)の人物(じんぶつ)は、宿場(しゅくば)と関(かか)わりのある歌舞伎(かぶき)の登場人物(とうじょうじんぶつ)です。また人物(じんぶつ)は、有名(ゆうめい)な役者(やくしゃ)の似顔絵(にがおえ)で描(えが)かれています。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)之(の)内(うち) 亀山駅(かめやまえき) 其二(そのに) 石井(いしい)兵助(へいすけ)(十二代目市村羽左衛門(じゅうにだいめいちむらうざえもん))
『菅原(すがわら)伝授(でんじゅ)手習(てならい)鑑(かがみ)』の見(み)どころの一(ひと)つ「車引(くるまびき)」の登場(とうじょう)人物(じんぶつ)・金棒引(かなぼうびき)を描(えが)いています。金棒引(かなぼうびき)とは夜警(やけい)や警備(けいび)をする人(ひと)、または噂話(うわさばなし)を大(おお)げさに広(ひろ)め歩(ある)く人(ひと)の意(い)味(み)があり、ここでは後者(こうしゃ)にあたります。金棒引(かなぼうびき)は、藤原時平(ふじわらのしへい)が吉田神社(よしだじんじゃ)に訪(おとず)れることを、敵対(てきたい)する梅(うめ)王丸(おうまる)と桜丸(さくらまる)に教(おし)える役柄(やくがら)です。描(えが)かれている役者(やくしゃ)は二代目(にだいめ)中山(なかやま)文五郎(ぶんごろう)で、独特(どくとく)な顔立(かおだ)ちから道化(どうけ)役(やく)を得意(とくい)としました。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)之(の)内(うち) 草津(くさつ)大津(おおつ)間(かん) 鳥井(とりい)川(かわ) 金棒引(かなぼうびき)(二代目(にだいめ)中山(なかやま)文五郎(ぶんごろう))