Fujisawa Net Museum

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資料名しりょうめい

杉山和一(すぎやまわいち)(はか)

作者さくしゃ

時代じだい

日本(にほん) 江戸(えど)

解説かいせつ

昭和(しょうわ)38(ねん)(1963)3(がつ)25(にち)指定(してい)杉山検校(すぎやまけんぎょう)慶長(けいちょう)15-元禄(げんろく)7(ねん)(1610-94)。実名(じつめい)和一(わいち)伊勢国(いせのくに)(三重県(みえけん))()まれ。(おさな)(とき)失明(しつめい)し、鍼術(しんじゅつ)(こころざ)して江戸(えど)検校(けんぎょう)山瀬琢一(やませたくいち)、その()京都(きょうと)入江豊明(いりえよりあき)師事(しじ)しました。その過程(かてい)管鍼術(かんしんじゅつ)創案(そうあん)したといわれています。
徳川(とくがわ) 5 (だい)将軍(しょうぐん)綱吉(つなよし)(やまい)(なお)した功績(こうせき)で、本所(ほんじょ)一ツ目(ひとつめ)東京都墨田区(とうきょうとすみだく))に邸宅(ていたく)(たまわ)り、元禄(げんろく)5(ねん)(1692)関東総検校(かんとうそうけんぎょう)となりました。江の島弁財天(えのしまべんざいてん)信仰(しんこう)(あつ)く、下之宮社殿改修(しものみやしゃでんかいしゅう)護摩堂(ごまどう)三重塔(さんじゅうのとう)江の島道弁財天道標(えのしまみちべんざいてんどうひょう)などを建立寄進(こんりゅうきしん)しています。私宅(したく)(ぼっ)根岸弥勒寺(ねぎしみろくじ)東京都墨田区(とうきょうとすみだく))に(ほうむ)られました。この墓碑(ぼひ)翌年(よくねん)命日(めいにち)(つぎ)総検校(そうけんぎょう)三島世一(みしまよいち)造立(ぞうりゅう)したものです。背後(はいご)夫人(ふじん)(はか)(おも)われる同型(どうけい)墓碑(ぼひ)()てられています。所在(しょざい)()(しま)西浦霊園上(にしうられいえんじょう)

サイズさいず

分類ぶんるい

文化財(ぶんかざい) () ()指定(してい)重要文化財(じゅうようぶんかざい)史跡(しせき)

資料番号しりょうばんごう

90084

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