資料名 |
耕余塾の跡 |
作者 |
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時代 |
日本 明治 |
解説 |
昭和44年(1969)2月8日指定/羽鳥小学校東側に塾跡の石碑と新たに建てられた門が建っています。耕余塾は、明治5年(1872)羽鳥村名主三觜八郎右衛門が教育普及のため、小笠原東陽を招いて開いた郷学校の読書院にはじまります。学制布告で翌年羽鳥小学校と改称しましたが、東陽は小学校と別に読書院を残し独自の教育を続けました。入塾者が増え、同11年(1878)新塾舎完成と同時に耕余塾と改称、変則中学として再出発しました。当時の塾生は約90名で、北は奥羽、西は静岡以西に及び、多くが寄宿していました。東陽は同20年(1887)没し、娘婿松岡利紀が塾長を継ぎましたが、同30年(1897)の暴風で塾舎が全壊、再建できず同33年(1900)閉塾しました。後に政界・実業界で活躍した吉田茂、中島信行、山田嘉毅などは卒業生です。所在・所管:羽鳥・藤沢市教育委員会 |
サイズ |
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分類 |
文化財 市 市指定重要文化財(史跡) |
資料番号 |
90086 |