Fujisawa Net Museum

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資料名しりょうめい

旧三觜八郎右衛門家住宅(きゅうみつはしはちろうえもんけじゅうたく) (しゅ)(おく)

作者さくしゃ

時代じだい

日本(にほん) 不明(ふめい)

解説かいせつ

平成(へいせい)25(ねん)(2013)12月24日(がつにじゅうよっか)登録(とうろく)三觜家(みつはしけ)家祖(かそ)室町時代前期(むろまちじだいぜんき)まで(さかのぼ)旧家(きゅうか)です。代々八郎右衛門(だいだいはちろうえもん)襲名(しゅうめい)し、江戸時代(えどじだい)には羽鳥村(はとりむら)名主(なぬし)(つと)めました。13代八郎右衛門(だいさちろうえもん)江戸(えど)から小笠原東陽(おがさわらとうよう)(まね)いて郷学校(ごうがっこう)(ひら)きました。明治(めいじ)5(ねん)8(がつ)学制(がくせい)()かれ小学校(しょうがっこう)位置(いち)づけられると「耕余学舎(こうよがくしゃ)」と(しょう)されました。これを前身(ぜんしん)に、東陽(とうよう)明治(めいじ)10(ねん)三觜家(みつはしけ)(とう)助力(じょりょく)により、私立(しりつ)耕余塾(こうよじゅく)」を新築(しんちく)しました。耕余塾(こうよじゅく)からは政治(せいじ)実業(じつぎょう)教育(きょういく)各界(かくかい)(おお)くの人材(じんざい)輩出(はいしゅつ)しました。元内閣総理大臣(もとないかくそうりだいじん)吉田茂(よしだしげる)同塾(どうじゅく)卒業生(そつぎょうせい)です。                                          主屋(おもや)には1(しゃく)6寸角(すんかく)大黒柱(だいこくばしら)や1(しゃく)1寸格(すんかく)脇大黒柱(わきだいこくばしら)などの良材(りょうざい)(はしら)差物(さしもの)堅牢(けんろう)()み、また(ふすま)透彫欄間(すかしぼりらんま)釘隠金具(くぎかくしかなぐ)(とう)造作(ぞうさ)入念(にゅうねん)で、格調高(かくちょうたか)室内意匠(しつないいしょう)をもっています。また、2(かい)(ゆか)違棚(ちがいだな)付書院(つけしょいん)(そな)えた座敷(ざしき)がある(てん)特徴的(とくちょうてき)です。1(かい)(わき)大黒柱(だいこくばしら)が2(かい)()えて(むね)まで(たっ)する通し柱(とおしばしら)であること、1(かい)意匠(いしょう)共通(きょうつう)することからみて、増築(ぞうちく)ではなく、創建当初(そうけんとうしょ)からのものであるとわかります。一般(いっぱん)民家(みんか)平屋(ひらや)圧倒的(あっとうてき)(おお)く、明治期以前(めいじきいぜん)の2階建(かいだ)ての民家(みんか)として指定(してい)登録(とうろく)されている住宅(じゅうたく)であっても、(おお)くが2(かい)養蚕(ようさん)作業(さぎょう)(よう)空間(くうかん)でした。居住空間(きょじゅうくうかん)として2(かい)(つく)られた、(きわ)めて早期(そうき)貴重(きちょう)(れい)です。構造(こうぞう)形式(けいしき)木造(もくぞう)2(かい)(けん)切妻造(きりづまづくり)桟瓦葺(さんかわらぶき)建設(けんせつ)年代(ねんだい)明治(めいじ)11(ねん)昭和前期(しょうわぜんき)改修(かいしゅう)建築面積(けんちくめんせき) :143.3㎡。所有者(しょゆうしゃ)個人(こじん)

サイズさいず

分類ぶんるい

文化財(ぶんかざい) (くに) (くに)登録有形文化財(とうろくゆうけいぶんかざい)

資料番号しりょうばんごう

90105

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