Fujisawa Net Museum

資料詳細

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資料名しりょうめい

寛文(かんぶん)12(ねん)庚申(こうしん)供養(くよう)(とう)

作者さくしゃ

時代じだい

日本(にほん) 江戸(えど)

解説かいせつ

昭和(しょうわ)52(ねん)(1977)4(がつ)13(にち)指定(してい)板碑型(いたびがた)総高(そうだか)125㎝、火成岩(かせいがん)(安山岩(あんざんがん))(せい)銘文(めいぶん)から、寛文(かんぶん)12(ねん)(1672)「大庭入村千手院(おおばにゅうそんせんじゅいん)」の造立(ぞうりゅう)とわかります。千手院(せんじゅいん)廃寺(はいじ)となっていますが、標識(ひょうしき)が「南無阿弥陀佛(なむあみだぶつ)」の六字名号(ろくじみょうごう)であることから、浄土宗系(じょうどしゅうけい)庚申供養塔(こうしんくようとう)(おも)われます。塔身前面(とうしんぜんめん)をていねいに枠取(わくど)りして、碑面(ひめん)()()けよく銘文(めいぶん)だけを(きざ)()んであります。三猿像(さんえんぞう)塔身(とうしん)枠外(わくがい)正面(しょうめん)()きに陽刻(ようこく)され、基礎部(きそぶ)(うえ)位置(いち)しています。これは三猿像(さんえんぞう)位置(いち)づけに変化(へんか)()こる前兆(ぜんちょう)として注意(ちゅうい)されます。この庚申供養塔(こうしんくようとう)は、もと大庭二番構(おおばにばんがまえ)5700番地先(ばんちさき)にありましたが、開発工事(かいはつこうじ)のため現地(げんち)(うつ)されました。所在(しょざい)大庭(おおば)北の谷共同墓地内(きたのたにきょうどうぼちない)

サイズさいず

分類ぶんるい

文化財(ぶんかざい) () ()指定(してい)重要文化財(じゅうようぶんかざい)有形(ゆうけい)民俗文化財(みんぞくぶんかざい)

資料番号しりょうばんごう

90056

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