Fujisawa Net Museum

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二つの埋設土器
二つの埋設土器

資料名しりょうめい

一色下(いっしきした)遺跡(いせき)

作者さくしゃ

時代じだい

日本(にほん) 縄文(じょうもん)

解説かいせつ

一色下(いっしきした)遺跡(いせき)は、桐原(きりばら)工業団地(こうぎょうだんち)一角(いっかく)にある桐原(きりばら)公園(こうえん)南西(なんせい)方向(ほうこう)引地川(ひきじがわ)支流(しりゅう)である一色川(いっしきがわ)西岸(せいがん)台地(だいち)縁辺(えんぺん)()位置(いち)しています。遺跡(いせき)所在(しょざい)する場所(ばしょ)字名(あざめい)石川(いしかわ)ですが、藤沢市(ふじさわし)(いき)13地区(ちく)区分(くぶん)によると遠藤(えんどう)地区(ちく)(ぞく)しています。
 1968(ねん)昭和(しょうわ)43(ねん))、整地(せいち)工事(こうじ)(ちゅう)縄文土器(じょうもんどき)発見(はっけん)され、遺跡(いせき)存在(そんざい)確認(かくにん)されました。この縄文土器(じょうもんどき)は、2(てん)(なら)んで、地面(じめん)()埋設(まいせつ)された状態(じょうたい)発見(はっけん)されました。この埋設(まいせつ)土器(どき)周辺(しゅうへん)状況(じょうきょう)から住居(じゅうきょ)にともなうものではなく、住居(じゅうきょ)(がい)遺構(いこう)(かんが)えられるものです。しかし、正式(せいしき)発掘(はっくつ)調査(ちょうさ)(おこな)われなかったため、この遺構(いこう)性格(せいかく)遺跡(いせき)全体(ぜんたい)様子(ようす)はわかっていません。

サイズさいず

分類ぶんるい

藤沢市内(ふじさわしない)遺跡(いせき) 遠藤(えんどう)

資料番号しりょうばんごう

50017

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