Fujisawa Net Museum



“Shell Mounds of Omori”の表紙ひょうし

“Shell Mounds of Omori”の表紙“Shell Mounds of Omori”の表紙ひょうし

解説かいせつ

E.S.モース博士はかせは、大森貝塚おおもりかいづか発掘調査はっくつちょうさについて、イギリスの科学雑誌かがくざっし“Nature”( 1877 ねん 11 がつ 29 にちごう)に「日本にっぽんにおける太古たいこ人類じんるい形跡けいせき」とだいする報告ほうこくぶん寄稿きこう(執筆しっぴつ 9 がつ 21 にちづけ)しており、これが最初さいしょ報告ほうこくとなっています。
写真しゃしんほんは、 1879 ねん(明治めいじ 12 ねん)に、“Shell Mounds of Omori”とだいした東京大学とうきょうだいがく理学部りがくぶ英文えいぶん紀要きようだい1巻いっかん第1部だいいちぶとして刊行かんこうされた大森貝塚おおもりかいづか発掘調査報告書はっくつちょうさほうこくしょで、本文ほんぶんとともに土器どきなどの遺物いぶつ図版ずはん掲載けいさいされています。モース博士はかせは、この報告ほうこくしょなかで、土器どき形状けいじょう材料ざいりょうつくかたかざかた補修ほしゅうほうなどについて記述きじゅつするとともに、土器どき機能きのう分類ぶんるいおこなっています。また、この報告ほうこくしょなかで、土器どき文様もんようについての“cord marked pottery”という表現ひょうげんが、現在げんざい使つかわれている「縄文土器じょうもんどき」につながっています。この報告ほうこくしょ邦文ほうぶんばんは、「だい森介もりかいきょ古物こぶつへん」[矢田部良吉やたべりょうきちやく東京大学とうきょうだいがく理学部りがくぶ邦文ほうぶん紀要きよう理科りかかいいきだいいちちつうえさつ]として、 1880 ねん(明治めいじ 13 ねん)に刊行かんこうされています。なお現在げんざい、モース博士はかせ発掘はっくつした大森貝塚おおもりかいづかのかなりのかず遺物いぶつは、東京大学総合研究博物館とうきょうだいがくそうごうけんきゅうはくぶつかん保管ほかんされ、 1975 ねん(昭和しょうわ 50 ねん)には、そのうちの一部いちぶくに重要文化財じゅうようぶんかざい指定していされています。

参考文献さんこうぶんけん
(1) 「大森貝塚おおもりかいづか」 E. S.モースちょ 近藤義郎こんどうよしろう佐原真さはらまことへんやく 1983 ねん 岩波文庫いわなみぶんこ
(2) 「モースそのその:あるやとい教師きょうし近代きんだい日本にっぽん」 磯野直秀いそのなおひで 1987 ねん 有隣堂ゆうりんどう

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