Fujisawa Net Museum

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資料名しりょうめい

大橋(おおはし)重政(しげまさ)の墓(はか)

作者さくしゃ

時代じだい

日本(にほん) 江戸(えど)

解説かいせつ

昭和(しょうわ)40年(ねん)(1965)5月(がつ)31日(にち)指定(してい)/大橋重政(おおはししげまさ):元和(がんな)4-寛文(かんぶん)12年(ねん)(1618-72)。書家(しょか)。江戸幕府(えどばくふ)の祐筆(ゆうひつ)。江戸(えど)生(う)まれで、父(ちち)重保(しげやす)は2代将軍(だいしょうぐん)秀忠(ひでただ)の祐筆(ゆうひつ)。重政(しげまさ)も寛永(かんえい)8年(ねん)(1631)14歳(さい)で3代将軍(だいしょうぐん)家光(いえみつ)の祐筆(ゆうひつ)になり、祐筆吟味役(ゆうひつぎんみやく)・評定所出仕(ひょうていじょしゅし)を歴任(れきにん)、『寛永諸家系図伝(かんえいしょかけいずでん)』仮名序(かかなじょ)のほか、幕府公用文(ばくふこうようぶん)や将軍(しょうぐん)の手本(てほん)を執筆(しっぴつ)しました。父(ちち)から受(う)け継(つ)いだ書法(しょほう)に独自(どくじ)の書法(しょほう)を加味(かみ)し、大橋流書法(おおはしりゅうしょほう)を普及(ふきゅう)させ、その開祖(かいそ)とされています。鵠沼(くげぬま)が所領(しょりょう)で、内(うち)9石(せき)を空乗寺(くうじょうじ)に寄進(きしん)しています。同寺(どうじ)に葬(ほうむ)られ、承応(じょうおう)2年(ねん)(1653)に没(ぼっ)した夫人(ふじん)とともに墓碑銘(ぼひめい)にその名(な)が刻(きざ)まれています。
所在(しょざい)・所管(しょかん):鵠沼(くげぬま)・空乗寺(くうじょうじ)

サイズさいず

分類ぶんるい

文化財(ぶんかざい) 市(し) 市(し)指定(してい)重要文化財(じゅうようぶんかざい)(史跡(しせき))

資料番号しりょうばんごう

90085

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