Fujisawa Net Museum

資料詳細

一覧へ戻る

資料名しりょうめい

小笠原東陽(おがさわらとうよう)(ひつ)祭礼(さいれい)のぼり(はた)

作者さくしゃ

時代じだい

日本(にほん) 明治(めいじ)

解説かいせつ

平成(へいせい)25(ねん)(2013)12(がつ)11(にち)指定(してい)小笠原東陽(おがさわらとうよう)(1830-1887)は、明治(めいじ)初期(しょき)羽鳥(はとり)()耕余塾(こうよじゅく)という学校(がっこう)(ひら)いた教育者(きょういくしゃ)です。東陽(とうよう)教育(きょういく)評判(ひょうばん)()び、生徒(せいと)近隣(きんりん)だけでなく横浜(よこはま)多摩(たま)津久井(つくい)(とう)からも(あつ)まり、多彩(たさい)人材(じんざい)輩出(はいしゅつ)したことで()られ、その跡地(あとち)一部(いちぶ)藤沢市(ふじさわし)史跡(しせき)指定(してい)されています。東陽(とうよう)能書家(のうしょか)でもありましたが、(のこ)された揮毫(きごう)のなかで最大(さいだい)のものが、今回(こんかい)指定(してい)された2(てん)2対(につい)4(ほん)ののぼり(ばた)です。羽鳥三丁目(はとりさんちょうめ)御霊神社(ごりょうじんじゃ)のものは(たけ)(なが)(やく)10.2メートル、城南五丁目(じょうなんごちょうめ)(字羽鳥向)八坂神社(やさかじんじゃ)のものは同約(どうやく)8.5メートルで、両方(りょうほう)とも「神州寶祚之隆(しんしゅうほうそのりゅう)」「當與天壞無窮(とうよてんじょうむきゅう)」と(しる)された(した)に、明治(めいじ)18(ねん)(1855)7(がつ)という年紀(ねんき)署名(しょめい)があります。所管(しょかん)御霊神社(ごりょうじんじゃ)八坂神社(やさかじんじゃ)

サイズさいず

分類ぶんるい

文化財(ぶんかざい) () ()指定(してい)重要文化財(じゅうようぶんかざい)歴史資料(れきししりょう)

資料番号しりょうばんごう

90049

Page Top