Fujisawa Net Museum

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資料名しりょうめい

藤沢(ふじさわ)(てき)御方(みかた)供養(くよう)(とう)

作者さくしゃ

時代じだい

日本(にほん) 室町(むろまち)

解説かいせつ

大正(たいしょう)15(ねん)(1926)10月20日(がつはつか)指定(してい)板碑型(いたびがた)尖頭角柱石塔(せんとうかくちゅうせきとう)総高(そうだか)126.5㎝、(はば)28.2㎝/「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」の6文字(もじ)(おお)きく(きざ)まれています。応永(おうえい)23(ねん)(1416)、鎌倉(かまくら)中心(ちゅうしん)足利持氏(あしかがもちうじ)打倒(だとう)のため上杉禅秀(うえすぎぜんしゅう)(らん)()こり、多数(たすう)将兵(しょうへい)軍馬(ぐんば)()()まりました。この石塔(せきとう)は、(らん)鎮定後(ちんていご)三回忌(さんかいき)にあたる応永(おうえい)25(ねん)(1418)に遊行(ゆぎょう)14(だい)太空上人(たいくうしょうにん)()てた供養塔(くようとう)です。この兵乱(へいらん)落命(らくめい)した「敵御方(てきみかた)」の人畜亡魂(じんちくぼうこん)がことごとく浄土往生(じょうどおうじょう)するよう、この塔婆(とうば)(まえ)(とお)()ぎる僧俗(そうぞく)十念(じゅうねん)(南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)を10(かい)(とな)えるをしてほしい、と(きざ)まれています。所在(しょざい)所管(しょかん)西富(にしとみ)清浄光寺(しょうじょうこうじ)(遊行寺(ゆぎょうじ))

サイズさいず

分類ぶんるい

文化財(ぶんかざい) (くに) (くに)指定(してい)重要文化財(じゅうようぶんかざい)史跡(しせき)

資料番号しりょうばんごう

90082

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